オオカミになりたい(遺言)

ずっとそばにいるよ

古今名婦伝 「呉織」

2018-06-08 | 豊国錦絵

呉織(くれはとり)とは古墳時代に大陸から渡来した

女の綾織技術者、あるいはその織工の名前

元治1年(1864)出版  歌川豊国(国貞)絵

 

呉織

呉織は呉の國の女なり呉は今の南京なり

応神天皇四十一年(310年)に呉の國に求めて

皇朝に貢進(みつぎたてまつ)る縫姫(ぬいひめ)が四人が渡来する

兄媛(えひめ)・弟媛(おとひめ)・呉織(くれはとり)・穴織(あなはとり)と呼ばれて

衣縫(きぬぬい)の業に精(くわ)しく錦(にしき)織ることに極めて巧みなり

禽(とり)獣(けもの)花卉(はなのただい)意のままに織い出す

到着した筑紫では宗像の神に望まれて兄媛を奉じ

あとの三人は摂津の國武庫に至る

今、同國池田に呉織・穴織を神に祀りて蕞祠(やしろ)あり

九月十七日・十八日に祭礼あり

             (柳亭種彦記)


牡丹花の家の集り接抄呉織の里とよばれて室を夢庵と号し

『笹の葉に のすを便りの 霜夜外』





古今名婦伝 「了然尼」

2018-06-07 | 豊国錦絵

了然尼(りょうねんに)は江戸時代前期~中期の尼僧

正保3年(1646)- 正徳元年(1711)

元治1年(1864)出版  歌川豊国(国貞)絵

 

了然尼

東福門院(徳川和子)の侍女だったが やがて宮仕えを退き

垂尼(たれあま)とななって禅法を勤め学ぶ

東都(えど)へ下り駒込の伯翁和尚に入門を願ったが

伯翁は了然が容顔(かおかたち)の麗しきを疎み寺にとどめず

了然、口惜しきことに思い近辺の家に入り

銅(あかがね)の器を熾火(おき)赤く焼きたるをして

顔面に押し当て押し当てして爛(ただ)らかし

忽ちのうちに醜婦(しこめ)となり 筆をとって一頌を書く

昔、宮裏に遊んで蘭麝(らんじゃ)を焼(た)き

今は禅林に入りて面皮を燎(や)く

四序の流行 亦(また)かくの如し

知らず誰れか是れ箇の中に移る


いきる身の 捨ててやく身ぞうからまし 

終(つい)に薪(たきぎ)と おもはざりせば


爰(ここ)を立ち出で伯翁をも下目にみて自ら悟道の妙処を得たる

勇猛精進比類なき女菩薩なり 落合村に泰雲山了然寺の名を残す

                (柳亭種彦記)


口真似草に                    

身をもやし 見てのる人もの船  安宅貞利





古今名婦伝 「文展千代」

2018-05-31 | 豊国錦絵

千代は安土桃山時代の女性

生没年未詳

文久3年(1863)出版  歌川豊国(国貞)絵

 

文展千代(ふみひろげのちよ)

總見寺殿(そうけんじでん=織田信長)の侍妾・小野お通に使われたる女なり

東山の花陰 五條橋の月の前などにあらわれて襟に懸けたる文箱より

一通の文をとり出し声高く又低く讀んでは泣き、笑いて讀む

物狂いの風流なる者とその時洛中にいと名高し此の女

都から来ていた喜藤左エ門と云う商賈(あきんど)と

密かに云いかわしける事三年(みとせ)、逢う夜の稀なるを悲しんで

「うら山し 人目なき野の蛬(きりぎりす) 鳴くも心の ままならぬ身は」

此の歌を聞き お通は憐れんで喜藤にあたえて夫婦となした

其の後、夫に捨てられんとするのを

お通が文こまやかに書き贈って諫めると

喜藤も思い直して睦ましくなって五年(いつとせ)の後

夫に死別れして愁傷やるかたなく 心乱れ

お通の文を持ち歩いては讀むようになった

         (柳亭種彦記)


犬子集に                    

『天も花に 酔ゑるか雪の 乱れ足』  親重





古今名婦伝 「乳母浅岡」

2018-05-28 | 豊国錦絵

淺岡(あさおか)は、江戸時代に作られた歌舞伎作品の

「伽羅先代萩」に登場する女性

文久2年(1862)出版  歌川豊国(国貞)絵

 

乳母淺岡(めのとあさおか)

治國(おさめるくに)によこしまな心を防ぐには

慮(おもんばかり)を尽くしてやり遂げるべし

浅岡は一人でよく幼君を盛り立て奉(たてまつ)らせ

荊筵(はりのむしろ)に座して兎の毛で突きたる程の障碍もなく

ついに大忠成就に至るを無事に成し遂げたが

䑓子(だいす)の出来事は子供の遊びではない

篭の雀の千代八千代に伝わる功績を演戯(かぶき)に取り組み

また浄瑠璃に語りもしてあり感ぜぬ者はいないであろう

         (柳亭種彦記)


『面扶持を へさぬか粟の 鼠共』


  「伽羅先代萩」 の内容は wike からご覧下さい





古今名婦伝 「松浦佐用姫」

2018-05-27 | 豊国錦絵

松浦佐用姫(まつらさよひめ)は古事記に登場する女性

生没年未詳

文久2年(1862)出版  歌川豊国(国貞)絵

 

播磨の国佐用郡(さよこおり)に美貌處女(かおよきおとめ)がいた

朝廷の命を受け百済救援を命じられこの地にやって来た

大伴狭手彦(おおとものさでひこ)が召して交歓(かたらい)し

一夜の情に百年(ももとせ)の命を祈り慕い狭手彦を見送る佐用姫

松浦の海を漕ぎ去る船を遥かに望(みやり)て喚べど叫べど

鼓涛(うつなみ)のほかには応える物もなく

ついに哭死(なきじに)したりしとなったその志哀れむべし

彼の時姫が登りし山を領巾麾之嶺(ひれふるのだけ)と名づけ

佐用姫を神と祭り今彼の山に叢祠(そうし)があって

石に化けしと云い伝わる

ある信じられぬ妄談あり人の形皃(かたち)に似ている

石はあるがいい加減なことをいっては失礼であろう

       (柳亭種彦記)