平成22年11月13日(土)三岐鉄道大矢知駅前で、第3回四日市久留倍(くるべ)遺跡まつりのオープニングセレモニーがあり、 9時よりウォーキングが、 古代衣裳隊を先導にスタート 9時25分~40分長倉神社を参拝 9時50分久留倍遺跡に到着 発掘経緯と説明(四日市教育委員会 山中彰 三重大人文学部)があり 撮影会では「せんとくん」と古代衣裳の皆さんと一緒に記念撮影を楽しんだ。その後天武天皇が大矢知町斉宮(いつき)の迹太川(とほがわ)「通説では現在の朝明川」のほとりより伊勢神宮を遥拝した跡を出発し同町下の宮の耳常神社を経由しあさけプラザに11時45分到着、参加お礼の挨拶後解散
午後は1時より4時30分まで 特別講演会
講師は
同志社大学名誉教授 森 浩一氏
「伊勢国雑考」(特に持統天皇と聖武天皇の行宮)
奈良文化財研究所 馬場 基氏
「聖武天皇と万葉歌人と伊勢」
三重大学人文学部教授 山中 彰氏
「伊勢斎王の悲劇」(大來媛皇女 おおくのひめみこ)
万葉にみる斎王
到川曲坂下、而日暮也。以皇后疲之、暫留輿而息。
川曲(かわわ)の坂下(さかもと)に到りて、日暮れぬ。皇后(きさき)疲れたまふを以て、暫く輿
(みこし)を留めて息む。
然夜曀欲雨。不得淹息而進行。於是、寒之雷雨巳甚。
然るに夜曀(よくも)りて雨ふらむとす。淹休(ひさしくやま)むこと得ずして進行(みた)す。
是(ここ)に、寒くして雷(いかづち)なり雨ふること巳甚(はなはだ)し。
従駕者、衣裳濕、以不堪寒。乃至三重郡家、焚屋一間、而令榲寒者
駕(みゆき)に従(したが)ふ者(ひと)、衣裳湿(きものぬ)れて、寒きに堪へず。乃(すなは)ち
三重郡家(みえのこほりのみやけ)に到りて、家一間(いへひとつ)を焚(や)きて、寒(こ)いたる者を温めしむ。・・・・中略・・・・
丙戌、旦、於朝明郡迹太川邊、望拝天照太神。
丙戌日(ひのえいぬのひ 6月26)に、旦(あした)に、朝明郡(あさけのこほり)の迹太川(とほかわ)辺(へ)にして、天照太神を望拝(たよせにをが)みたまふ。
---岩波文庫 日本書紀(5)より抜粋---
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