例えば小学生の頃にした情けない失敗談や、例えば十代の頃にした馬鹿みたいにズレた話や、例えば成人してからみせた大人気なさ過ぎる態度や。
一つ一つは細か過ぎて語る価値もないようなしょうもない自分の駄目なところ。そんな小さな心の傷(と呼べる程たいしたもんじゃなかったとしても)は時間が経てば消えてなくなるかと言えばそんなことは全然なくて、未だにふと思いだして叫びたくなることがあります。
これは多分治ることはないもので一生付き合っていくもんなんだと思います。うれしいことも悲しいことも誇らしいことも情けないことも。全部が一生付き纏う。それが俺の運命。
『運命』て言葉はいろんな所で使われますが、辞書的な意味はともかくとして、俺は個人的に未来に向けてより過去。可能性ではなく歴史に対して使う言葉なんだと思います。
誰でも一つの命。で『運命』てのは読んで字のごとく
『命の運び方』
もしくは
『命の運用方法』
なんじゃないかと。
もう一度いっときますがあくまで俺の個人的な考え方です。
過去に命をどう運んできたかが現在の『運命』となり
歴史で命をどう運用したかによって現在の『運命』が変わる。
『現在』がどんなに辛いと嘆いてもそれを作ったのは自分の『過去』である以上究極的には(勿論他人になにかされたり言われたりして行った運用方法はあるとしても)全部の責任はただ自分にだけあるのだと思います。
『未来』をより良いものにするためには、『過去』が変えられない物である以上『現在』を変えるしかなく、そのために自分の命を運用して行う行為がいわゆる、『運命を切り開く』てことなような気がします。