オオカミになりたい(遺言)

ずっとそばにいるよ

風俗三十二相 あいたそう/のみたそう

2018-01-09 | 風俗三十二相

月岡芳年が女性のしぐさを ~~そう と描いた美人画

「風俗三十二相」より

 

廿一 『あいたさう 』 

嘉永年間(1848~1853) おいらんの婦宇俗

明治廿一年十月十五日印刷


 

今夜あの人が来てくれるのね。ああ待ちどおしい

とは言ってないですね。

この時代になると吉原には太夫はいなくなり

高級遊女=花魁と呼ばれるようになったとか

普段着姿の花魁を見ていると

わしらにも手が届きそうな。。。

 

 

廿二 『 のみたさう 』 

安政年間(1854~1859) 町芸者俗ニ酌人之風俗

明治廿一年 月 日印刷


 

芸者といっても今でいうところの宴会コンパニオンですね

目頭からほんのりピンクでいい感じになってます。

江戸時代の酒の色は手に持っているように琥珀色だったようです。

しかも加水されていてアルコール度数が5%くらいの飲みやすさだったとか。

じゃんじゃん飲んで売り上げに貢献しなくっちゃ。ってところかな


風俗三十二相 じれったそう/たのしんでいそう

2018-01-08 | 風俗三十二相

月岡芳年が女性のしぐさを ~~そう と描いた美人画

「風俗三十二相」より

 

十九 『じれったさう 』 

嘉永年間(1848~1853) 鳶妻(あねご)の風俗

明治廿一年二月十二日印刷

 

江戸時代の消火は周囲の建物を破壊して

延焼を防止する破壊消防だったため

素早い家屋解体が出来る鳶=町火消でした。

いなせな姐さんの髷は何と言う結い方だったかな?

んーっと、ええいじれったい。

 

 

二十 『 たのしんでゐさう 』 

嘉永年間(1848~1853) 師匠之風俗

明治廿一年十一月三日印刷


 

幕末近く、三味線の先生は女性の仕事として定着しており

女の子の習い事としても大人気でした。女の子だけではありませんね 

時代劇でも若旦さんが熱心に三味線の稽古に通うシーンがよく見うけられます。

はてさて、お師匠さんが見やる今日の生徒はどなたでしょう?

 


風俗三十二相 うまそう/かいたそう

2018-01-04 | 風俗三十二相

月岡芳年が女性のしぐさを ~~そう と描いた美人画

「風俗三十二相」より

 

十七 『むまさう 』 

嘉永年間(1848~1853) 女郎之風俗

明治廿一年三月三日印刷

 

「むまさう」は現代仮名の「うまそう」のこと。

月をながめながら海老の天ぷらを食べる遊女が描かれています。

いいお客さんがついたのでしょうね。 いいなぁ~

江戸時代中期天ぷらは屋台などで気軽に食べられる料理として人気で

最初から下味がついていて竹串で刺して食べていたようです。

天つゆをつけて食べるようになったのは明治・大正以降といわれ

その結果、箸で食べることになったとの説が有力です。

 

 

十八 『 かいたさう 』 

嘉永年間(1848~1853) おかみさんの風俗

明治廿一年 月 日印刷

 

どっちにしようかな?福寿草の鉢を品定めしているおかみさん。

黒は他の何色にも染まらないことから貞女のしるしとして

江戸時代には既婚女性の象徴となったお歯黒も

明治政府の近代化政策によりチョンマゲや帯刀とともに禁止され

大正時代までにはしだいになくなっていきました。

 


風俗三十二相 めがさめそう/かゆそう

2017-12-19 | 風俗三十二相

月岡芳年が女性のしぐさを ~~そう と描いた美人画

「風俗三十二相」より

 

十五 『めがさめさう 』 

弘化年間(1844~1847) むすめの風俗

明治廿一年三月廿二日印刷

 

寝起きの乱れ髪で歯を磨く美しい女性。

歯磨きが庶民に広がったのは江戸時代中期

歯磨き粉と房楊枝(ふさようじ)が商品になったのがきっかけで

顔を洗うのとセットで行っていたようです。

それよりも浴衣の鮮やかなブルーに目が覚めますね。

 

 

十六 『 かゆさう 』 

嘉永年間(1848~1853) かこゐものの風ぞく

明治廿一年九月十六日印刷

 

かゆい時は恰好なんかかまっちゃいられませんね。

現在では暖房のおかげで冬でも蚊が出てきてしまいます。ポリポリ

 

お妾さんと囲い者、どっちも同じだろうと考えますが

明治時代まではきっちり区別がされていたようです。

囲い者は、パトロンから月々の手当をもらって

一軒をかまえて生活している素人の女のこと。

妾は、そういうことを仕事の一部としている色街の女

(例えば芸者など)をいい、江戸末期には「安囲い」という

3~4人の男から囲われるシステムまであったとか。

ま、どっちも縁のないことですがそれは嫌だな。

 


風俗三十二相 みたそう/にあいそう

2017-12-18 | 風俗三十二相

月岡芳年が女性のしぐさを ~~そう と描いた美人画

「風俗三十二相」より

 

十三 『 みたさう 』 

天保年間(1830~1843) 御小性之風俗

明治廿一年四月十二日印刷


江戸城や大名家の奥で御小姓(おこしょう)という奥仕えの者が

常に奥方や姫君の側に仕え一切の身の回りのお世話をします。

恥じらうその視線の先には一体なにが見えたのでしょう。。。

サブタイトルの「小性」が暗示しているのかな?

 

 

十四 『 にあいさう 』 

弘化年間(1844~1847) 廓の芸者風俗

明治廿一年四月廿四日印刷

男装した芸者さんが手にした扇子には

「俄(にわか)」と書いてあります。

吉原では「吉原俄」といい三大行事の一つとされ

八月一日にはじまり、ひと月かけて行われました。

若い衆や禿たち、幇間と呼ばれる芸人さんを中心に

芸者さんたちも参加して楽しんだようです。

孔雀の羽柄の粋なこと。

ピーコック革命はこの時代が先取りしていたんですね。