人間賛歌・もっちゃん4649

21世紀の幕開けの日の私

昨日は長男の40回めの誕生日でしたから、お昼休みを見計らって携帯に電話しようと思っていました。

ついつい時間がずれてしまい1時半過ぎになってしまい、彼は会社の大掃除中とかで、元気な声でありがとうと喜んでいました。

これでいいのです。
産みの親が我が子の誕生日を忘れてしまったのではかわいそう過ぎますからね~

長男は年末の押し詰まった時に母親を助けるために半月早くこの日を選んで生まれてきてくれたのだと私は喜んでいました。

時間が無いので詳しくは語れませんが、追い込まれた母の窮地からの脱出を手伝ってくれたと感じています。

明るい声を聞くと元気が出てきます
うれしい一瞬でした

母の体調はだんだん下り坂を転がっている感じで、お礼やねぎらいの言葉の達人でしたが、体の自由が利かない苛立ちを口走るようになってまともな神経が薄れてきたようです。
一緒になって不足を言い合っている大人気ない私に気付くことが多くなりました。

時間が取れる間に、教え子からの依頼のあったコメントをまとめなくっちゃ~と寸暇を見ては少しずつ保存して、タイムカプセルの思い出を綴り終えました。

21世紀の幕開けの日の私の記録でもあるし、自分史に入れておこうと思いました。
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新年、明けましておめでとうございます。

このコメントを読んでくださる時には、同窓の友や恩師に再会できた喜びで晴れ晴れとしたお顔が揃っている同窓会の会場なのですよね~

何よりもイベントが大好きな私が出席できないと言うことは、止むを得ない優先順位一位の親の介護に専念中だとご理解下さいね~

卒業を間近に控えた学活の時にタイムカプセルを学級1冊のノートにいろんな思い出を書いて埋め、21世紀を迎えた正月の正午に時計台のところに集合して、掘り出そうと言う計画が室長会から提案されました。

タイムカプセルの石室も保存の利くものを石材店に発注してあるということを聞き、ワクワクとした気分に一同はなりましたよね~

一冊のノートを廻して全員が書き終わる期限を決めて、まとめてビニール袋を何枚にもぐるぐると念のために巻いて厳重に時計台の下に埋めたのでした。(1986年3月のこと)

埋める時に私は現場に立ち会っていませんでしたから、正確な場所は知りませんでした。

学年主任の村○先生は体調を崩しておられたころでしたから、「2千年の時に立ち会えないと思うから若い先生方よろしく~」と声をかけておられたのを覚えています。

世紀末を過ごして新世紀を迎えるという千年に一度の時に壮大な夢を見ようとする集団の中にいたことを私はロマンチストですからとても心待ちにしていました。

朝夕時計台の下を通る時にいつも心の片隅に記憶が蘇っていましたから、忘れることはありませんでした。

幸い、転勤しないで当時の担任が残っていたのは山○先生と私の二人だけでした。

冬休みに入る直前、「元日の12時にはよろしくね~」と声を掛け合ってお別れしたのです。

あぁ~、いよいよ待っていた瞬間がまもなく来るぞ~と心は弾んでいました。

「20世紀が終り、いよいよ21世紀の夜明けです~!」とテレビも新聞も緊張と喜びの声を顕わにして声高々に世界各国・各地の様子を報じていました。

「21世紀を迎えた元日の正午にタイムカプセルを掘り出す約束を卒業生と交わしているのよ~」と誇らしげに家族に告げて家を出ました。

「夢のある話やのう~(*^_^*)」と家族も快く見送ってくれました。

その頃大阪の池田小学校の悲惨な事故の直後でしたから、普段から学校の門は施錠して外来者の学校侵入にはセキリュティーが厳しくなっていました。
冬季休業中ですから、開門するのに各方面に許可申請しないといけないし、うまく通じているかしらと気になって、11時過ぎに着きました。

すでに管理者である校長先生が校門を開けて待っていてくださいました。
お礼を述べに校長室に挨拶に行き、時計台の下で早い人を待って迎えてあげようと外に出ました。
まもなく山○先生がお見えになり、「何人くらい教え子たちが集まりますかねえ~」とニコニコしながら話し、心を弾ませていたのでした。

懐かしく愛しい教え子たちにまもなく会えるのだと胸は激しくいやがうえにもときめいてきます~\(~o~)/

もう8年前のことなのに、まるで昨日のことみたいに心の動きも今思い出されてきます。

寒い真冬ですから車の中で待っていようと言う事になり、昇降口前に止めていた車に入りました。

約束の正午になっても一人も姿を現してはくれないのです。

車の中でなおも半時間待ちましたが、外に出て学校前の道を覗いてみました。
歩いている姿は人っ子一人見えません。

どうしたものか~と二人で相談し、校長先生にもご迷惑を掛けたことだし、記念のカプセルを掘り出したと報告書も作っていただかないといけないので、この期に掘り出すことに決めたのです。

時計台の下と言う大まかなことしか分からないし、精一杯のおしゃれをしてお正月の盛装をしていたのですが、スコップを持ち出して掘り始めたのです。
見かねた校長先生も大きな力を貸してくださいました。

この機会を逃したらタイムカプセルのことは誰も思い出さないかも知れないからと、悲痛な気持ちでいっぱいでした。

肉体労働をいきなり元日からするわけですから、嫌でなかったと言えばうそになります。
でも、一人も教え子の顔を見れなかった辛さ・寂しさは何ともいえない重石としてずっとしこりで残っていたのは事実でした・・・

次男の生活ぶりを見たらみんなと同じ年なので、現実に追われて余裕の無い生活をしているのだろうと勝手に思ったものでした。

3人で掘り出す力って微々たる物で、場所を探し当てるのに大変な苦労がありました。
時計台の下といっても広いですからね~

やっと石室にたどり着いた時の喜びも忘れられません!

これが中身でしたよ~と、見せて上げられたらうれしいのですが、石室の中はヘドロ状態で悪臭がひどく、手をいくら洗っても何日間も匂いが取れないほどひどい腐りようでした!!

密閉状に作られた石室内は15年間の少しの浸水も溜め込む仕組みだったのですね~

学級ごとのノートの形もまったくどろどろでひどい状態でした~

これが当日の模様です。
皆に知ってもらえる機会を得られて、心が救われた思いでいっぱいです(*^_^*)

2000年2月末に一通の封書が校長先生宛に届きました。
タイムカプセルについての問い合わせの最初で最後の手紙でした。

返事を書いてあげてくださいと私のところに廻ってきたので、当日のことを書いて出しました。
3の4の高○○○子さんでした。

懐かしがって喜んでくれ、ダンジリで有名な岸和田に嫁ぎ、娘にもハッピを着せて楽しんでいる写真を後日届けてくれました。

今、住所が変わっているようで、同窓会を知らせて上げられないのが残念なのです。

長々となりましたが、分かっていただけましたか~?

みんなに会えることを強く期待した時を8年前に過ごしましたので、特別な思いのある卒業生となって思い出が増えているのです。

今再会できたことを二度と手放したくないと強く願います。

かけがえのない人生の宝物だと皆のことを思っていますので、これからも楽しいお付き合いをよろしくお願い申し上げて報告の内容を終わることにいたしますね~

ますますのご健康とご発展を祈っています。

      みんなの担任の森○○子より

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