2015年1月30日(金)20:00~
「今夜はガロを語り、歌おう」
~縁もゆかりもミュージックスペシャル~
フォーク&ポップス博堂村
1,500円(1ドリンク付き)
以下 Charley氏のBlog「Today Is The Day」より・・・引用。
昨年末、
惜しくも逝去されたガロの「マーク」こと堀内護さんを偲び、
ガロをとことんまで語り、歌いましょう!
マークさんの中津、大分でのライヴでの裏話や
ガロのマニアックな話を
NOAS FMの「縁もゆかりもミュージック」のパーソナリティ
KUROさんとYa☆Chariががっぷり四つに組んで
番組とタイアップでしゃべり、歌い倒します(^^)
大分ではめったに見れない秘蔵のお宝も登場するかも?
・・・これは、みなさんに是非・・・
・・・足を運んで戴きたいイベントであります。
・・・「茨城県つくば市」の遠い空から・・・耳をすませておきます(T_T)
【僕とガロと出遭い】
僕の唄を知っている方は、意外に思われるかもしれないが
僕も大好きなアーチストひとつである。
1972年(昭和47年)13歳の秋。大阪は八尾市の成法中学校
学級対抗の合唱コンクール(1学年15クラスあった)で
あるクラスが「学生街の喫茶店」を歌った。
40年以上前のことで、信じられないかもしれないが
伴奏は、ピアノではなくフォークギター。
音楽の先生が変わっていたのかもしれない。
ピアノが弾けないわけではなく
リコーダーの実技試験でもギターで伴奏するような方。
これが、ガロとの最初の出遭い。
まだヒットしているという感じではなかった気がする。
その年のヒット曲と言えば、
宮史郎とぴんからトリオ『女のみち』
小柳ルミ子『瀬戸の花嫁』
森昌子がデビューした年である。(笑)
生まれて初めて買ったアルバムが「森昌子」(余談)
ちなみに、二枚目は「元気です」よしだたくろう(脱線)
話を戻して・・・
僕が大阪から大分へ引っ越してきたのが・・・
1973年(昭和48年)14歳 庄内町立庄内中学校へ
テレビの歌番組花盛り時代
ガロは、君の誕生日>ロマンス>一枚の楽譜>姫鏡台と
ブラウン管を賑わすことになる。
当時のフォークシンガーと呼ばれる方々は
テレビに出ないのが、当たり前?であったので
吉田拓郎・井上陽水・かぐや姫が大好きな(笑)
フォーク少年にとっては、ワクワクもの・・・
そして、1年後のガロ再認識。
当時、ラジオ、レコード、平凡・明星の歌本(笑)が
僕の貴重な情報源であった。
「四葉のクローバー」を教えてくれた友だちの家で
「GARO LIVE」を「聴け!」と言うことで
カルピスを御馳走になりながら「聴く!」ことになる。
「暗い部屋」に、異色なものを感じる。
それが、ガロを再認識するきっかけに・・・
いやはや、今思うと自分自身のガロへの思い込み・・・
本末転倒の感が否めない。
それから、ネットもない時代・・・
雑誌やら人伝えで「CSN&Y」に、たどり着くわけである。
ガロの二枚組ベストアルバム「MOETSUKITAHIBI」1980年
一枚目が「シングル発売順」
二枚目が「三人が三曲ずつ選んだ曲」
もちろんLPである。(CDあるのかなぁ?)
一枚目と二枚目のギャップが、
ガロの苦悩だったのかなぁ?と
今更ながら、考えたりもする。
あれから、40数年になるが、
いまだに「生ギター」の「音」が好きである。
これも「ガロ」の影響がないわけではない。
そんな振り返りさせてくれた「Ya☆Chariのイベント」と・・・
・・・別府博堂村に感謝したい。
【追伸】
生ギターの音の追及で・・・
Charley氏は、こんなことも教えてくれた(^^ゞ
L.R.BAGGS ( エルアールバックス ) / Lyric
「今夜はガロを語り、歌おう」
~縁もゆかりもミュージックスペシャル~
フォーク&ポップス博堂村
1,500円(1ドリンク付き)
以下 Charley氏のBlog「Today Is The Day」より・・・引用。
昨年末、
惜しくも逝去されたガロの「マーク」こと堀内護さんを偲び、
ガロをとことんまで語り、歌いましょう!
マークさんの中津、大分でのライヴでの裏話や
ガロのマニアックな話を
NOAS FMの「縁もゆかりもミュージック」のパーソナリティ
KUROさんとYa☆Chariががっぷり四つに組んで
番組とタイアップでしゃべり、歌い倒します(^^)
大分ではめったに見れない秘蔵のお宝も登場するかも?
・・・これは、みなさんに是非・・・
・・・足を運んで戴きたいイベントであります。
・・・「茨城県つくば市」の遠い空から・・・耳をすませておきます(T_T)
【僕とガロと出遭い】
僕の唄を知っている方は、意外に思われるかもしれないが
僕も大好きなアーチストひとつである。
1972年(昭和47年)13歳の秋。大阪は八尾市の成法中学校
学級対抗の合唱コンクール(1学年15クラスあった)で
あるクラスが「学生街の喫茶店」を歌った。
40年以上前のことで、信じられないかもしれないが
伴奏は、ピアノではなくフォークギター。
音楽の先生が変わっていたのかもしれない。
ピアノが弾けないわけではなく
リコーダーの実技試験でもギターで伴奏するような方。
これが、ガロとの最初の出遭い。
まだヒットしているという感じではなかった気がする。
その年のヒット曲と言えば、
宮史郎とぴんからトリオ『女のみち』
小柳ルミ子『瀬戸の花嫁』
森昌子がデビューした年である。(笑)
生まれて初めて買ったアルバムが「森昌子」(余談)
ちなみに、二枚目は「元気です」よしだたくろう(脱線)
話を戻して・・・
僕が大阪から大分へ引っ越してきたのが・・・
1973年(昭和48年)14歳 庄内町立庄内中学校へ
テレビの歌番組花盛り時代
ガロは、君の誕生日>ロマンス>一枚の楽譜>姫鏡台と
ブラウン管を賑わすことになる。
当時のフォークシンガーと呼ばれる方々は
テレビに出ないのが、当たり前?であったので
吉田拓郎・井上陽水・かぐや姫が大好きな(笑)
フォーク少年にとっては、ワクワクもの・・・
そして、1年後のガロ再認識。
当時、ラジオ、レコード、平凡・明星の歌本(笑)が
僕の貴重な情報源であった。
「四葉のクローバー」を教えてくれた友だちの家で
「GARO LIVE」を「聴け!」と言うことで
カルピスを御馳走になりながら「聴く!」ことになる。
「暗い部屋」に、異色なものを感じる。
それが、ガロを再認識するきっかけに・・・
いやはや、今思うと自分自身のガロへの思い込み・・・
本末転倒の感が否めない。
それから、ネットもない時代・・・
雑誌やら人伝えで「CSN&Y」に、たどり着くわけである。
ガロの二枚組ベストアルバム「MOETSUKITAHIBI」1980年
一枚目が「シングル発売順」
二枚目が「三人が三曲ずつ選んだ曲」
もちろんLPである。(CDあるのかなぁ?)
一枚目と二枚目のギャップが、
ガロの苦悩だったのかなぁ?と
今更ながら、考えたりもする。
あれから、40数年になるが、
いまだに「生ギター」の「音」が好きである。
これも「ガロ」の影響がないわけではない。
そんな振り返りさせてくれた「Ya☆Chariのイベント」と・・・
・・・別府博堂村に感謝したい。
【追伸】
生ギターの音の追及で・・・
Charley氏は、こんなことも教えてくれた(^^ゞ
L.R.BAGGS ( エルアールバックス ) / Lyric