激しい風雨は丸2日続きましたものねえ~
時間を追うごとに勢いはますます強くなって、昨日の朝からは夜明けとともにガレージの屋根が飛ばされないだろうかとそればっかりが気がかりだったのです。
初めはケセラセラの性格ですから、「壊れた時はしかたないわ~」なんて諦めていたのに、友達が
「真新しいのにみすみす何も手立てを講じないのは勿体ないから~」とロープで抑えてくれました。
それから執着心が芽生えたようです。
昨日の朝からますます暴風雨は荒れ狂い、小さな竜巻が何本も渦を巻き立ち昇っていきます。
じっと細い雨戸の隙間から見守っていたのですが、「ロープを張って丸太の切り株を一つ重石にしているだけではとても持ちこたえられない!」と思うようになりました。
夕方6時頃に通過だと聞いていたので、だんだん今以上に激しくなるだろうと思うと居ても立ってもいられなくなって、ガレージの補強に飛び出していました。
服の濡れたのは着替えれば済むことです。
もう一つか二つ切り株をくくりつけて倍の重さにすれば持ち上がらないだろうと思い、花台の切り株を転がして持って行き補強をやっとのことで済ませました。
その直後、連れ合いから見舞いの電話が入りました。
「ガレージの一つや二つ壊れたって20万もあればそれで済むやろ?
お前が怪我をしたら母親の面倒を見るものがいなくなるから、大人しく家の中にいろよ~」とお叱りを受けている時に停電になってしまったのです。
話の途中だったので、携帯で続きを話しました。
彼は、「電話もトイレも水道もテレビも何にも使えないのは不便だけど、原始時代を生きているって愉しめよ~」とこともなげに笑うのです。
とっさにこんな答えが返ってくるなんて、なんて大きな器の人なんだと見直しました
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天草辺りを通過の頃が一番ひどかったと今振り返ると思われます。
4時を過ぎると風雨は弱まり、クウの散歩は今がチャンス!とばかりに出かけていきました。
帰ってみると電気が点くようになっていて、台風情報を知ることが出来ました。
竹田の総雨量は今回は916ミリでした。
15年前に集中豪雨があり、再起不能かと思われるような痛手を村は受けました。
裏山の土石流で近所の家が流され、川の氾濫で水田も洗い流され、巨石がごろごろ当たり一面に転がり、地獄絵だと夏休みに帰ったときに感じたことがありました。
そこから復興が始まり、やっと今年の春で基盤整理を兼ねた工事が完了しました。
やはり15年かかりました~
分担金を地元からも捻出しないと行政は動きません。
一戸当たり500万くらいは納めました。
だから、今回の台風は一番安心して村の人は過ごせたはずです
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単身赴任をしている長男からも、もしや?という慌てた様子で夜の10時くらいに安否を訊ねる電話がありました。
竹田で女性二人が行方不明~とテレビで知ったからでした~
歌謡ホールを母と8時過ぎに楽しんでいたら、常連のふじやんが心配のあまりに電話をかけてくださいました
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大分県の竹田で女性二人~~?!
「電話がかかればもっちゃんは無事なんだと思う」と賭けをしたようです。
ほんとうに大変皆さんにご心配をおかけしてしまいましたね~♪
門司の従姉妹や大阪の叔父も今朝から電話をくれました。
似たような村の画面を見ていたら、もしや~?と思うのだそうです。
台風のたびに傷めつけられてきましたものねえ~、この村も。
朝から、飛び散っていた葉を掃き集め、掃除をしてきました。
もっちゃんファミリーは元気ですから、ご安心くださいね~
本当に温かく見守っていてくれているのだ~と感謝でいっぱいの朝です
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