身体拘束については、色々な解釈がある。今更ながら、この話題に触れるのも迷ったが、しっかりと整理する為触れることにする。
法律を遵守した上で看護にあたれば、患者への対応が看護師のよって違ってしまうということもさほど起こらないはずなのだが、現実としてそうはいかないようだ。
まずは、この記事を閲覧されている方々に、精神科における(精神科でなくてもよい)隔離・拘束の問題点や情報提供または、意見交換等をお願いしたい。
最近ますます面白くない記事になってきて重症ですが、一つずつクリック願いま~す。面倒くさいのはわかってます!!でもお願いします!!!
最後までご閲覧いただきありがとうございます。拙著本「精神科看護師、謀反」も看護の参考にしていただければ幸いです。
法律を遵守した上で看護にあたれば、患者への対応が看護師のよって違ってしまうということもさほど起こらないはずなのだが、現実としてそうはいかないようだ。
まずは、この記事を閲覧されている方々に、精神科における(精神科でなくてもよい)隔離・拘束の問題点や情報提供または、意見交換等をお願いしたい。
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最後までご閲覧いただきありがとうございます。拙著本「精神科看護師、謀反」も看護の参考にしていただければ幸いです。
伝えるという事は了解しましたが、私の上記の
お返事でもお伝えしましたとおり、具体的に掘り下げてコメントをいただけますか?上記のコメントですと、いささかわかりにくい感があり、ディスカッションに発展させるには困難な部分があります。
お手数ですが、よろしくお願いいたします。
おそらく、ここの記事は古いので、私以外にはあまり気付かないと思います。私のほうからゆる看さんにコメントを伝えましょうか?だとすれば、もうすこし議論を深めたコメントをくださったほうがよろしいかと。
物理的な制限。そう表現すると、患者は隔離や拘束以外にも沢山の制限をされているのだなと、実感します。法的には、身体の拘束が最大の行動制限とされていたと思いますが、鍵の管理、水分の管理、金銭の管理・・・なにからなにまで自由を奪われている患者を少しでも自由にしてあげたいという気持ちは常の持っておいたいものです。
医師の指示を待たず、勝手に処遇を変更して思ったとおりの結果になったからと自己満足している恐ろしい看護師もいましたが、そうではなく、まずは法的な部分を理解したうえで理想の看護を行ってほしいですね。
しかし、精神科という領域は特に法的な部分も他科よりもまして勉強しなくてはならないと思うのですが、そのへんは自己学習にゆだねられすぎのように思います。誤った看護が継続されている原因に、経営者側の情報提供不足というのもあるのではないでしょうか(要因の一つに過ぎませんが)。
よくある問題ですね。一時的に、不穏状態になった患者が終日隔離や拘束をされるようになり、それが惰性で数ヶ月、場合によっては数年というのも存在する。この惰性というのが問題で、開放に向けて誰が問題提起をするかというのが大きなきっかけになりますね。看護において今ある形を変えるというのは、どのような形であれ、リスクは存在する。それを頭で考えている看護師は少ないと思いますが、感覚でそれを恐れて行動に移せないんでしょう。
身体の拘束はされるべきではない。このことを大前提として考えていつも看護にあたっておれば、患者の状態を見て「そろそろ拘束の解除を検討しては」等の意見をカンファレンスを開くことが出来ると思うんですけどね。もちろん、処遇の変更は医師の指示のが大前提ですが・・・・。
未だにそういう施設があるとは驚きですね。患者が人権団体に連絡するような道は設定されているのでしょうが、そういう第三者機関も形だけであることがほとんどのように思います。
いったいどうすればよいのか、非常に難しい問題ですね。体罰に関しては、そこの看護師にも問題はありますが、施設にも問題がありますよね。是非、その施設に見学いにって見たいものです。
逆に、他の患者さんへの干渉が多すぎて、本人だけでなく、他の患者さんまで調子を崩してしまう場合(他の患者さんの攻撃対象になってしまったり等)。
本人も、衝動性がコントロールできなくて、見ていてこちらまで苦しくなってくる場合(ブレーキとアクセルを一緒に踏んでいるように見えます)。
こんなときは「一人になること」は必要と感じることもあります。
初めて隔離室を利用する方の場合、入る人も、入るように勧めるほうも、葛藤があります。数回利用したことがある人は、物理的な制限をしないと、上記で挙げた行動をとってしまいそうと感じているのか自分から希望する人が多いように思います。
「出して!」と言われると辛いです。「申し訳ありません・・・」としか言えません。
場合によっては、物理的な制限で「自然治癒力」が僅かに働いてくれているように感じることもあります。
大きな声や壁・ドアを叩く音はが、「ブレーキの悲鳴」に聞こえます。
>ナースマンさん
最もなご意見。ちょっくら時間が無いので、今お返事できませんが、近々まともなお返事をさせていただきます!
↑この部分が、人によって感じ方が違ってしまうところで、考え方としても曖昧さが残る。先日もほぼ毎日ではあるが15~30分程度の解離症状が出現している患者様が24時間拘束されました。1日において15分~30分。そのほかの時間は、全く穏やかな状態です。24時間の拘束が必要でしょうか。翌日、出勤したときに主治医へ必要性の低さと妥当性に掛けることをカンファレンスして全開放になりました。
このように、他に安全を確保する方法がない。確かにそのときは、そうだったかもしれない。しかし、病名や経過から24時間の拘束は必要ないことは明確であるにもかかわらず、拘束が続けられるケースは少なくない。興奮や自傷だけでひとくくりにするのではなく、病名や経過を考慮して、あらかじめ解除する時期を定めて行う必要性があるのではないかと考えます。もちろん、定期的に経過の評価をしているとは思いますが、そのスパンの問題ですよね。
嫁さんは昨日、泣きながらその話をしてくれました。
私もそれを聞いてとても残念に思います。
看護師が患者さんに話をしても理解できないと思っているようなのです。
それを理解した上で話し合うのが、精神科看護師の役目ではないでしょうか?
未だにそう言うことがまかり通っている現実に目を背けず、患者側の意見も主張しなければいけないのでしょうね。