オオカミになりたい(遺言)

ずっとそばにいるよ

つ幾乃百姿 雪後の暁月

2017-10-20 | 月百姿

月岡芳年 月百姿

『雪後の暁月』  小林平八郎

   せつごのぎょうげつ  こばやしへいはちろう 

明治二十二年印刷

 

 

 小林平八郎(こばやしへいはちろう)は江戸時代前期の武士。

生年不詳~ 元禄十五年十二月十五日(1703年1月31日)

高家吉良家家老。

 



国立国会図書館デジタルコレクション 094

 

「江赤見聞記」

上野介家来小林平八、槍を引っ提げて勢を振るって所々にて

槍を合わせ防ぎ候得ども、あまたに打ち合わせ候故終に討留る。

(吉良上野介の家来・小林平八は、槍をひっさげて激しく応戦したが

多数の赤穂義士に囲まれてついに討ち倒された)

 

吉良側の用人では二刀流で応戦する

清水一学のほうがカッコいいんだけどね。

小林平八郎は知らんかったわい。

 


月百姿 祇園まち

2017-10-19 | 月百姿

月岡芳年 月百姿

『祇園まち』 

ぎおんまち 

明治十八年届

 

 大石主税(おおいしちから)は江戸時代前期の武士。

元禄元年(1688年)~元禄十六年二月四日(1703年)

大石良雄(内蔵助)の長男。赤穂四十七士のひとり。

「仮名手本忠臣蔵」では大星力弥(おおぼしりきや)と

名を変えて上演された。

 



国立国会図書館デジタルコレクション 070

 

仮名手本忠臣蔵 七段目 祇園一力茶屋の場

元塩冶(えんや)家の国家老・大星由良之助は

仇討ちの心がないと敵方の目を欺くため

今夜も、祇園一力茶屋で大いに酩酊しています。

‼ 由良さんこちら。手の鳴るほうへ。‼

 

そこへ、かをよ御前(=浅野内匠頭の正室阿久利)

からの密書を届けにきた大星力弥を描いたもの。

 

歌舞伎では敵に悟られないよう頬被りをしているんですが

こんな凛々しい姿ではバレバレじゃーないですか。

 


月百姿 月夜釜

2017-10-17 | 月百姿

月岡芳年 月百姿

『月夜釜』 小鮒の源吾 嚆矢伴蔵

    つきよのかま こふなのげんご こうしはんぞう 

明治十九年届


 

泥棒にもいろいろ居ますが、戦国時代の大泥棒・石川五右衛門が

京都四条河原で釜ゆでの刑に処せられた。

五右衛門の子分のそのまた子分が 

その恨みを晴らすため大釜だけを盗み出した。

 



国立国会図書館デジタルコレクション 089

 

豊年俵百噺 「大釜」

味噌屋の家へある夜盗人が入り、家財はおろか

着て寝た寝間着まで引ったくられ

「今夜は着て寝るものも無し。幸いあの大釜こそ商売道具」と

大釜の中に寝る。

やがて盗人昨夜の味をしめ、また入った所が何にも無し。

「この大釜こそよき金目」と引つかたげ

すたすた逃げれば釜の中で大イビキ。

これは不思議と畑の中に釜をおろせば、亭主目を覚まし

あたりを見て「南無三、家を盗まれた」。

 

落語「釜泥」はこちらから

 https://www.youtube.com/watch?v=NiTDO22OLR4 

 


月百姿 梵僧月夜受桂子

2017-10-16 | 月百姿

月岡芳年 月百姿

『梵僧月夜受桂子』

 ぼんそう つきよにけいしをうく 

明治二十四年印刷


 

月に生えていると云う桂樹の種を受けている阿羅漢

この種は不老不死の力と自由に身体を見えなくする力を

与えてくれると云われている。 



 

国立国会図書館デジタルコレクション 086

 

「阿羅漢」とは、太古インドで発生した釈迦仏教で

小乗仏教といわれる仏教の信徒たちが目指すべき 

最高の境涯で、釈尊の弟子たちはこの阿羅漢になることを目指して

厳しい修行や瞑想に取り組んでいた。

阿羅漢とは「世間の人々の尊敬を受けるに値せし者」という意味で

釈尊から言われたことはほぼ学んでいて

もう学ぶことが無いということから「無学位」とも呼ばれた。

阿羅漢はその生涯を終えると輪廻の世界から消失する。

 


月百姿 つきのかつら

2017-10-15 | 月百姿

月岡芳年 月百姿

『つきのかつら』 呉剛(ごごう) 

明治十九年届

 

 

中国では昔から月には桂があり、蟾蜍(ひきがえる)が住むといわれている。

月の桂の高さは五百丈。その下で一人の男が斧でこの桂を伐っている。

その男、姓を呉・名を剛という。


 

国立国会図書館デジタルコレクション 051

 

 呉剛伐桂(ごごうさいけい)【呉剛桂を切る】 伝説其の二

呉剛は呉権とも言い、西河人でした。(陜西省東部)

炎帝の孫伯陵は呉剛が仙道を学ぶために

三年間家を離れている間に呉剛の妻と私通しており

三人の子供を儲けていました。

これを知った呉剛は激怒して伯陵を殺し

孫を殺された太陽神炎帝は呉剛を月へと追放して

 不死の樹である月桂を伐採するように命じました。

月桂は高さ五百丈に達し、伐っても伐っても、

伐った先から枝がくっついてしまうため、

炎帝は懲罰として永遠に終わらない労働を呉剛に課したのです。

呉剛の妻は夫の境遇に心を痛めて三人の子を月に行かせ

呉剛を手伝うように命じました。一人はヒキガエルに、

もう一人は兎に、もう一人は蛇に変わったと言います。

プロメテウスブログより転載

 

桂の枝が刈り込まれると月が欠け、枝が茂ると月が満ちていくと言います。

また、桂というのは中国では木犀のことです。