まず、日本共産党福島県委員会で原発事故の実態や被害の状況、住民の様子などについて話をききました。町田和史書記長は、「国と東電の対応に不満が大きく、除染、賠償、原発ゼロについて『オール福島』の県民運動が広がっている」と語っていました。
相馬漁協(相馬市)の建物前には津波で打ち上げられた漁船がまだ残っていました。魚市場の建物も無惨な姿のままでした。「放射能の影響で漁業再開のめどが立たないため放置されています」との説明をきき、悲しくなりました。
沿岸部は広範な米作地域でもありました。津波が襲い潮をかぶった田んぼが広がっていました。道沿いには各所にガレキの山も・・・。津波と原発事故の影響の深刻さを痛感しました。
計画的避難区域である飯舘村では、家や店があるのに人の姿が見えない、なんとも言えない異様な雰囲気でした。村役場には、ボランティアで警戒活動をされている住民が集まっていました。60歳くらいの男性は「私たちの人生は除染で終わる。まちの将来展望が見いだせない。アメリカには情報を流し、我々には隠していた国と東電に憤りを感じる」と話していました。
最終的に南相馬市原町の警戒区域(20㎞)境まで行きました。「従業員の生活がかかっているから工場は止められない」と、境界ぎりぎりのところで仕事をしている方々に会いました。
移動途中、放射線量測定器を使って14ヶ所で線量を測定しました。高いところは7μシーベルト/時もありました。
相馬漁協(相馬市)の建物前には津波で打ち上げられた漁船がまだ残っていました。魚市場の建物も無惨な姿のままでした。「放射能の影響で漁業再開のめどが立たないため放置されています」との説明をきき、悲しくなりました。
沿岸部は広範な米作地域でもありました。津波が襲い潮をかぶった田んぼが広がっていました。道沿いには各所にガレキの山も・・・。津波と原発事故の影響の深刻さを痛感しました。
計画的避難区域である飯舘村では、家や店があるのに人の姿が見えない、なんとも言えない異様な雰囲気でした。村役場には、ボランティアで警戒活動をされている住民が集まっていました。60歳くらいの男性は「私たちの人生は除染で終わる。まちの将来展望が見いだせない。アメリカには情報を流し、我々には隠していた国と東電に憤りを感じる」と話していました。
最終的に南相馬市原町の警戒区域(20㎞)境まで行きました。「従業員の生活がかかっているから工場は止められない」と、境界ぎりぎりのところで仕事をしている方々に会いました。
移動途中、放射線量測定器を使って14ヶ所で線量を測定しました。高いところは7μシーベルト/時もありました。