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包括的暴力防止プログラム(CVPPP)
これは、シーブイトリプルピーと読むほうが正しいようである。
患者が興奮したときどうするのか。
これは、兼ねてから私の課題である。
※興奮しており、どうしても落ち着かない患者をどうするか。
やはり、可能な限り安全に怪我をさせないよう、且つ不快でなく苦痛もないように落ち着かせることを目標とする。
だが、実際暴力をふるってきた患者にどう対応するかは、現実、個々のスタッフの運動能力に任せてしまっていることが多い。
もうあまり見ない光景だが、昔は柔道の技を使ったりして患者を床にたたきつけていた。これでは、患者は安全に寝ころぶどころか、怪我を負う危険がある。
そこで役に立つのが包括的暴力防止プログラムである。
精神科一般にはまだ広く普及していないかもしれないが、こういう概念は広めていかなければならないと思う。
患者をいかに苦痛なく保護するかを考えた「チームテクニクス」や、一人で攻撃されたときいったん逃げて仲間を呼ぶための「ブレイクアウェイ」。
これらのテクニックは、他のどれとも一緒で習得は1カ月や2か月、合間合間で練習するくらいでは身につかないだろう。しかし、学ぶことで心に少しの余裕ができれば、それは看護の質として高まったといことになるだろうし、さらに訓練して、トレーナーやインストラクターとしてみにつければ、それはそれでCVPPPの概念に近い看護介入が可能となると思う。
ここでCVテクニックを間違った風に解釈してしまう人がいるので、説明しておきたい。
CVテクニックは、実際、患者を倒したり、関節を固定したりするが、決して痛みを与えてはいけないものであり、これは、合気道や護身術とはまた別の位置づけのものであると解釈してほしい。
CVテクニックが優れているというのはどういうことか。
患者を確実に倒して怯ませればよいのか。
これだと、ただの暴力になりかねない。
そうではなくて、患者をいかに安全に、そして苦痛なく保護するかが、CVテクニックの優れている人なのではないだろうか。
そして、このこと以上に重要で肝に銘じてほしいことがある。
それは、
※患者が興奮したあとの身体的な保護がうまいということより、興奮し暴力を振るわないようにするための看護者・患者間のコミュニケーションプロセスである。
これを、CVPPPの信州大学の下里先生は「ディエスカレーション」と表現している。
精神科看護で重要な部分は、チームテクニクスやブレイクアウェイなども重要もさることながら、患者を落ち着かせるコミュニケーション能力がとわれる段階、すなわち「ディエスカレーション」の段階ではないだろうか。
不穏といわれ、保護室に入ったり、筋肉注射を打たれたり、内服薬が増薬されたりしているのは、すべて患者の責任といえるのだろうか。
もしかすると、我々看護者の対応ひとつで、不穏とも穏やかともなり、その一瞬の判断が患者の人生を左右することにもなりかねないということを忘れないでほしい。
暴力に至るまでの過程こそ大事である。
それこそが包括的に暴力を防止するプログラム、すなわちCVPPP(シーブイトリプルピー)であろう。
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教科書的に言うと、妄想を訂正できるかどうかだけでも診断は変わってきますし、それをしっかりとしらべずに、解離性障害やアスペルガー等と誤診したりする医師が多くいますが、ご自身の場合は、そうではなさそうですね。
また、薬剤性の精神病棟のもありますが、文字では伝えにくいのでこれくらいにしておこうかと思います。
もしお困りの際はいつでもご連絡くださいね。
前駆症状から急性期に入り、確信に満ちた妄想に苦しみ、ここまで回復するまでの経過を自分なりに整理しましたら、見事に教科書どおりに当てはまるのです。病前性格もしかり。
私は普通に仕事をしていますから(言い換えれば普通に仕事ができるくらいの症状)誰も私が統合失調症だとは気づかないでしょう。精神科医は分かりませんが。
顔つきが少し変わってしまったのと、仕事が病気前に比べて能率が下がったのを自覚しています。
これは多少なりとも抗精神病薬の副作用でもあるそうですが、私は二度と陽性症状に苦しむのはいやですので薬は一生飲むつもりでいます。
はじめまして。コメントありがとうございます。
いきなりで申し訳ありませんが、通行人さんのコメントを拝見して、統合失調症でない可能性を感じました。
もちろん、改めてお話を聞けばやはり統合失調症であるということも十分ありますが、少なくともいただいたコメントを拝見していますと統合失調症でないように思います。
緊張型でもないし妄想型でもありません。そもそも古典的なその分類にも無理があります。
変に期待を持つ必要はありませんが、是非お話を伺得ればと思います。お電話できそうでしたらお待ちしております。メールでも結構です。
私は自宅で興奮状態になり精神科に連れて行かれ、病院が信用できなくて診察室で無言を押し通したら自宅での様子と診察室での様子があまりに違うので緊張型の統合失調症と診断され、現在も投薬治療を続けています。
冷静になった今思うことは、私は緊張型ではなく、妄想型であるということです。
ですが、主治医には妄想などまったく話していませんから、拒否症状のみを診て緊張型と診断しているのです。私は病型が治療に影響があるとはどうしても思えないので今更こんな妄想があったのだと言うつもりはありません。
ですが、患者の表情とか、行動とか診断の基準になるものはあるのでしょうが、患者本人が症状を説明しなければ真の診断名は分からないって結構怖いことだと思いました。
たとえば痛みとか吐き気とか・・・これらは何かしらにデーターがあらわしてくれる。炎症で痛みがあるなら腫れたり赤くなったり、吐いているなら吐物があるし。内部なら何かに反応があるだろうし。
ですが、精神科の疾患っていまだ検査らしき検査がないように思います。内因性の疾患の場合ですが。
そういう経緯から私はどうしても主治医に心を開けません。私は入院経験がないので看護師さんの対応は分かりかねますが、昔学生の頃実習先でみた精神科の看護師は学生ながらこれは・・・と思うものでした。慢性期の統合失調症の患者さん尾話を真剣に聞いていられないのは分かりますが、そこから見える患者のサインを見逃したらどうするのかと不安になった覚えがあります。
精神科の看護師を批判しているつもりはなく、そうならざるをえなかったそれまでの経験があるのでしょうが、目に見えない患者の訴えが診断と治療と看護の基となるのですから、その看護師さんたちにはせめて学生が実習に来ている間だけでも真剣に向き合ってほしかったし、私の主治医にも安易に診断をつけてしまわないで、もっと注意深く診察して欲しかったです。
だって患者自身一生抱えていかなきゃいけない疾患ですよ。医者や看護師にとればありふれた疾患でも。
長々と愚痴のような(というか愚痴ですね・・・)コメント失礼いたしました。
pitaさんのお話は、いつも学ばされることばかりなんです。
時に衝撃というか、我々が精神科の看護師として、そういう鈍い感覚で一定の看護力を持っていると思って満足してしまいそうな時、pitaさんのお話によって叱られた気分になることもあります。
自分以外のすべての人のお話は本当に基調にしなくてはと日々思わされる毎日です。
いつもpitaさんのお話は我々医療従事者からすると、学ぶべきことばかりです。
医療従事者として以前に、人として知るべき感覚とでもいいましょうか。やはり残念ながら人というものは、その身にならなければわからないことが多いのでしょうが、このように人とのつながりでお話を聞かせていただくことで少しでも相手の気持ちになるきっかけを得ることができる。
そこで、知ろうとするのか聞き流すのかによってまた変わってくるのでしょうが。
pitaさんは、いつも電話では表現が決して上手とは言えませんが、このようにコメントをいただくとご自身の考えが鮮明にあるし、いろいろな方法でコミュニケーションをとるということは、お互い人間として大事なことだなと思いました。
それから、「地雷を踏む」という表現は私にはなかったものですから、凄い表現をされると思うと同時に、命がけで人との関係を一生懸命とっておられpitaさんという方のお人柄を勝手に想像いたしました。貴重なお話をありがとうございました。
大きなピンチがチャンスに変わるかどうか、それが次回の受診にかかっているとドキドキしているpitaです。次回の受診の結果次第で、病状は良くなるかもしれないけど、激変してうんと悪くなる危険もあります。だから、ドキドキです。
さて、前置きが長くなりました・・・。
思い出したことがありました。
私も泣き叫んだことがあるから・・・。
自分が言わなかったから、その時泣き叫んだ理由は誰にもわかりませんでした。
自分から言える元気はなかったんです。
起きた現象は、私が気分を乱していたから、外来の看護師さんが「親切な気持ちで」「静かな部屋で休ませてくれようとして」「じゃあ、ここでゆっくりしててねって、ドアを閉めて出て行った」、それだけです。
しかし、それで私はパニックを起こして、声が枯れるほど泣き叫びました。「何事か?」と看護師さんが飛んでこられました。
私は、ドアが閉められた瞬間、「閉じ込められた」と思ったんです。
たった1回の精神科への入院体験、たった1日の隔離室的な部屋での生活(ドアのカギは1度もかけられていないけど、いつカギをかけられるか怯えていた)、その記憶がよみがえってしまったのです。
「ドアを1センチでもいいから開けておいてほしかった」、そんなこと言わなければ誰にもわかりませんよね。
でも、泣き叫んだにはわけがあったのです。
私は、元気だったころ、子どもとかかわる仕事をしていました。最近、少し元気になったので、たまに仕事に近いようなことをしています。
患者さんと子どもを一緒にしてはいけないかもしれないけど、相手の気持ちを注意深くくみ取って接することが大切という点では似ていると思います。
子どもは、訴える言葉を持っていないことがあります。
「いつもにもまして荒れている」、そんな時、大人は「またあの子が、悪いことをして!」と頭ごなしに叱りたくなります。でも、そこで1度立ち止まらないといけないのです。
「荒れてぃるのはいいことじゃない、でも何で荒れているんだろう、先生に叱られた?友だちとけんかした?お父さんとお母さんが夫婦喧嘩した?虐待されたりはしてない?」
口で言うのは簡単でも、短時間で実行することはとても難しいです。
pitaはいつも失敗ばかりです。
地雷を踏んでしまうことも時々あります。
間違った叱り方をして、子どもが逆ギレして、
自分がケガをしたことも何度もあります。
今のところ大ケガはしていませんが、最近も
そんなことがあり、「自分の心身の体調が悪いせいもあって、観察眼が曇っているんだ、気をつけよう」と思いました。
私と同じような診断名をもっている子、診断されてなくてもそのような特性をもっている子に対しては、さらに配慮が必要です。
でも、pitaの立場では、何1つ責任をもってできることというのはなくて、「今、配慮を怠ったら将来の2次障害を生んでしまう」というリスクがありながらも、放置されてしまう子の多いことに心が痛みます。
未診断の子が一番深刻なように思います。
長々とごめんなさい。