特定非営利活動法人精神医療サポートセンター

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病院の身体拘束に賠償-今看護師に問われる看護力-

2008年09月07日 | 看護論的経営論
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私はこれまで行動制限の問題点を、
我々NPOのホーム―ページの「越智元篤からの提言」として訴えてきたが、

今回、司法によって

身体拘束に関して起こされた訴訟に対する判決

が出た。




それを受けても、尚

・ミトンならいいだろう
・車椅子ずれ落ち防止の安全ベルトなら
・ベッド柵で四方を囲むくらいなら

というのだろうか。
どちらにせよ、
看護師の判断で行動制限、あるいは行動制限“らしきもの”を行うことはあってはならない。

精神科と他科では現行法の違いがあり、この記事の紙幅の問題もあるので詳細を述べるのは省略するが、結局は患者の人権が脅かされることには違いない。

まず第一に患者の人権である。次に経営上の理由。
経営上の理由とは、管理者責任を問われる訴訟を起こされることである。

いろいろな立場から、様々な意見を持つことはわかるが、

・患者がこけてけがをしたら可哀そう

そう言って、独自の判断で行動制限をして患者を事故に巻き込むことほど不合理なものはない。


患者がせん妄で寝ないのであれば、付き添って落ち着かせてやればいい。そして同時にせん妄状態を作るような何かがあるのかもしれないというサインを探す原因検索を行えばいい。それでもなお寝ないのであれば、臨時で薬を処方してもらって気持ちよく寝てもらうようにすればいい。最終的には医師に相談し、医師の判断で行動制限の必要性を判断してもらえばいい。

これらを微妙なさじ加減で判断することが、
我々のいう


※看護力


というのものなのではないだろうか。



少なくとも、最大限の看護を尽くそうではないか。その過程で医師に報告をしながら、判断を仰ごうではないか。医師と一緒に考えようではないか。医師に上申?そう言っている間はフェアーではない。役割は違えど、立場は対等であらなければならない。

行動制限に対する考えや医師に対しての態度

少なくとも私は現場で批判されながらもそうしてきている。
これが協調性に欠けるということで正当化される社会なら、私は看護師という職を退く。しかし、判決でこのような結論が出たということは、少なくとも司法は私と同じ考えに近いということだろう。

恥ずかしながら、日本の精神科医療はまだまだ未熟である。司法の判断をきっかけに、医療従事者が行動制限問題に対する認識を深めていってもらえればありがたい。


間違った協調性を持った看護師にはなるな。


医療チームの協調性のみを重視し、患者が不幸になるようなことがあるとすれば、それは協調性などとは言わない。ただ、自分たちが働きやすいためにとっている行動にすぎない。

患者とその家族ををできるだけ不幸にせず、その中で最高の看護を提供することが我々の求められているものなのではないだろうか。
















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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ん~)
2008-09-07 15:21:46
ウチの病院でも拘束の同意書を家族にもらってナースサイドで拘束してるけどこれは間違いなんだぁ…。
4点柵 体幹抑制 四肢抑制してる。
返信する
Unknown (もっさん)
2008-09-07 17:55:22
>ん~
間違いではないんですよね。
現行法では、精神科以外では同意書をとって自分たちを守るしかない。この方法しかない。そういう感じだと思います。
精神保健福祉法には、「精神科病院において」という文言がありますから、同じ患者が他科に転院するとその法律の枠から外れるわけです。ですから、精神保健指定医の判断がなくてもミトンや行動制限は実質可能になる。もちろん、訴えられれば同意書をもらっていたとしても確実なものではないんですよね。
返信する
Unknown (ん~)
2008-09-07 19:51:47
自分達を守る為じゃなくて胃管チューブを抜いてしまったり、CVを抜いてしまったりすると再挿入になるから
患者さんの負担になるとゆう判断で抑制してます
不穏があったり夜間が危険な状態なら抑制はせず
ナースステーションに連れてくるか
可能なら家族にきて頂いてます

返信する
Unknown (もっさん)
2008-09-07 19:59:24
>ん~さん

そうですね。
経営者的視点では、個人の患者さんのためという判断が、法的にあるいは司法で問題となる可能性がある場合は、個人のその判断も放置できないんですよね。ですから、看護師といえども患者さんのためにしたことが法律をある程度わからずしてしまって裁判で訴えられるということもあるわけです。
また、行動制限がそのように安易にできてしまうということは「ん~」さんのように適切に判断してもらえる人ばかりではなく、自分たちが楽をするために安易に行動制限をする人も出てくるわけです。このように、いろいろな問題がああるわけで、現状の仕組みでは司法の問題も含めてきっちり整理していかなければならないということなんですよね。自分自身が患者さんのためにしたことでも、それで事故が起こり家族さんが訴えれば罰せられたり刑事事件になったするわけですから。
返信する
Unknown (ん~)
2008-09-07 22:01:41
なるほどぉ。
やっぱりいろいろ難しいものなんですね
返信する
行動制限の被害者は患者さんばかりではない (STeppy)
2008-09-12 00:30:15
理想と現実を統一化することにそもそもの間違いがある。
全てのコストが公費で賄われ、全てのリスクに対して保護されている環境下であれば、理想は現実となる。が、利害関係にて成り立っているコノ世の中には、全てを保護する時点で矛盾が生じ、社会機能不全を引き起こしてしまう。
行動制限とは、本人以外のモノが自由を奪ってしまう制裁であるならば、病棟で働く看護者や医療スタッフの休憩時間など労働法で定められているのにも関わらず、ひっきりなしに訴え続ける患者さんには、我々の行動を制限している…とは言えないか。口で言ってわかる患者さんなら病院に入院する必要はないだろうし、行動を制限する必要もなくなる。

理想と現実は表裏一体と考える。先述したが、現世において、相反するものが同一化することは無理だと考える。

余談だが、私は「看護」という職業を選択しているただの社会人である。業務は医者の指示があって初めて行動できる。情報収集は当たり前の話だが、その内容を報告する程度で良いと考える。それ以上の分野は「医者」の聖域である。「この医者アホか?」よく耳にするが、嫌なら他所に行って理想とする医者を探せばよい。

話が複雑になってしまったが、当NPOの活動意義がよくわからない。被害者面を一方的に感じる面が多々あり、偏見を感じている。

価値観の違いだろう、きっと。

返信する
Unknown (もっさん)
2008-09-12 09:35:25
>steppyさん


まず最初に・・他人のふりをしなくていいですよ~ましてや、手厳しい意見はここでは勘弁!!書かれたら真剣に答えなければならなくなりますから(汗
でも、貴重な意見なので真剣に答えさせていただきますね。では、以下に



理想と現実を統一化して考えることは大事だと思います。これは、治療者側の立場を大きく揺るがす問題なってきます。我々医療従事者は、常に理想を追い続けなければなりません。

「理想と現実は違うんだよ」

こういって、理想の看護をあきらめることはプロの看護師であるとは思えません。


コスト面ですが、患者さんを保護するためにハードを駆使することは経営者の責務です。それが、患者のためなのか経営のためなのかは別としてもです。そして、われわれはその決められたハードの中で看護をしていく必要があります。その中でいかに患者さんに安楽に暮してもらうか。

「この設備じゃ、どうしようもないよ」

こうではないとおもいます。

>すべてを保護する。

この概念も捨ててはなりません。保護しきれないものがあったとしても、すべてを保護する気持ちと行動、そして追及する姿勢を持つことがプロとしての看護師ではないでしょうか。

また、利害関係で成り立っているこの世の中であるからこそ、われわれは看護を追求し続ける必要があるのではないのでしょうか。
給料をもらっている、プロの職業看護師として・・・。少なくとも私が行っている看護が社会機能不全を起こしているとは思えません。むしろ、「だから仕方がない」と妥協した集団のみがはびこることが医療の衰退と社会機能不全を引き起こすのではないでしょうか。それは、私たち自身が病床に伏したときに強く実感するのではないでしょうか。


次に、
ひっきりなしに訴え続ける患者さんは、われわれ看護師の行動を制限しているとの考え

これは、普通のサラリーマンで例えてみますね。例えば、デスクワークが多すぎて他の仕事ができない。このデスクワーク自体が行動の制限にあたるのでしょうか。
患者さんの対応をすることも看護です。とすると、これが我々の行動を制限しているという議論は自分の職業を否定しているとも取れませんかね。もう一度看護とは何かを考えてもらえれば幸いです。
口で言ってもわからない患者さんなら行動制限をするのでしょうか。看護とは、口でいうことと行動制限だけなのでしょうか。辛口にコメントされているsteppyさんでさえ現場では絶対にそのような看護をしている人ではないと思います。
行動制限は、最終手段であることは精神保健福祉法に定められてます。その必要がなくなった時にはすぐにその状態から解かなくてはなりません。そして、それまでに代替法を考え出さなくてはならない旨が記載されています。
これぞ、われわれ看護者の力を見せる場所ではないのでしょうか。

>理想と現実は表裏一体と考える。先述したが、現世において、相反するものが同一化することは無理だと考える。

繰り返しますが、理想と現実は表裏一体ではありません。これは断言します。スケールの大きな話になりますが、人はこれまで夢や理想と思ってきたことを現実化させてきました。実現させてきました。これは、表裏一体、相反するというよりも連続したものであるといったほうが適切ではないでしょうか。


>業務は医者の指示があって初めて行動できる。情報収集は当たり前の話だが、その内容を報告する程度で良いと考える。それ以上の分野は「医者」の聖域である。「この医者アホか?」よく耳にするが、嫌なら他所に行って理想とする医者を探せばよい。

このお考えですが、
「業務」に関しては、まず精神保健福祉法と看護倫理規程を学んでください。そうではないということがわかってきます。医師の領域、これも医師・看護師の業務独占はありますが、互いに重なり合う部分が多くあります。そこを高め合うのがお互い医療従事者としての使命ではないでしょうか。現場には患者さんがいます。納得のいかない医師がいるからと「他に行けばいい」「他を探せばいい」これは、われわれの自己満足に過ぎません。医療を変えていかなくてはならない使命を持っている我々医療従事者はすぐに目の前の医師の質や気持ちを変えることができなくても最終的には、できるだけ早く変えることを“目標”として持って行動しなくてはなりません。これが、ただの理想と思ってあきらめるか現実可能な“理想”として看護師続けるかは、それこそ看護を変えようと思うのか、とりあえず目の前の仕事をするだけなのかの違いではないでしょうか。誤解をされては困りますが、後者のような人を否定する気持ちは一切ありません。人々には事情があります。まなべない、あるいは学ばない事情もあります。だから、私は自身が学ぶことができる人間としてそして、これからも日本の精神科医療を変えるために学び続けます。

これを見ていただければ、NPOの活動意義は分かっていただけると思います。決して一方的な被害者主張をするつもりはありません。ホームページを見ていただければ、医療に関係するあらゆる立場の人のバランスをとることが必要であるということを示す活動趣旨を挙げています。

看護は、表面だけで働けば深い部分は見えてきません。私は、目の前の患者はもちろんのこと、法律なども学ぶ必要があると思っていますのでそこは無視をしません。
愛情のみで、感覚のみで主張して何が間違いなのかわからない看護者も少なくありません。そこを日本国民の生活のベースにある日本国憲法から始まる法律を知り、看護に還元することも重要な役目だと考えています。
会社経営においても同じことなんではないですか?看護もそれと同じです。きれいごとばかりを並べる看護師もいるのかもしれませんが、今回のteppyさんの意見は、その視点で看護しているものばかりと思っての意見のように思います。私はそれこそ“現実”を知り、そこから変えていく冷静な目を持ちたいと思います。


・・・・と、まぁ真剣に書きましたがこれ以上は勘弁です(汗 近々会議を開きたいのではやく携帯電話を治してくださいな。
返信する
他人のふり?ってなんでしょうか? (STeppy)
2008-09-12 21:08:01
>もっさん

まじめなコメントありがとうございます。
言いたいこと、よくわかりました。。。なわけはありませんが、ここで議論しても他の迷惑になりますので、このへんで。

携帯電話ですが、直す気はありません。着信と発信ができれば良いのですから。携帯電話などに気を使う生活はゴメン被ります。どちらかといえば、携帯電話撲滅運動を推進しています。まぁ、個人的なことなので関係ありませんがw

私自身は、いい加減な昔の「看護人」です。これからもドライな口上で頑張ります。でわでわ。

公式サイトにディスカッションできるスペースが欲しいですな…ニヤリ。
返信する
そういう時は電ぱちじゃ (監護人)
2008-09-20 14:54:53
縛って何が悪いんかのう?
こけて骨折かのう?他患者のとこでいらんことさせるかのう?今の医療界を冷静に見れてるなら倫理規程がどれほど現場と離れているかもご存じでしょうに…
お国が「こんだけでやりな」と言うても現場はもう疲れきって応えられなくなっているんやないかのう?そんでアフォな家族に訴えられるしのう?

「入院」ってこと事態が行動制限なんやしグダるなよと思う判決やね。


*このコメントは他者を誹謗中傷する意図は全くございません
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Unknown (もっさん)
2008-09-22 00:54:44
>監護人
はじめまして。

倫理規定は現場とはかけ離れてないと思いますよ。むしろ、倫理規定という現場にもとめられている看護の一部の概念からかけはなれていると言ったほうが適切ではないでしょうか。倫理規定は別として人間としてプロ意識を持ってまっとうに勤務されている看護師さんは山ほどいます。

あふぉな家族とはどういうことでしょうか?もちろん、理不尽な訴えを起こすご家族もおられるかもしれませんが、自分の家族が一部にみられる精神科のような対応をされれば普通は何らかの行動や気持ちの変化がおこると思います。入院という事象を行動制限ととるというお考えは、広義か狭義か、あるいあ超広義という概念の範疇にあるのかでイシューが変わってくるとおもいます。つまり、そのレベルで考えるなら、義務教育も一種の行動制限かもしれません。ということです。

申し訳ありませんが、医療従事者以外の方でしたらそのようにとらえられることもあると思いますので理解できますが、万が一医療従事者の方であるなら、これ以上のコメントはひとまず控えさせていただきます。そのほかの方であればこの限りではありませんのでご遠慮なく^^

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