~ 南無八幡大菩薩、加護を下し給へ... ~
『藤原秀郷龍宮城蜈蚣を射るの図』
(ふじわらのひでさと りゅうぐうじょう むかでをいるの ず)
大蘇芳年筆
藤原秀郷(ふじわらのひでさと)は平安時代中期の貴族、武将
朱雀天皇の時代、俵藤太秀郷(たわらのとうだひでさと)という武将が
瀬田の唐橋を渡ろうとすると一匹の大蛇が寝そべっていて誰も通れません
しかし勇敢な藤太は気にもせず踏みつけて通ったのでした。
その夜、藤太の前に美しい娘が現れて「私は瀬田川に住む龍王の娘です
大蛇に変身していたのはあなたのような勇敢な人物を探していたのです
どうか、三神山に住む大ムカデが琵琶湖を荒らすので退治して欲しい」 と依頼されます。
藤太はこれを快諾し、大ムカデ退治に三上山に向かいます
しかしこの大ムカデ、三上山を七回半も巻くほどの怪物で
藤太の放った弓をはね飛ばしてしまいます。
藤太は最後に残った矢の先に唾をつけて、南無八幡大菩薩と祈って矢を放つと
これが見事に大ムカデの眉間に命中し、無事退治することが出来ました。
龍神の娘はお礼として、織っても尽きぬ絹、食べても尽きぬ米俵
いくら食べても尽きぬ鍋をおいて、どこともなく帰っていきます
数日後、再び龍王の娘が再び訪ねてきて誘われるままに
琵琶湖の深底にあるという龍宮城に案内され酒宴を受け
龍王から、ムカデ退治の恩として黄金札の鎧、太刀一振り
赤銅の釣鐘を贈られたのでした。
御伽草子「俵藤太物語」より