先日、京都の帰り電車から降りると妻から一方を受ける。
「おっちゃん亡くなったんやって!」
私の頭の中には疑問符だけが浮かび、そこからしばらく信じられなかった。
私の叔父は、ついこの間、大腸癌の手術をし順調に経過していた。術前にお見舞いに行き、状況と叔父の体を見たところ、今日明日中に死ぬというような状態ではないことは私達看護師が見れば直ぐにわかるほど健康であった。
術後、私の母親がお見舞いに行っていたようであるが、私は多忙を理由に
「順調に回復してるやろ。心配いらんよ」とその叔父に顔をださなかった。今から思えば、行くべきであったと後悔している。
死亡の一方を受け、私は父親と合流、急いで病院へ向かう。叔父の居場所は病室ではなく、既に霊安室へ移されていた。顔を見ると、術前に見た顔とまったく同じ。ふっくらした肉付きに、今にも話し出しそうな表情。
私は、叔父が死亡したとの一方を受けたときから、必ず原因を突き止めなくてはならないと気が張っていた。大腸癌で、手術も順調に終わり急に死亡するなど通常はありえない。主治医と話す時間を持ち、何かの形にしなければと思った。
身内は、皆声をそろえて治療に対して「おかしい」と口を揃える。しかし、専門的知識がなく、医師の説明に納得せざるを得ず、反論も専門的知識にねじ伏せられる。そこで、怒り心頭のもう一人の叔父が私にその依頼(医師と話をし、原因を突き止める)をしてきたという格好である。
私は、使命感に駆られ医師の説明を受けに行った。夜間の詰め所で真剣に聞く、かならずごまかしがあってはならない。その医師に逃げ道を作ってはならない。その思いで、説明を聞いた。カルテのみの説明(ここでは、直ぐにカルテを見せてもらうことが出来た。その主治医が進んで見せてくれた形だが)に、レントゲンフィルム・CTとカルテを照らし合わせて話をするよう要求、医師の前であえてメモを取る格好。血液データも細かく聞き、薬剤の使用についても不適切な部分については、すぐさま指摘し、主治医にプレッシャーを与えた。医師も疲れきっている様子ではあったが、なんとかこの場を打破しようと、状況のみの説明。適切であったとかそうでなかったとかには極力触れないようにしているように感じた。カルテには、想像を絶したであろう叔父の苦しみが、看護記録として如実に表現されていた。悔しくて、その途中で涙が一気に溢れ出し、カルテのコピーを依頼後とありえず、詰め所を後にした。
私は、叔父の家族と話し合った。まず、医療訴訟を視野に入れて動くのかどうかである。家族も私を頼ってくれている様子で「解剖せなあかん?」と辛そうにする。だが、同時にできれば父親の体は開けたくないと。可愛そうであると。家族であれば誰もが抱く気持ちも聞いた。その上で、私の中で一つの考えが浮かんだ。それは、
※もう一度主治医と話をし、治療に関して謝罪を受け、家族に納得してもらう。
これが、家族にとっても、医師にとってもそして叔父にとっても一番なのではないかと考えたのである。
治療に関して意義を唱えれば、材料はある。しかし、このケースでそれだけのメリットはあるだろうかと考えた。まずは、①家族が納得すること、そして②亡くなった叔父も満足してくれるであろうかということ。最後に、③主治医にもよい結果を与えるべきであろうと私は考えたのである。この考えが最良とすると、方法論として謝罪を受けることが一番であるという判断である。(③については、ブログを読みすすめれば後でわかることなのでここでは触れないようにする。)
霊安室から、詰所に出向き再度主治医を呼び出す。しかし、既に帰宅したということ。私は、無理にでも連絡が取れないかと看護師に交渉、携帯電話に繋げてもらった。聞けば、遠方に帰ってしまったという。話し合いは、後日であればいつでもいけるし、家族に合わせるという趣旨の会話。しかし、私には時間がない。医師の対応が不適切であるならば、私の考えてる方向に転換を迫られる。つまり、叔父の解剖の段取りなど、したこともない段取りも視野に入れなくなってくるからである。
主治医に謝罪を含めた私の意向を伝えた。直ぐに戻ってくることも誠意の一つであろうと・・・。一瞬と惑っていたが、主治医はタクシーで1時間ほどかけて来るとの言葉を口にした。私は待った。どのような流れになるか正直不安であったが、できる限りのことはしたいと必至であった。
主治医が到着した。外来の一室を借り、私と家族を含めた話をする。
1、術後合併症の症状が第三者の私でもわかった看護記録の記載があるにもかかわらず、全体的な処置が後手に回っていたという事
2、明らかに術後合併症が日に日に増悪しているなかで、鎮痛剤や抗精神病薬でその増悪の原因療法を実施せず、ぎりぎりまで対症療法としてでしか対応していなかったということ
3、二度目の開腹時期が一日半(これはあくまで私の見解)は、遅れていたのではないかということ
大きく分けて、この3点について医師に謝罪を求めた。医師は直ぐには謝罪という形は見せなかったが、否定もしていなかった。というのは、現状適切な処置ができていなかったかもしれないということは、なんとなく認めていたが、主治医本人にもその責任があったという謝罪は見られなかったということである。私は、その形をはっきりするべく、要点をさらに絞り各々の問題点について間違っていたかどうかの返事がほしいと問い詰めた。そして、やっと謝罪の言葉が聞けたのであるが、私に向かっての返答であったので、家族のほうに向いてマスクをはずし伝えるよう話した。そこで、素直に謝罪してくれ、家族も何とか納得してくれたようであった。
これが、一連の経緯であるが、この後私は家族には外に出てもらい、主治医と1対1で話をした。私は、
○人の命を扱っている仕事である以上、人の死に対して鈍感になってもらいたくない
○看護師などは、仕事の上で毎回患者が死ぬたびに落ち込むことを否定する人間もいるが、毎回泣けることは医療従事者としてすばらしいことであること。
○私も、看護師であるが、患者を助けるだけが看護師であるとは思っていない。家族や出会う人々に、できる限りその手を差し伸べるのがその使命であるということ。つまり、主治医であるあなたにも何らかの形で助けたいという事
○私は、真剣に看護師をしている。本やブログを書いているのは、ただ目立ちたいからではないということ。医療を根底から変えたいと思っているということ
等々を懇々と伝えた。
主治医は、緊張の糸が取れたのか
「あぁ・・・・、一日遅かったなーーーーー」
と下を向きながら、大きなため息をついた。
私は、その表情と声を見て安心した。亡くなった叔父のことに対して、一つの手術の材料としてみているのではなく、一人の命として見てもらえていたのだと。それだけに、そのようなショックを受けた表情を、医師という立場を捨て、一人の人間として、反省してくれたのだとわかった。そこから、
・家族のために早く帰ってあげてほしいこと
・家族を大事にしてあげてほしいということ
・私も看護師として失敗してきて落ち込んだことは多々あるということ
・一人の医師として腐った感情を持った医師にならないでほしいということ
等々を伝えた。
このブログでさらに詳細を伝えることは、医師の立場を攻撃することにもなりかねないので、触れるには限界があることは了承してほしいのだが、最後に、
「越智さんは、何故私にそこまでしてくださるんですか」
との嬉しい言葉をいただいた。そこで私は、この記事の冒頭にあげた
③の主治医にもよい結果を与えるべき
と考えていたことの詳細を伝えた。話の大前提として、家族はもとより叔父が誰よりも一番苦しかったことを伝え、
・今回は、結果が良くなかったとい事に加え、私の静かで攻撃的《医療訴訟を考慮した》なアプローチがあり、主治医も最高の苦しみを味わったであろうということ
・私は医療従事者としてそれを助ける義務があること
・今回、あなたを助ける(精神面)というだけではなく医師としてすばらしい人間になってほしいということ
等を伝えた。
今回の叔父の死は、色々と考えさせられることが多く、私も医療従事者として一歩大きくなったように感じた。その主治医には、今回のことをきっかけに一つの問題が済んだからと、そのままもとの医師業務に戻るのではなく、長々と話をしたことを糧にして、医療技術そのものと同時に、医療従事者としての心というものをもっと磨いていって欲しい思うし、私自身、主治医に対してこころからそのことを願っている。
真の医療従事者とはどうあるべきか、治療とは、薬剤を施すことか、手術をすることか?いや違う。患者に対して、仕事としてコミュニケーションを図ればそれでよいのか。それも違うだろう。医療従事者として、自分の手の届く範囲の人間には、全てそれを還元することが本当の医療ではないだろうか。
※医師よ真の治療者たれ!
私は、その医師にその言葉を伝えたい。きっとこれからも良い医師を目指して行ってくれるであろう事を信じて・・・・。
最近ますます面白くない記事になってきて重症ですが、一つずつクリック願いま~す。面倒くさいのはわかってます!!でもお願いします!!!それと、タナベフジオ氏のスピード感あふれるCGアニメもご覧におなり!幽霊冷蔵庫もついでに見よ!
最後までご閲覧いただきありがとうございます。拙著本「精神科看護師、謀反」も看護の参考にしていただければ幸いです。
「おっちゃん亡くなったんやって!」
私の頭の中には疑問符だけが浮かび、そこからしばらく信じられなかった。
私の叔父は、ついこの間、大腸癌の手術をし順調に経過していた。術前にお見舞いに行き、状況と叔父の体を見たところ、今日明日中に死ぬというような状態ではないことは私達看護師が見れば直ぐにわかるほど健康であった。
術後、私の母親がお見舞いに行っていたようであるが、私は多忙を理由に
「順調に回復してるやろ。心配いらんよ」とその叔父に顔をださなかった。今から思えば、行くべきであったと後悔している。
死亡の一方を受け、私は父親と合流、急いで病院へ向かう。叔父の居場所は病室ではなく、既に霊安室へ移されていた。顔を見ると、術前に見た顔とまったく同じ。ふっくらした肉付きに、今にも話し出しそうな表情。
私は、叔父が死亡したとの一方を受けたときから、必ず原因を突き止めなくてはならないと気が張っていた。大腸癌で、手術も順調に終わり急に死亡するなど通常はありえない。主治医と話す時間を持ち、何かの形にしなければと思った。
身内は、皆声をそろえて治療に対して「おかしい」と口を揃える。しかし、専門的知識がなく、医師の説明に納得せざるを得ず、反論も専門的知識にねじ伏せられる。そこで、怒り心頭のもう一人の叔父が私にその依頼(医師と話をし、原因を突き止める)をしてきたという格好である。
私は、使命感に駆られ医師の説明を受けに行った。夜間の詰め所で真剣に聞く、かならずごまかしがあってはならない。その医師に逃げ道を作ってはならない。その思いで、説明を聞いた。カルテのみの説明(ここでは、直ぐにカルテを見せてもらうことが出来た。その主治医が進んで見せてくれた形だが)に、レントゲンフィルム・CTとカルテを照らし合わせて話をするよう要求、医師の前であえてメモを取る格好。血液データも細かく聞き、薬剤の使用についても不適切な部分については、すぐさま指摘し、主治医にプレッシャーを与えた。医師も疲れきっている様子ではあったが、なんとかこの場を打破しようと、状況のみの説明。適切であったとかそうでなかったとかには極力触れないようにしているように感じた。カルテには、想像を絶したであろう叔父の苦しみが、看護記録として如実に表現されていた。悔しくて、その途中で涙が一気に溢れ出し、カルテのコピーを依頼後とありえず、詰め所を後にした。
私は、叔父の家族と話し合った。まず、医療訴訟を視野に入れて動くのかどうかである。家族も私を頼ってくれている様子で「解剖せなあかん?」と辛そうにする。だが、同時にできれば父親の体は開けたくないと。可愛そうであると。家族であれば誰もが抱く気持ちも聞いた。その上で、私の中で一つの考えが浮かんだ。それは、
※もう一度主治医と話をし、治療に関して謝罪を受け、家族に納得してもらう。
これが、家族にとっても、医師にとってもそして叔父にとっても一番なのではないかと考えたのである。
治療に関して意義を唱えれば、材料はある。しかし、このケースでそれだけのメリットはあるだろうかと考えた。まずは、①家族が納得すること、そして②亡くなった叔父も満足してくれるであろうかということ。最後に、③主治医にもよい結果を与えるべきであろうと私は考えたのである。この考えが最良とすると、方法論として謝罪を受けることが一番であるという判断である。(③については、ブログを読みすすめれば後でわかることなのでここでは触れないようにする。)
霊安室から、詰所に出向き再度主治医を呼び出す。しかし、既に帰宅したということ。私は、無理にでも連絡が取れないかと看護師に交渉、携帯電話に繋げてもらった。聞けば、遠方に帰ってしまったという。話し合いは、後日であればいつでもいけるし、家族に合わせるという趣旨の会話。しかし、私には時間がない。医師の対応が不適切であるならば、私の考えてる方向に転換を迫られる。つまり、叔父の解剖の段取りなど、したこともない段取りも視野に入れなくなってくるからである。
主治医に謝罪を含めた私の意向を伝えた。直ぐに戻ってくることも誠意の一つであろうと・・・。一瞬と惑っていたが、主治医はタクシーで1時間ほどかけて来るとの言葉を口にした。私は待った。どのような流れになるか正直不安であったが、できる限りのことはしたいと必至であった。
主治医が到着した。外来の一室を借り、私と家族を含めた話をする。
1、術後合併症の症状が第三者の私でもわかった看護記録の記載があるにもかかわらず、全体的な処置が後手に回っていたという事
2、明らかに術後合併症が日に日に増悪しているなかで、鎮痛剤や抗精神病薬でその増悪の原因療法を実施せず、ぎりぎりまで対症療法としてでしか対応していなかったということ
3、二度目の開腹時期が一日半(これはあくまで私の見解)は、遅れていたのではないかということ
大きく分けて、この3点について医師に謝罪を求めた。医師は直ぐには謝罪という形は見せなかったが、否定もしていなかった。というのは、現状適切な処置ができていなかったかもしれないということは、なんとなく認めていたが、主治医本人にもその責任があったという謝罪は見られなかったということである。私は、その形をはっきりするべく、要点をさらに絞り各々の問題点について間違っていたかどうかの返事がほしいと問い詰めた。そして、やっと謝罪の言葉が聞けたのであるが、私に向かっての返答であったので、家族のほうに向いてマスクをはずし伝えるよう話した。そこで、素直に謝罪してくれ、家族も何とか納得してくれたようであった。
これが、一連の経緯であるが、この後私は家族には外に出てもらい、主治医と1対1で話をした。私は、
○人の命を扱っている仕事である以上、人の死に対して鈍感になってもらいたくない
○看護師などは、仕事の上で毎回患者が死ぬたびに落ち込むことを否定する人間もいるが、毎回泣けることは医療従事者としてすばらしいことであること。
○私も、看護師であるが、患者を助けるだけが看護師であるとは思っていない。家族や出会う人々に、できる限りその手を差し伸べるのがその使命であるということ。つまり、主治医であるあなたにも何らかの形で助けたいという事
○私は、真剣に看護師をしている。本やブログを書いているのは、ただ目立ちたいからではないということ。医療を根底から変えたいと思っているということ
等々を懇々と伝えた。
主治医は、緊張の糸が取れたのか
「あぁ・・・・、一日遅かったなーーーーー」
と下を向きながら、大きなため息をついた。
私は、その表情と声を見て安心した。亡くなった叔父のことに対して、一つの手術の材料としてみているのではなく、一人の命として見てもらえていたのだと。それだけに、そのようなショックを受けた表情を、医師という立場を捨て、一人の人間として、反省してくれたのだとわかった。そこから、
・家族のために早く帰ってあげてほしいこと
・家族を大事にしてあげてほしいということ
・私も看護師として失敗してきて落ち込んだことは多々あるということ
・一人の医師として腐った感情を持った医師にならないでほしいということ
等々を伝えた。
このブログでさらに詳細を伝えることは、医師の立場を攻撃することにもなりかねないので、触れるには限界があることは了承してほしいのだが、最後に、
「越智さんは、何故私にそこまでしてくださるんですか」
との嬉しい言葉をいただいた。そこで私は、この記事の冒頭にあげた
③の主治医にもよい結果を与えるべき
と考えていたことの詳細を伝えた。話の大前提として、家族はもとより叔父が誰よりも一番苦しかったことを伝え、
・今回は、結果が良くなかったとい事に加え、私の静かで攻撃的《医療訴訟を考慮した》なアプローチがあり、主治医も最高の苦しみを味わったであろうということ
・私は医療従事者としてそれを助ける義務があること
・今回、あなたを助ける(精神面)というだけではなく医師としてすばらしい人間になってほしいということ
等を伝えた。
今回の叔父の死は、色々と考えさせられることが多く、私も医療従事者として一歩大きくなったように感じた。その主治医には、今回のことをきっかけに一つの問題が済んだからと、そのままもとの医師業務に戻るのではなく、長々と話をしたことを糧にして、医療技術そのものと同時に、医療従事者としての心というものをもっと磨いていって欲しい思うし、私自身、主治医に対してこころからそのことを願っている。
真の医療従事者とはどうあるべきか、治療とは、薬剤を施すことか、手術をすることか?いや違う。患者に対して、仕事としてコミュニケーションを図ればそれでよいのか。それも違うだろう。医療従事者として、自分の手の届く範囲の人間には、全てそれを還元することが本当の医療ではないだろうか。
※医師よ真の治療者たれ!
私は、その医師にその言葉を伝えたい。きっとこれからも良い医師を目指して行ってくれるであろう事を信じて・・・・。
最近ますます面白くない記事になってきて重症ですが、一つずつクリック願いま~す。面倒くさいのはわかってます!!でもお願いします!!!それと、タナベフジオ氏のスピード感あふれるCGアニメもご覧におなり!幽霊冷蔵庫もついでに見よ!
最後までご閲覧いただきありがとうございます。拙著本「精神科看護師、謀反」も看護の参考にしていただければ幸いです。
もっさんの医療者としての冷静さは素晴らしいと思います。
たとえ医療関係者でも身内となれば感情的になってしまうところですが、
まずは、医療を提供する人間は誠意を持ってほしいと思いますよね。
どんなに腕が良くても、対応が悪ければ患者としては気分悪いもんです。
スゴク腕のいいラーメン屋の頑固おやじに
「しゃべるな!だまって食え!」と言われたら、
おいしいものもおいしくなくなります。
食べ物で例えるのはおかしな話ですが、
みんなで食べるからおいしさもupするわけで、
ゆえに満足度があると医療者の腕がいいということですよね。
長くなりましたが、
ご冥福をお祈りいたします。
今後の活躍、期待してます。
まぁ、かなり複雑でしたよ。あれだけ元気な叔父が突然の電話で訃報を知らされたんですからね。ほんとあっけないものですよ。変なオカルト教団に入る人たちの気持ちもわからなくはありませんよ・・・・。
記事に書くことが出来ませんでしたが、その医師は決して悪い医師ではなかったんです。あ、一番重要なことを書き忘れましたが、後日身内から聞いた話によると、泣きながら心臓マッサージをしてくれたそうで、私はそれを聞いて胸が痛くなりました。その医師とも話をしましたが、自分の中でもかなりの色々な葛藤があったように思います。その医師には、いろんな意味で大きくなってもらいたいものです。
叔父様のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
もっさんの記事を見て、恥ずかしくなり反省すること多々です。
【たとえ医療関係者でも身内となれば感情的になってしまうところ】夏女さんの言う通り。先日、私が実父の療養の件で記事にしていたのですが、まさにその通りで・・・。
【真の医療従事者とはどうあるべきか、治療とは、薬剤を施すことか、手術をすることか?いや違う。患者に対して、仕事としてコミュニケーションを図ればそれでよいのか。それも違うだろう。医療従事者として、自分の手の届く範囲の人間には、全てそれを還元することが本当の医療ではないだろうか。】
丁度、患者さんとの関わりで上手くいかず、新人の頃以来・・・いや、何度も注射に失敗して以来初めてかな?『担当を替えて!』って言われちゃって、かなりショックを受けた所・・・。
なかなかその場の状況や患者さんを知ると言う所で戸惑っていたんだけれど、結局そんな所も見透かされて振り回された挙句、放り投げられた感じになっちゃってね。看護師なんて、経験年数じゃないなぁ・・・って思ったよ。看護や医療に対してどういう思いを持ち続けるか。
もっさんのコメントのこの部分、もらっていっても良いかな?
ネットみて泣けてきたのは電車男いらいでしょうか。
とりあえず、お疲れさんです。
医師の謝罪なんかホントないことだと思いますよ。
しかも、一医師がその場で謝罪は、信じられない部分があります。
だからこそ、もっさんの気持ちが相手に伝わっているのだろうなあと思います。
それにしても、感銘するのは、もっさんがその場でいろいろ考え行動したことです。普段から看護師としていろいろ見つめているもっさんだからだと思いました。自分で間違いなくできないことです。
とにかく、今回はみんなにとって(叔父さんもふくめて)良いけっかであったんだろうと・・・生意気ですが。
患者に拒否されることなんて無い方がおかしいですよ。むしろ、されたほうが自分の成長が早まるんじゃないですかね。拒否されるのは、患者との関わりの一過程にすぎません。また、自分の看護師人生の一過程でもあります。私達看護師は、【拒否】されたとき、それが患者との関わりの最終結果であったり、自分の看護人生の評価のように思ってしまってませんか?私だって、拒否されたりしますよ。こういうのって、ちょうど患者のことについて考えさせられるいい機会になっていいと思いますよ^^
あ、私のどの部分の言葉かわかりませんが、宣伝付ならいつ何時どのように使ってもらっても良いですよ。盗用じゃなくて、引用という形で^^
私がすごいんじゃないと思いますよ。医療従事者としてあるべき行為を当然のごとく舌までです。すごいのは、私の気持ちを受け入れてくれた主治医ですよ。私は、その主治医に敬服以外の言葉が見当たりません(探せば見つかるのかもしれませんが(汗))。
今日、子どもの英会話の帰り、突然叔父のことを思い出して、涙が出てきたんですよ。あの時あれだけ元気だったのになって・・・・。コピーして持ち帰った看護記録を読むたびに、表現できないくらいの苦しみだった事が伝わってくるんです。私の子どもに、「おっちゃんかわいそうやったなぁ」というと、「何で突然思い出したん?」って・・・・、子どもの感性には、本当に驚かされますよ。人の命、考えれば考えるほど深みにはまりますね。
そうだねぇ、何年看護師していたって失敗・・・と言うより、患者さんからのそういう場面は勉強として取らなくてはいけないですよねぇ。 入院当初からちょっと癖のあるその患者さん、入院予定時間を平気で3時間遅刻し、説明しておいても一晩立ったら「そんな話、聞いていない」 オペ後観察点が色々あるのでその度説明したり、患者さんの意向に一つ一つ聞き入れながらやってたんだけれど、逆切れ(?) 私の方が切れ掛かっていたけれど先にやられたって感じ。どうにか関係を修復したいと考えているけれど・・・明日の夜勤、どうなることやら・・・。
一度こじれた関係を修復するのって、相手を十分に受け入れますよ・・・って意思表示しても、一度蹴られてからなんだか嫌悪感まで持たれちゃって・・・初めてのことでの戸惑いと、彼女がどういう看護を求めているのかを知るためにはどうしたらよいかを模索中です。
ありきたりな言葉のようですが、関係を修復することを目標とするのではなくて、関係を修復する過程を考え、学ぶという姿勢を忘れないようにすることを目標としましょう。結果、関係が修復されればそれはそれでお互いにとって良いことでしょうし、仮に修復されなくても、身につくことは大きいはずです。
私の父は、私が19歳の時に死にました。
糖尿病の合併症により、腹膜透析を行っていました。
およそ1年半入院していました。
未だに後悔していることがあります。
外泊中の父親が、冷蔵庫から巨峰をこっそり3粒だけ持っていったのです。
当時高校生の私は、「糖分摂取は、糖尿病を悪化させる」という浅い理解しかありませんでした。
私は、父親が手の中に隠している葡萄を戻すように言ったのです。葡萄を戻してくれた父親を見て、当時は「分かってくれてよかった。」と短絡的に安心していました。父親を深く傷つけたことに気付かず。その時の父親の俯いた表情を思い出すと、黙ってか薦めてかわかりませんが「食べさせてあげたかった。」と後悔が残っています。
最終的には、状態の悪化が加速して行き、苦痛が延命を上回る状況まで進行しました。
母親の決断は「治療の中断」でした。必死だった母親の決断を私が止めることなど出来ませんでした。
父親が、食べたいというものを母親は毎日買って行き食べさせ続けました。
1週間後、父が息を引き取る間際「あんたは一人でも生きていけるやろう!私はお父さんと死ぬ!」と言って泣き崩れました。
多くの慢性期疾患は、医療現場の人たちにとって「扱いにくい存在」という印象を与えてしまう行動をバレルとわかっていても行動に移す(移してしまう)様に感じます。
何度か、医師やスタッフと衝突することがありました。次第に、医師やスタッフに、家族の真剣な気持ちや苦しみが伝わったのでしょう。少しづつ、対応や言葉かけに変化が現れました。
退院のとき、スタッフは皆さん泣いてくれました。
かなりの時が過ぎたとき、スタッフの視点が治療者としてだけではなく、患者本人と家族の視点も感じてくれたのではないかと思いました(思っています。)
約7年前、肝癌末期で腹水穿刺を数回繰り返し亡くなった親戚の話です。
腹水穿刺にリスクがあること、対症療法であることは私も看護師である妻も十分承知しています。
あるとき、主治医でなくインターンが穿刺を担当しました。その日から血性の腹水が出るようになり、1週間を待たずに亡くなってしまいました。
かなり苦しんでいたにも関わらず、現場スタッフの対応は「鎮痛座薬」でした。バイタルサインを表にすることと、ぞんざいな排泄介助しか行ってもらっていません。
解剖をすれば、破裂なのか誤穿刺なのかはっきりするのでしょう。担当したインターンは、饒舌な主治医の後ろでパニック様の面持ちで項垂れていました。
結果的には、訴訟には進みませんでした。
主治医と現場看護師の対応しか見ていなかったら、訴訟を薦めていたと思います。
妻の急激な腹痛で、同病院の夜間外来に行ったときは、受診時に取れる検査を一通りした挙句、私も妻も身に覚えの無い診断「子宮外妊娠疑い」で、ダグラス窩穿刺をされそうになりました。「なぜ、子宮外妊娠を疑うのか?」説明を求めても、キレぎみに素人を煙に巻くような稚拙なコメントしかできず強行姿勢を見せたため「画像診断で出てないのに、穿刺するつもりか!」と言ってしまいました。
結局、2万円のボルタレン座薬で治癒。一時的な神経レベルの炎症だったようです。
「3本そろっても、折れる矢は折れる」ということでした。
もっさんの
「すごいのは、私の気持ちを受け入れてくれた主治医ですよ。」
共感します。
リアクションは、自分の言動の「映し鏡」と思っています。もっさんの真意が通じた結果だと思っています。「良きお医者さん」になってくれることを、私も切望します。