前のビルに移って
教室経営と
作品創りだけになった
1F、2Fは店舗だが
3Fは裏に入り口があって
人の出入りはほとんどない
隣りの印刷屋さんが
同じ年で
親子でやっている
旧式の印刷機械で
鉛の文字を組み合わせて
刷っていく
名刺は
手で一枚ずつ刷っていく
俳句の同人誌などを
作っていた
この時代が
横浜で一番長い
教室がメインで
生徒さんは40名位いた
教室を
もろあ会という組織にして
毎年教室展を開いたり
他の教室の先生を呼んで
講習会を行ったり
皆んなで旅行に
行ったりしていた
生徒さん同士の交流も盛んで
活気があった
年齢も
自分より上の人がほとんどで
自分の親と
同じ年齢の人も
多かった
60代から80代
20年以上続いている人も
多かった
家族みたいな感じだ
だから皆んなに
よくしてもらった
鎌倉の小町通りに
鎌倉画廊があり
そこで毎年教室展を
開いていた
当時は
観光客が多く
よく売れた
売るほうも大変だ
売る人
袋に入れる人
お金をもらう人
売れた物をノートに書く人
値札を剥がして
出品表に貼る人
お客さんが多い時は
てんてこ舞い
売るほうも5、6人
帰りは皆んなで
釜めし屋で
食事をして帰った
鎌倉は画廊代が高いので
4日か3日だった
8年位続いた
その後は
関内の神奈川新聞社ギャラリー
売るより
見せる作品作りに
なって行った
革の魚達展
それぞれが好きな魚を作る
ギャラリーは
水族館になった
毎回神奈川新聞の記者が
来ては
カラーで
載せてくれた
ギャラリーの人や
新聞記者の人とも
仲良くなった
ところがギャラリーの
入っているビルが倒産
敢えなく止めることに
毎年やるからと
ギャラリーに
小さな冷蔵庫を
寄付してた
ビールを入れておく為に
倒産すると
中に入ることも
出来なくなった
残念