オオカミになりたい(遺言)

ずっとそばにいるよ

新形三十六怪撰より 「源頼光土蜘蛛ヲ切ル図」

2018-09-30 | 新形三十六怪撰

~ 何者なれば頼光に縄をば付けんとするぞ、悪き奴かな 

『源頼光土蜘蛛ヲ切ル図』

(みなもとのよりみつ つちぐもを きる ず)

 

 大蘇芳年筆

 

源頼光は平安時代中期の武将


平家物語 「剣巻」 土蜘蛛退治譚

頼光が瘧(おこり)を患って三十余日床についていたところ

身の丈七尺からなる法師が現れ、縄を放って頼光を絡めとろうとした

これに驚いた頼光が名刀「膝丸」で斬りつけると、法師は姿を消した。

翌日、頼光が四天王を率いて法師の血痕を追うと

北野神社裏手の塚に辿り着き、塚を掘り崩してみると四尺ばかりの山蜘蛛がいた

頼光たちはこれをからめとって、鉄串に刺して川原に晒した

頼光の病気はその後すぐに回復し

土蜘蛛を討った膝丸は以来「蜘蛛切り」と呼ばれる。



 

 


新形三十六怪撰より 「葛の葉きつね童子にわかるゝの図」

2018-09-29 | 新形三十六怪撰

~ 恋しくば 尋ね来て見よ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉 

『葛の葉きつね童子にわかるゝの図』

(くずのはきつね どうじに わかるるの ず)

 大蘇芳年筆

 

葛の葉伝説

時は千年余り前、摂津国・阿倍野の里に住んでいた安倍保名(あべのやすな)は

父の代に没落した家の再興を願い、信太森葛葉稲荷に日参していた。

ある日のこと、稲荷の境内で、保名は数人の狩人に追われた一匹の

白狐を助けたが、その際手傷を負ってその場に倒れてしまった。

命を助けられた白狐は、葛の葉という美しい女性に化け

保名を介抱して家まで送りとどけ、その後も保名を何度も見舞った。

やがて互いの心が通じ合い、夫婦になり童子丸という子供をもうけた。

しかし、その子が五歳のとき、ふとしたことから葛の葉の正体が

狐であることが露見して、障子に「恋しくば」の歌を書いて

泣く泣く信太の森へ帰っていったという。

その時、残された童子丸が後の陰陽師・安倍晴明だと伝わる。

出典元:神使像めぐり*余話





新形三十六怪撰より 「やとるへき水も氷にとぢられて今宵の月は空にこそあり 宗祇」

2018-09-24 | 新形三十六怪撰

~ 宿るべき水も氷に閉じられて 

『やとるへき水も氷にとぢられて今宵の月は空にこそあり 宗祇』

(やどるべき みずもこおりに とじられて こよいのつきは そらにこそあり そうぎ)

 

 大蘇芳年筆

 

宗祇(そうぎ)は室町時代後期の連歌師。


月の発句

丑三の頃になったらその寺の本堂でいろいろな人が話をしよる

侍もある 和尚さんもある。集まって「はてな、はてな」って言いよる

「今宵の月は空にこそあり」 いう歌が出されて

それの上の句ができなくて困っていたんですと。

宗祇が上の文句「やとるへき水も氷にとぢられて」ってつけると

みんな「ハッ!」って言って消えてしまったって。


この歌の情趣は、水に映った月を実と見て、

天空に輝く月を虚とみる発想の逆転にある

氷が張っているために、月が本来あるべきところの

水面に宿ることができずに、中空に浮かんでいるというのである。

出典元:昔話「幽霊の歌」にみる伝承の変容





新形三十六怪撰より 「布引滝悪源太義平霊討難波次郎」

2018-09-20 | 新形三十六怪撰

~ ついには必ず雷になって、蹴り殺してやるぞ 

『布引滝悪源太義平霊討難波次郎』

(ぬのびきのたき あくげんたよしひらの れい なんばじろうを うつ)

 

 大蘇芳年筆

 

源義平(みなもとのよしひら)は平安時代後期の武将。

源義朝の長男で 源頼朝、源義経の兄にあたる。


源義平 雷伝説 

あまりの強さに鎌倉悪源太と言う異名を持っていた源義平は

平治の乱で平氏に破れ京の六条河原で処刑されてしまう

その時、処刑人難波三郎経房に対し「雷となりお前を蹴り殺してやる」

こう言い残して義平は経房によって斬首されます

時に永暦元年(1160年)の事でした。

それから8年後

経房は清盛ら平家一門と布引の滝を訪れる事となりました

しかし経房は何か胸騒ぎがして供をする事に躊躇していたが

周りの武将らに促されて改め直して馳せ下ります。

人々は滝を眺めて感にいっているところで、天がにわかに曇り

おびただしく神鳴りが鳴って、経房の上に黒雲が覆うと

次の瞬間経房は微塵になって死んでしまった。

黒雲は清盛にも近づくように見えたが、結局空に上がっていった。

出典元:平治物語下巻・第五章 

清盛出家のこと並びに滝詣、附・悪源太雷となること





新形三十六怪撰より 「鬼若丸池中に鯉魚を窺ふ図」

2018-09-19 | 新形三十六怪撰

~ 鬼若は後の弁慶となる 

『鬼若丸池中に鯉魚を窺ふ図』

(おにわかまる ちちゅうに りぎょを うかがう ず)

 大蘇芳年筆

 

平安時代末期に生まれ、後の武蔵坊弁慶となる鬼若丸の

その出生は凄まじく、母の胎内に十八ヶ月もおり

生まれた時には普通の子の三倍もあった。

父はこれは鬼子だとして殺そうとしたが、叔母に引き取られて

鬼若と命名され京で育てられていたが

すぐに比叡山延暦寺に預けられたのだった。

ある時、身の丈八尺もある鯉が子供や女ににいたずらをし

比叡山横川の池で大暴れしていました。

それを聞いた鬼若丸は短刀ひとつ携えて池に飛び込み

激闘の末に見事に鯉を退治したと言う。