勤務最終の新設校は22年前にマンモス校から分離してできた学校でした。
その時は、2年間学習してきた仲間と生木を裂かれるみたいに年度末を境にして2校に分かれるのですからとても辛い思いをしました。
当時市内には中学校が2校しかなく、大阪のベッドタウンとして生徒数が増えたと言う事情があり、急激に落ち着きを無くし、荒れや揺れの大波に両中学校が襲われました
市の財政は赤字続きで節電、節水に厳しく取り組んだ時期でした。
教室の中に4列の蛍光燈が設置されていましたが、窓側の半分2列は節電のために電球を取り外していた記憶があるほどです。
荒んでいく子供の姿を見るにつけ「子供は、地域の宝や!」と言う声が高まり、第3中学校の建設に取り組んだのです。
新しく学校をスタートさせると言う大変なエネルギーの要るときに抜擢された先生方は、みんな理想の持ち主でした。
制服はどんなものに?
スクールカラーは?
校歌を作らねば・・・
女子の夏服をどうする?
歴史と伝統に恵まれた学校からの分離だったので、校訓を決めるときは侃侃諤諤でみんな前向きの、建設的な意見ばかり~~
やがて、
自主的に学習しよう。
誠実に生きよう。
友愛に燃えよう。
奉仕の精神を培おう。
という4つの生活目標が掲げられました
さあ、これで形は出来上がり、後は魂を入れることが大切です。
先生方は四方に目を光らせアンテナを張り、少しでも魂に響く具体的なものはないか、今から思うと大変な暗中模索の時だったけど、充実していたなあって思います。
初代校長は吉崎先生でした。
「出張の帰りに、お寺の掲示板で見かけた言葉が、とても素敵だったので紹介します。」と、即、全校集会を持って生徒に伝えるのです。
いかに燃えていたか伝わってくるでしょう?
オアシス運動
オ おはようございます (友情の心)
ア ありがとうございます(感謝の心)
シ 失礼いたします (礼儀の心)
ス すみませんでした (反省の心)
22年前に校長から聞いた言葉が、心の中にずっと残っていました。
この吉崎先生も6年前にお亡くなりになりました。
介護で故郷に帰ってみると、母校の小学校校門に屋根付きの掲示板があり、そこには、吉崎校長が見つけてこられた言葉が、そのまま大切なものとして、色褪せずに掲げられていたのです。
教育の原点を見る思いがしましたよ~
大人にも子供たちにも、生きる示唆を与えてくれる言葉ですよねえ~