オオカミになりたい(遺言)

ずっとそばにいるよ

月百姿 吼噦

2017-06-30 | 月百姿

月岡芳年 月百姿

『吼噦』

明治十九年届

 

吼噦(こんかい)は狐の鳴き声を表す語。「こんこん」

狐が法師に化けることを白蔵主(はくぞうす)と言い慣わし

法師が狐に似た振る舞いをすることもまた白蔵主と称する

 

 国立国会図書館デジタルコレクション 103

 

狂言 釣狐(つりぎつね)

猟師に一族をみな釣り取られた老狐が、猟師の伯父の

白蔵主という僧に化け、猟師のもとへ意見しにいきます。

猟師ははじめ狐を釣ることを隠しますが、やがて認めます。

白蔵主は

「そも、狐と申すは、皆 神にておはします。」

「天竺にては、班足太子の塚の神。大唐にては、幽王の后と現じ

我朝にては稲荷五社の大明神にておはします。・・・」

異国でも崇め奉られており 日本でも稲荷に祀られている、と諭す。

さらに『玉藻前伝説』から、殺生石の故事を持ち出し

狐の執心がいかに恐ろしいかを話して聞かせる。

 

恐ろしい話を聞いて猟師は狐釣りを止めるといい、罠も捨てます。

安心した老狐は「作戦が成功した」とばかりに喜びながら

伯蔵主のまま帰路につくが、途中に美味しそうな

油揚げの匂いに引き寄せられ、罠の近くまで寄っていく。

理性を保とうとするが、この罠で一族を殺された。

いわばこの鼠(油揚げ)は親祖父の敵。

恨みを晴らすべく食いちぎってやるのだ、などと理屈をつけ

衣装を脱いでから食べてやろうと一旦去っていきます。

 

見回りに来た猟師は罠の餌がつつかれているのを見て

先刻の伯蔵主が狐だったと知ります。

そこで、本格的に罠を仕掛け隠れて待ち受けます。

戻って来た狐は罠にかかりますが

猟師と渡り合ううちに罠を外して逃げていきます。

 

出典元:文化デジタルライブラリー

 

罠と知りつつその罠に惹かれるのは人も獣も同じですね

この狂言の元となったのが『絵本百物語』の白蔵主

妖怪で検索すれば話は沢山でてきますよ。

 


都幾百姿 宮路山の月

2017-06-29 | 月百姿

月岡芳年 月百姿

『宮路山の月』 師長

明治二十二年印刷

 

藤原師長(ふじわらのもろなが)は平安時代後期の公卿、従一位太政大臣

藤原頼長の次男、母は源信雅の娘 

保延四年(1138年)~建久三年(1192年)七月十九日

雅楽の歴史においては、源博雅と並び、平安時代を代表する音楽家 

(博雅三位は6/27日の朱雀門の月で登場)

 

 国立国会図書館デジタルコレクション 033

 

治承三年の政変によって、尾張国に流されたされた師長。

宮路山山中に入って、一人琵琶を弾いていると

一人の美しい女性が師長の前に現れて

師長の弾く琵琶の音に合わせて歌を詠いだした。

師長はその姿を見て奇異に感じて、その女性を鬼神の化身と思っていた。

 

するとその女性が話をするには、その女性は

この宮路山の山水の神で、

師長の琵琶の音がとてもすばらしいので

女性の姿に化身して、琵琶を聞き共に歌を詠いたくなったのだといい

やがて姿が見えなくなった。

 

『源平盛衰記』

遠巻 第十二 師長熱田社琵琶事 より

 


月百姿 朱雀門の月

2017-06-27 | 月百姿

月岡芳年 月百姿

『朱雀門の月』 博雅三位

明治十九年届

朱雀門(すざくもん)は平安宮の大内裏(だいり)の南面中央にある正門のこと

 

源博雅(みなもとのひろまさ)は平安時代中期の公卿、雅楽家。

延喜十八年(918年)~天元三年(980年)九月二十八日

醍醐天皇皇子の克明親王の長男。母は藤原時平の娘。

横笛、琵琶、大篳篥(おおひちりき)の名手で、その楽才をたたえる説話が多い。

 

 国立国会図書館デジタルコレクション 078

 

十訓抄 巻十第二十話 (博雅三位 朱雀門の鬼の笛)

月の明るい夜。博雅三位が直衣姿で朱雀門の前をそぞろ歩いていました。

夜もすがら、笛を吹き遊んでいると、同じように直衣姿の男が

笛を吹きながら歩いてきます。 「いったい誰であろうか」 と

耳をそばだててみると、その者の笛の音は、世に類のないほど美しい。

不審に思い近寄って見たものの博雅のまるで知らない人でした。

われも話しかけず、かれも話しかけず。二人はこのようにして

月の夜ごとに行き交い、一晩中笛を吹きあったのです。

その者の笛があまりに見事なので、ためしに笛を交換してみると

かつて見たこともないほどの名笛でした。その後も月夜ごとに笛を吹き交わしたのですが、

かの者は「笛を返せ」ともいわないので、笛はそのまま博雅の手元に残りました。

 

博雅が亡くなった後、帝がこの笛を譲られたため、当時の上手どもに吹かせてみたのですが、

誰も博雅のように吹き鳴らせる者はありません。

その後、浄蔵という笛の名人が現れました。帝がこの者を召して

吹かせてみると博雅に劣らず吹きこなしたものです。

帝は御感のあまり、「そもそもこの笛の持ち主は朱雀門あたりでこれを得たという。

浄蔵よ、そこへ行って吹いてみよ」と仰せられたのです。

月の夜、帝の仰せにしたがい朱雀門へ行きこの笛を吹いてみました。

その時、「いまだ逸物かな」と、楼上より雷のごとき音声が落ちてきて、浄蔵の笛を称えたのです。

これを帝に奏上したため、はじめてかの笛は鬼のものであったと知れました。

これが葉二(はふたつ)と称される天下第一の名笛です。

 

能文社web 千年の日本語を読む 風流の鬼、博雅の三位 より転載

 


月百姿 から衣うつ音きけば・・・

2017-06-26 | 月百姿

月岡芳年 月百姿

『から衣 うつ音きけは 月きよみ 

またねぬ人を そらに知るかな』  経信

明治十九年届

 

 

源経信(みなもとのつねのぶ) は平安時代後期の公家・歌人。

宇多源氏、権中納言・源道方の六男。

長和五年(1016年) ~ 永長二年(1097年)閏一月六日

 

 国立国会図書館デジタルコレクション 034

 

 経信の帥大納言(源経信のこと)、八条わたりに住み給ひけるころ

九月ばかりに、月のあかかりけるに、ながめしておはしけり。

砧(きぬた)の音のほのかに聞こえ侍れば、四条大納言(藤原公任)の歌

「からころも打つ声聞けば月清みまた寝ぬ人をそらに知るかな」

と詠ふ給ふに、前栽の方に、 北斗星前横旅鴈 南楼月下擣寒衣

といふ詩を、まことに恐しき声して、高らかに詠ずる者あり。

「誰ばかり、かくめでたき声したらん」と思えて、驚きて、見やり給ふに、

長(たけ) 一丈五六尺(5m)侍らんと思えて、髪の逆様に生ひたる者にて侍り。

「こはいかに、八幡大菩薩、助けさせ給へ」と祈念し給へるに、

この者、「何かは祟りをなすべき」とて、かき消ち失せ侍りぬ。

「さだかに、いかなる者の姿とは、よくも思えず」と語り給へりけり。

朱雀門の鬼なんどにや侍りけん。それこそ、このころ、

さやうの数寄者(すきもの)にては侍りしか。

 

撰集抄  巻8第27話(102) 四条大納言(歌)

出典先:やたがらすナビ

 

 

「唐衣 うつ声聞けば 月きよみ まだ寝ぬ人を そらに知るかな」

(新勅撰和歌集 三二三 実際の作者は紀貫之です。

 

澄んだ夜空の下に衣を打つ音が響く。

まだ寝ていない人がいる。

その人もこの月を見ているだろうか。

 


月百姿 住よしの名月

2017-06-25 | 月百姿

月岡芳年 月百姿

『住よしの名月 定家卿』 

明治二十年届

 

 

藤原定家(ふじわらのさだいえ=ていか)は鎌倉時代前期の公卿(くぎょう)・歌人。

藤原俊成(としなり)の子。母は美福門院加賀。

「新古今和歌集」「新勅撰和歌集」の撰者となり、「小倉百人一首」も撰した。

応保二年(1162年) ~ 仁治二年(1241年)八月二十日 

 

 

国立国会図書館デジタルコレクション 044

 

 歌人として知られる藤原定家が、難波・住吉神社へ詣でた際

夢の中に住吉明神が現われて神託を下し、

定家の和歌に対する迷いを晴らしたとされる逸話を

描いたとされるweb記事が多いのですが

その逸話が何であるのかは不明でした。 だから逸話なのか!

「明月記」では超新星の記述が有名で「明月記」に

この夢の記述があるわけではなさそうですね。

 

ひとつ面白い記事があったのが「定家と家隆」の記事で

定家の父親 俊成が住吉社に十七日間籠り

もしも歌はいたづらごとであるというならば

今後は歌をやめて一向に後生の勤めをしよう と祈念したところ

他のことはするな、歌でもって往生すべきである とお告げを得て

いよいよ歌の道を重くしたと伝えられている。とあり

定家が住吉明神参拝の際に神託によって作成した『明月記』の話とも

重なっているのかな?と思ったりしています。