障がい者
最近、広まりつつあるこの表現。医療関係者などの団体では当たり前のように使う。理由はこうだ。
『障害者の"害"の字が不快感を与えて好ましくない。また、一般的に「障がい者」の"害"の字には「悪くすること」「わざわい」などの否定的な意味があり、「障害」は本人の意思でない生来のものや、病気・事故などに起因するものであることから、その人を表すときに"害"を用いることは人権尊重の観点からも好ましくはない。』との理由。
この風潮は、平成13年多摩市議会に始まった。今では、これが世間に認知されたのか、さらに幅を効かせている。
これは、果たして地方公共団体が決めてまでする問題なのだろうか。日本語を変えてまでする問題なのだろうか。私からすれば、これは都合のよい一方的な解釈に過ぎない。色々調べているうちに、私の解釈と近いものがあったのでそれをやや読みやすくして転用する。以下
『言葉の表面だけを改めても根本的な問題解決には役に立たない。「がい」とはどう云ふ意味かと聞かれると「害」と説明するしかない。何でも易しく書き改める今の風潮は、言葉自體の命を奪ふ恐れがある。ちなみに「障害」は、正しくは「障礙(碍)」と書く。「障礙」の「礙」は「礙子」の「礙」と同じ。礙は「さまたげる」「へだてる」「ささへる」の意。もつとも、「障礙者」自體が「片端(かたわ)」の言換へなので、話は實にややこしい。片端→障礙者→障害者→障がい者……何囘言換へれば氣が濟むのか。勿論、永遠に濟まない。
もともとは「片端」の言替へが「障碍者」であり、その言替へが「障害者」であり、それが「障がい者」にまたもや言替へられると云ふのだから、恐らく近いうちに、再び何らかの用語に言替へられるでせう。今度は「障」の字に言ひがかりがつくに違ひない、と推測する』
少し読みにくいが、要は言葉の表面だけを弄ってもなんら人権問題の回避にはならないという事だ。私も、拙著「精神科看護師、謀反」にも同じような事には触れているのだが、人権問題関係者もいい加減に気付くべきだ。いや、気付いているのだろうが、表面の鍍金で彩るのが好きなのだろう。また、医療関係者も何も考えず、無難に「障がい者」と表記して使用している辺りが非常に情けない。
これだけでは、コメントが沢山来ると考えられるのでさらに詳しく説明しておく。
多摩市の「障がい者」とした理由を考えると、もちろん「障」の文字にも問題が出てくる。「害」が「悪くすること」「わざわい」などの否定的な意味として解釈するのであれば、同様に「障」の文字も「障る」とみるなら、「差し支える」と解釈でき、不適切な使用となる。そうなると、「被害者」や「加害者」という言葉も無理に理屈付けして「がい」とさせるには、もはや屁理屈でどうにでもなる。
だが私の実際の解釈はこうである。
仮に「害」という文字を「悪くする事」「わざわい」という解釈であったとしても、それがなぜ人権尊重の観点から好ましくないのかまったく“謎”である。多摩市の解釈を一つずつ紐解くと、
>『障害者の"害"の字が不快感を与えて好ましくない。』
①これは、完全に一部の人間が美談化した“感覚のみ”によるもので、なんら不快感を表す根拠はない。
>一般的に「障がい者」の"害"の字には「悪くすること」「わざわい」などの否定的な意味があり、「障害」は本人の意思でない生来のものや、病気・事故などに起因するものであることから、その人を表すときに"害"を用いることは人権尊重の観点からも好ましくはない。』
②これも、あくまでも一般的な使用方法がそうであるだけであり、「悪くする事」「わざわい」という解釈があるとしても、それは障害者の存在そのものに当てた意味ではないので、なんら人権尊重の観点から問題となる点はない。
もし、多摩市の解釈をそのまま受け入れるとしても、逆に「障害者」という言葉一つにこだわって、他の問題となる言葉を放置している事のほうが人権尊重の観点から、問題である。ところが、そのまま本当に言葉を弄くりだすと日本語は壊滅してしまう。日本の文化そのものが崩壊してしまうのである。
この言葉の文化についても、前回の記事「失禁」についてのコメント欄で触れた話題を転用して説明したい。
「ばかちょんカメラ」という表現。
「これは、朝鮮人をばかにする言葉だから使ってはいけない!」
という意見がある。
しかし、冷静に考えてみてほしい。“ちょん”という言葉自体は、古くは江戸時代以前からある言葉。
その時代から
「ばかだのちょんだののろまだの」
という言葉があるくらいだ。この“ちょん”という言葉は、「おろか」という意味を指す日本古来の言葉で朝鮮人とはなんら関わりのない言葉。朝鮮人が差別されるようになったのは、1910前後日韓併合があった頃からではないだろうか。そう考えると、日本古来の歴史ある日本語を抹殺するという事になってしまう。ただ、
「ばかちょんカメラ」
を朝鮮人にたとえた意味で使用していたのなら、それは最低の言葉遣い。つまりは、言葉そのものの問題ではない。使っている人間がどのような意味を込めてい使用するかであって、いくら日本語を検閲しても差別語は消える事はない。
「障害者」という言葉を「障がい者」にして、満足している団体の気が知れず。できれば自主的に、他の言葉もひらがなにするか、違う言葉で表現するように、それこそ「言葉リスト」を作ればよい。ここまでくると、もはや完全なる偽善集団である。
最近ますます面白くない記事になってきて重症ですが、一つずつクリック願いま~す。面倒くさいのはわかってます!!でもお願いします!!!それと、タナベフジオ氏のスピード感あふれるCGアニメもご覧におなり!幽霊冷蔵庫もついでに見よ!
最後までご閲覧いただきありがとうございます。拙著本「精神科看護師、謀反」も看護の参考にしていただければ幸いです。
最近、広まりつつあるこの表現。医療関係者などの団体では当たり前のように使う。理由はこうだ。
『障害者の"害"の字が不快感を与えて好ましくない。また、一般的に「障がい者」の"害"の字には「悪くすること」「わざわい」などの否定的な意味があり、「障害」は本人の意思でない生来のものや、病気・事故などに起因するものであることから、その人を表すときに"害"を用いることは人権尊重の観点からも好ましくはない。』との理由。
この風潮は、平成13年多摩市議会に始まった。今では、これが世間に認知されたのか、さらに幅を効かせている。
これは、果たして地方公共団体が決めてまでする問題なのだろうか。日本語を変えてまでする問題なのだろうか。私からすれば、これは都合のよい一方的な解釈に過ぎない。色々調べているうちに、私の解釈と近いものがあったのでそれをやや読みやすくして転用する。以下
『言葉の表面だけを改めても根本的な問題解決には役に立たない。「がい」とはどう云ふ意味かと聞かれると「害」と説明するしかない。何でも易しく書き改める今の風潮は、言葉自體の命を奪ふ恐れがある。ちなみに「障害」は、正しくは「障礙(碍)」と書く。「障礙」の「礙」は「礙子」の「礙」と同じ。礙は「さまたげる」「へだてる」「ささへる」の意。もつとも、「障礙者」自體が「片端(かたわ)」の言換へなので、話は實にややこしい。片端→障礙者→障害者→障がい者……何囘言換へれば氣が濟むのか。勿論、永遠に濟まない。
もともとは「片端」の言替へが「障碍者」であり、その言替へが「障害者」であり、それが「障がい者」にまたもや言替へられると云ふのだから、恐らく近いうちに、再び何らかの用語に言替へられるでせう。今度は「障」の字に言ひがかりがつくに違ひない、と推測する』
少し読みにくいが、要は言葉の表面だけを弄ってもなんら人権問題の回避にはならないという事だ。私も、拙著「精神科看護師、謀反」にも同じような事には触れているのだが、人権問題関係者もいい加減に気付くべきだ。いや、気付いているのだろうが、表面の鍍金で彩るのが好きなのだろう。また、医療関係者も何も考えず、無難に「障がい者」と表記して使用している辺りが非常に情けない。
これだけでは、コメントが沢山来ると考えられるのでさらに詳しく説明しておく。
多摩市の「障がい者」とした理由を考えると、もちろん「障」の文字にも問題が出てくる。「害」が「悪くすること」「わざわい」などの否定的な意味として解釈するのであれば、同様に「障」の文字も「障る」とみるなら、「差し支える」と解釈でき、不適切な使用となる。そうなると、「被害者」や「加害者」という言葉も無理に理屈付けして「がい」とさせるには、もはや屁理屈でどうにでもなる。
だが私の実際の解釈はこうである。
仮に「害」という文字を「悪くする事」「わざわい」という解釈であったとしても、それがなぜ人権尊重の観点から好ましくないのかまったく“謎”である。多摩市の解釈を一つずつ紐解くと、
>『障害者の"害"の字が不快感を与えて好ましくない。』
①これは、完全に一部の人間が美談化した“感覚のみ”によるもので、なんら不快感を表す根拠はない。
>一般的に「障がい者」の"害"の字には「悪くすること」「わざわい」などの否定的な意味があり、「障害」は本人の意思でない生来のものや、病気・事故などに起因するものであることから、その人を表すときに"害"を用いることは人権尊重の観点からも好ましくはない。』
②これも、あくまでも一般的な使用方法がそうであるだけであり、「悪くする事」「わざわい」という解釈があるとしても、それは障害者の存在そのものに当てた意味ではないので、なんら人権尊重の観点から問題となる点はない。
もし、多摩市の解釈をそのまま受け入れるとしても、逆に「障害者」という言葉一つにこだわって、他の問題となる言葉を放置している事のほうが人権尊重の観点から、問題である。ところが、そのまま本当に言葉を弄くりだすと日本語は壊滅してしまう。日本の文化そのものが崩壊してしまうのである。
この言葉の文化についても、前回の記事「失禁」についてのコメント欄で触れた話題を転用して説明したい。
「ばかちょんカメラ」という表現。
「これは、朝鮮人をばかにする言葉だから使ってはいけない!」
という意見がある。
しかし、冷静に考えてみてほしい。“ちょん”という言葉自体は、古くは江戸時代以前からある言葉。
その時代から
「ばかだのちょんだののろまだの」
という言葉があるくらいだ。この“ちょん”という言葉は、「おろか」という意味を指す日本古来の言葉で朝鮮人とはなんら関わりのない言葉。朝鮮人が差別されるようになったのは、1910前後日韓併合があった頃からではないだろうか。そう考えると、日本古来の歴史ある日本語を抹殺するという事になってしまう。ただ、
「ばかちょんカメラ」
を朝鮮人にたとえた意味で使用していたのなら、それは最低の言葉遣い。つまりは、言葉そのものの問題ではない。使っている人間がどのような意味を込めてい使用するかであって、いくら日本語を検閲しても差別語は消える事はない。
「障害者」という言葉を「障がい者」にして、満足している団体の気が知れず。できれば自主的に、他の言葉もひらがなにするか、違う言葉で表現するように、それこそ「言葉リスト」を作ればよい。ここまでくると、もはや完全なる偽善集団である。
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サイト名:タイムブログランキング
URL:http://www.time-ranking.com/
はじめまして、「タイムブログランキング」管理人の水本と申します。
先日、BLOGランキングサイトをオープン致しました。
現在ご参加いただけるブログ様を募集しております。
ランキング参加はもちろん無料です。
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よろしくお願い致します。
コメント欄をお借りしてのご案内をお許し下さい。
※検索サイト・ランキングサイト等より訪問しております為、
重複してのご案内になりましたらお詫び申し上げます。
言葉の由来は私も存じておりませんが、それはもう、俗に言う“言葉狩り”の世界に位置しているように思いますね。フェミニズム思考や、左よりの団体はそういう表現が大好きですね。
漁業は漁師の言い換えが無い。でも、漁師と百姓は長きに渡り、みんなの食料を生産してきたはず、どうして、百姓と言う言葉だけが差別と言うことで消えてしまったのだろう?
だいたひかるですな。ま、私の今回の記事の総括が、だいたひかるですよ。ど~でもい~いですよ♪
コメントサンクス。にーさんのコメントにはあえて返事しますまい。読ませてもらうだけで楽しいですわ。これからもコメントおくれ。
最近ちょっぴり寂しいのでなぁ。
精神分裂病→統合失調症と変わって、何が変わったんだろうか?と考えたコトがあったけど。
たとえば、障がい者の方々が「障害者」と言われるのがイヤだというなら分かりますがね。障害もってる友達なんかはなんのこっちゃ?どーでもいいよって感じですよ。
体調、だいぶ戻られたようですね^^
「障害者」と「障がい者」に似た言葉で、
「麻痺側」「非麻痺側」という表現がありました。これは、麻痺がある側とない側を総称して「健側」「患側」と呼んでいたものを、「麻痺側」「非麻痺側」(この言葉自体、使ってはいけないという意味ではありませんが)と表現しようと一部で言い出した時期がありました。結局なじまず、その言葉は主流ではなくなりましたが、これも今回の言葉の問題に直結しているものだと思います。
健常者等々の表現ですが、もはや言葉のもんではありませんよね。物事の根底から考え直す必要がありますね。私達が起こしている行動ひとつひとつが、それぞれの言葉に劣等感などのイメージを植え付けているのかもしれません。私達日本人は、本来の日本語とは何かをもう一度考え直す時期に来ているのかもしれないですね。
24時間TVも終わり、すっかり返事が遅くなってしまいました。
まだ救いなのは、国の法律の表記はまだ「障害者」であるという事です。これが、世間の風潮に載せられて、「障がい者」となってしまえばさらに危険ですが。
表面的な美しさだけにとらわれて、真の問題はどこにあるか考えようとしない今の日本人の傾向は、非常に危険だと思います。これは、この言葉の問題だけに限らず、政治問題においてもいえることですよね。
「患者」と言う言葉も差別的だ!といわれる日がくるような気が・・・・
death_scythe3さんが言われるように「根底の部分」が変わらなければ、「しょうがいしゃ」と言う言葉を新しい単語に置き換えたとしても、次はその置き換えられた言葉すら批判する輩は出てきそうです。
もっさんの引用した「片端→障礙者→障害者→障がい者……何囘言換へれば氣が濟むのか。勿論、永遠に濟まない」。これの通りでしょうね。
漢字をひらがなにしたら差別的じゃないって誰が考えたんでしょう。理解に苦しみます。
その内、日本から漢字が無くなって、ひらがなやカタカナだらけの世の中に・・・
お~恐ろし。クワバラクワバラ
「しょうがいしゃ」と「けんじょうしゃ」と言い分けているだけで問題なのだと思うのですが、それを
漢字のみと仮名交じりにしたところで、差別していることには変わりません。
「健常者」という言い回しが最初から気に入りませんしね。
そういう根底の部分を改革せずに、「害」の字がどうだこうだと突き回しているのは、如何なものでしょうかね?
それならいっそのこと、「しょうがいしゃ」という言葉自体を変える運動でもした方がマシなのではないか?とも思います。
平仮名にしてイメージだけを柔らかくしたところで、差別用語以外の何物でもないのですから。
精神疾患を罹患する我々も、「精神病者」と一般では一括りにされていたりしますが、それも差別用語ですね。
そもそも日本人の右倣え体質が良くないのではないかと推測します。
自分はその範疇に入るのか否か。
日本人であるのか否か。
それによって自分が優位に立てるかどうかを判断するさもしい心が、差別を生んでいるように感じるんです。
誰とでも対等に向き合える強く、優しい心を持ちたいものです(私も含め)。
いつまでも見てるだけも面白くないし、なかなか話をする機会が減ってきているので・・・
少し寂しくなったので、こっちに遊びに来ることにしました。
以前にも、「差別用語」の話は何度かもっさんと交わした事があるよなぁ?
俺の疑問をすぐにこんなに文章で説明してくれるとは・・・トピックを見逃さないあたりがさすがと言うかw
まあ、余談はそれくらいにして・・・・
「差別用語」に関して僕の知ってる話をさせてもらいます。もっさんには話したかな?
美輪明宏の「ヨイトマケの歌」と言う歌をご存知でしょうか?僕はこの歌がとっても好きで、初めて聞いたときはその歌詞に涙してしまったほどです。
年配の方ならご存知の方は多いでしょう。名曲として有名で、現在では多くのアーティスト(サザンオールスターズの桑田さんやミスチルの桜井さん、もののけ姫の主題歌を歌った米良さんなど)がカバーもしております。
そんな多くの人に愛されるこの曲も、以前は「差別用語」が使用されていると言う事で、放送禁止にまで追いやられていた事があります。
何故かと言うと土建屋で働く人(土木作業員や建築作業員)を意味する「土方(どかた)」と言う言葉が歌詞に使用されているからだと・・・ちなみにこの「土建屋」も差別用語・放送禁止用語にされていました。
歌詞の内容は、貧しいながらも女手ひとつできつい土木作業に従事し、必死に自分を育ててくれた母親への思いを歌ったもの。
とても純粋な母への思いを歌った歌です。
詳しく知りたい方は「ヨイトマケの歌」で検索してみてください。
この歌がいつから放送禁止になったか、詳しくは知りませんが、なんせ2005年までテレビ局も放送を自粛していました。
そもそも「土方」と言う言葉自体には差別的な意味もなく、単純に昔から土建屋に働く人たちの事を指しました。それがいつからか、土方をしている人たちに、経済的に生活水準が低い人が多い背景を元に、「土方」と言う言葉に「貧乏人」「汚い」などのイメージを乗せ、差別的に使用したのでしょう。
「土方」と言う言葉単体には無かった、別の(差別的な)意味を含めてしまう事で、「土方と言う言葉は悪い言葉だ」としてしまったのでしょう。
要は、言葉自体が差別的な意味を持つのではなく、使用する人間の用い方なのではないでしょうか?
少し横道にそれて、僕の友人や身内にも「土方」をしている人はいますが、当人達は「俺?土方やってるで?」と普通に使っていますし、僕も人に聞かれれば「あいつ?土方やってるわ」と答えるでしょう。わざわざ「建築作業員やってるわ」と言うよりも自然だし、ニュアンスがよく伝わります。
たとえどんなきれいな言葉でも、使う人間が差別的な意味を込めて発すれば、それは「差別用語」と言えるのだろうし・・・そう考えるとそもそも「差別用語」と言う単語自体が差別的意味合いを兼ねてきませんでしょうか・・・
もっさんの言われるとおり、何でもかんでも「差別用語」だ、とする風潮は残っていそうだし、この事は決して軽視すべき問題ではないと思います。それは単に言葉狩りにし過ぎないでしょう。
差別用語を無くせば差別が無くなるなんて言うのは、その手の団体の浅はかな考えだし、それくらいしか思いつかないのならやめてしまえ。と言いたい。
しかし、先ほど「2005年まで・・・」と書いたように、現在ではこの「ヨイトマケの歌」はテレビでも放送されています。つまり、少数かもしれませんが「差別用語を選定する」と言う波に、逆行する流れもあるようです。
一度は「土方」と言う言葉を差別的だとしたメディアでも、それを見直した経緯があったのでしょう。
僕の知ってる限りで話させてもらいました。お詳しい方がいらっしゃいましたら、訂正・追記などお願いいたします。
もっさんの「失禁」で言いたかったことがわかりました。
障害者って言葉がこんなにも変化し続けてきたとは知りませんでした。(反省)じゃぁ、次は、全部ひらがなにしちゃえー!ってコトにもなりかねないですね。言葉だけでは全く意味がないってコトですね。
「障害者」という言葉を「障がい者」にして、満足しているとは思いませんが、確かに身体障がい者のバリアフリーは、随分と進んできていると思います。精神障がい者に関するバリアフリー化についてはかなりの遅れを感じてます。小さなことからコツコツと自分の出来ることからはじめたいと思います。
気にしすぎだよ。
当の本人たちはそんなこと思ってないと思うなー。
そんなことよりもバリアフリーを多くしなさいって話だよね。