ゆっくりと日の出を楽しむ時間がない朝でした。
昨夜の9時前に4番目の妹からの電話が入りました。
HPは必ず見てくれていると思い込んでいたから、そのことに私が触れました。
彼女は新しい職場に変わった今年はすっかりご無沙汰で時々しか見ていないということで、単なる挨拶と姉ちゃんの声を聞きたかったからだということでした。
「なに?何・・・」と聞いてきます。
「読んでくれたらわかることよ~」
でもなお教えて~というので、簡単に話しました。
とたんに絶句でした。
頭が真っ白で何も考えられない・・・
ものすごいショックの受け方だとわかるほどです。
「日記を見てくれたら、思いやりだとわかってくれるよ♪」といくら平静を装って言って見ても、彼女の受けたショックは治りそうもありません。
第2の母とさえ思うくらいに信頼を寄せてくれている妹だから、無理のない話だと思い、「落ち着いてから日記を読んでね~」と電話を切りました。
朝メールが届いていました。
長い間考えをまとめていたのだと分かる文面で、心配して猛反対をしてくれる妹にありがとう!!と感謝したい気持ちで一杯です。
2番目の妹にも連絡を取ったみたいです。
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ヒロコ姉へ
しばらく冷静に考えてみました。
もし、私が、ワタベの母だったら、離婚の事実に心底悲しむだろうと・・・
もし、私が、モリタの義母様だったら、離婚の事実に心底悔やむだろうと・・・
もし、私が、ヒロコ姉の立場だったら、離婚の事実に心底苦しむだろうと・・・
もし、私が、お兄さんの立場だったら、離婚の事実に心底苦しむだろうと・・・
もし、私が、子供の立場だったら、離婚の事実に胸痛ませるだろうと・・・
法的手続き(紙切れ)一枚の届けですが、誰の為でしょうか?
他に手段は、無いのでしょうか?
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という書き出しで、切々と思いを綴ってありました。
胸を打たれたのは「幸いにも、ある意味痴呆で守られていますが、きっと正常な判断が出来る状態であっても、九州の母が真に願っていることは、決して離婚という選択ではないと・・・。」
私はすぐに返信を出しました。
真剣に考え生きた証に日記に記録しておこうと思いました。
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ありがとう~~
時間を見ると、真夜中まで悩みオドロキ考えてくれたことが良くわかります。
姉ちゃんもあなたが何を言いたいのか伝えたいのか考えました。
奈良の家での生活は姉ちゃんは勤めがあったので、近所の人とは全く触れ合う時
間がなく、挨拶くらいでにこやかにしていたのですが、今その中に帰っていくことを思うと足がすくんで震えます。
「遠隔地介護は大変ですねえ」とにこやかに言ってくれ労ってくださっていると感じ、うれしさでペラペラ答えていたことが、母の言葉に合わせて小出しにしてその部分の一言だけが伝わり、母のかたくなな気持ちに拍車をかけていきました。
退職したから自由に生きたいなんて、なんて生意気な!!
私が家を守っていたことも思わんと・・・
静かなところで生活したいから老人ホームに行きたいと思うと聞いたので、行くんだったら少しでも元気な間に向こうで話し相手の友だちができる方がいいからねという意味で言ったことを、ねじまげて厄介払いをしたいために行かせたがると言いふらします。
美容院で聞いた瞬間は身が凍りつきました。
11日の休みの日にお兄さんにこんなことがあったと話したことから始まったのです。
お兄さんは私が大分に帰っている間、母が待ちうけて不平不満愚痴悪口の思いのたけを聞かされ、家の中だけの話と思っていたことが叔父叔母たちにも話すらしく、9月の彼岸に帰ってきて今度若い者に話をするからとなって、親類が大和の嫁の立場を説得に来ることになっていました。
家の中の干渉までするな!と兄さんは怒っていました。
あれこれと私の悪口を聞くうちに、真価の見えない中においておくことを耐えられないと感じて悩みの日をかなり前から送っていたようです。
大和の人は口と腹が違う。
その文化の違いを気付くことなく過ごし、退職してから生き生きしている姿を見て、ねたみを感じた近所の人が母への同情の言葉となり、ひどい嫁だと同調するのです。
それが分かった今は奈良に帰れといわれると体が震えて拒否反応を起こします。
ショックを話す私の顔が醜く固まっていて、形相がただ事でなかったのかもしれません。
それらを総合しての結論でした。
紙切れ一枚の重さを思わないわけではありません。
取り返しの付かない汚点だと私も思うし、許されるなら避けて通りたいです。
母の介護は私には何よりも大切なものでした。
高齢の辛さは自分と同じなら、独り暮らしの辛さも淋しさも理解してもらえると思っていたけど、嫁は実家のことはしてはいけないタブーなのです。
その点をなじられたら、私は最悪の嫁だと自分でもわかります。
離婚の理由にあてはまるでしょうね~
私の大事にしたいものは親孝行です。
奈良の財産も分け前も何にも要りません。
母の痴呆が幸いだとさえ思えます。
子育ても社会での勤めも果たした今、せめてあと何年か、母に寄り添いたいと願っています。
息子たちは義母の事を見て育ったからとても考えが変わらないと見極めています。
奈良の家は私がいないでも残りの家族が8人もいるから孤独ではないのです。
半々の現状を認めてさえくれたらと思うけど、大和には通用しない常識です。
それを痛いほど知っているのが兄さんです。
せめて、与えられた決断をよろこぶのが報いる道だと思っています。
苦渋の選択であることは言葉以上に身を切る思いだということも分かってあげたいし・・・
妹は母の分身ですから、元気な母だったら、あなたたちと同じ気持ちで幸せな家庭を守ることを願ってくれるでしょう。
気付かなくなっているから救いだと思います。
まだ日数があるから考えて見ます。
ありがとう!!
本心を聞かせてくれ、真剣に驚いてくれ、必死で幸せを願ってくれて~
感謝しています
コメント一覧
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もっちゃんです
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tuyosi
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