弼宰相春衡(ひつのさいしょうはるひら)は
軽大臣(かるのおとど)の息子
「今昔百鬼拾遺」に曰く
軽大臣という人が遣唐使として唐に居た頃
唐人から口の利けなくなる毒薬を飲まされ
身を着飾り頭に燈台を乗せられ
燈台鬼(とうだいき)と名づけられ行方知れずとなった。
大蘇芳年 画 御届明治二十年九月
【弼宰相春衡】
灯台本暗しのたとえの如く 父ははるけき唐邦(からくに)へ
遣唐使の命を奉じて行たるままに帰らねば
彼地へ渡りてそこかしこと尋ね当れば思ひきや
物言ふ事もかなわを頂き 灯台の鬼と成て泣いる体を父と察し
ゆるしを乞て帰朝せしが かく残酷なる恥辱を受るは
開化の進まぬ花街の忘八(くつわ)が遊女を責るに似て
焼火箸より尚熱い大蝋燭の流れの身のつらさを託(かこつ)は
雲上人も娼妓も同じ務(つとめ)なりかし
柳亭種彦記
忘八・・・遊女屋の主人の異称
雲上人・・・公卿