第三章:呉越相撃つ・ 臥薪
呉王闔閭の死は、大きな衝撃として天下を駆け巡った。 「呉王が死んだ!」
奮揚が届けたその知らせに、包胥は腰を浮かせた。 「いったいどうして……
病か?」 「病だって?」 包胥の言葉に、奮揚は思わず問い返した。
「違うぞ、闔閭は討たれたのだ。呉は、越に敗れた!」 包胥は卒倒しそうに なった。彼は、伍子胥に越に武威を示せばよいなどと伝えていた。しかしそれは 具体的な戦力分析をした結果からではなく、厳しい言い方をすれば、ただの
印象からでしかなかった。
「越がそれほどの強国となっていたとは、認識を改めなければならぬ」 その 会話を見守っていた紅花は、純朴な感想を述べた。 「越国って……遥か南の 国でしょう? いったいどういう人たちが住んでいるのかしら。言葉は通じるの?」
これは、当時の楚や黄河流域の中原諸国に住む人々にとって、当然の疑問であった。
彼らにとっては、越はすなわち南蛮であり、未開の地であった。したがって、 そこに人が住んでいることも、ほとんどの人が想像したことがないのである。 しかし、実際は違った。奮揚はその事実を彼らに伝えた。
「越の現在の王は勾践という。彼ら王家はもともと夏王朝の末裔だと称しているが、 その真相はわからぬ。だが、王は確かに我々と同じ言葉を話す。 そして王の周辺を固める重臣たち……大夫のひとりで主に内政を担当している
文種ぶんしょうという人物は、楚の出身だそうだ。またもうひとり、軍政を担当 している范蠡もまた、楚の生まれだとのこと。
越の宮殿には楚出身の者が多く集まり、そのため文化は楚に近いという。いずれに しても、先王の時代に多くの賢人が国外に流れた。彼らもまた、なんらかの事情で 楚に居づらくなったのだろう」
包胥は溜息を漏らしながら呟いた。 「伍子胥と同じように、か……」 続けて
紅花が漏らした感想が、さらに包胥のため息を誘う。 「すべての原因が、
楚にあるとも言える状況ですね」 しかしそれは確認でしかない。
原因はすでに確定しており、それを今さら変えることはできないのだ。ある事象が、 次に起こる事象の原因となり、次に起こった事象が、さらに次に起こる事象の原因 となる……
人の社会とは、その連続によって営まれているのであって、それを遡って変える ことはできない。彼らにできることは、その流れに乗りながら、次の事象にとって 良き原因となる行動をとることであった。
「呉には新しい王が擁立されたのか?」 包胥は気を取り直して、奮揚に
問うた。奮揚はそれに答える。 「新王は闔閭の次男で、名を夫差というらしい。 どうやら伍子胥が熱心に推した人物らしいぞ」 「ふうむ……その人物が伍子胥の ような男であるとすれば……呉はこのたびの屈辱を越に対して晴らそうとするで あろうな。そして越はまたそれに復讐しようとする……
はたしてどちらが生き残るか」 悩む包胥に、紅花が口を挟んだ。 「必ずしも
どちらかが生き残ると決まっているわけでもないでしょう? 両方潰れることも あるのでは?」
「うむ。双方の争いがあまりにも激しくなると、そういうこともあるかもしれない。
折りをみて、私は越王に拝謁してみたいと思う。それが何年後になるかわから
ないが。奮揚どの、君は呉越を渡り歩いて、その実際の状況を逐一私に報告
してほしい。紅花も今度は一緒に行くがいい」
奮揚と紅花は、そろって旅支度を始めた。使命感に燃えた表情をあらわに
する奮揚に対し、そのときの紅花の表情には、うきうきとした喜色が溢れていた。
※…
「今さら言うのもなんだが、私は公子子山さまに王になっていただいた方が
良かったと思う。なぜ君はあえて夫差さまを選んだのか」 孫武は疑問を呈して みせた。
しかし、このとき伍子胥は表情に怒りの色を示した。 「今さら、というのであれば 本当にそうだ。甚だ不遜なひと言だぞ。相手が君だからこそ黙っているが、もし これが他の奴であったなら、私はためらわずに剣を抜いているはずだ」
「ああ、わかっている。だが、どうしても知りたいのだ。質問に答えてほしい」
伍子胥はその孫武の言葉にしばらく無言を貫いていたが、やがてぽつりぽつりと 言葉を漏らし出した。
「夫差さまは、単純なお方だ」 「ああ。だから心配なのだ」 「胆力はある。しかし 人の意見に左右されやすい」 「定見が無いように思える。それは私も感じることだ」 「もし夫差さまではなく、子山さまが王に選ばれたとしたら、…
一時は夫差さまがそれを受け入れたとしても、あとで必ず彼を焚き付ける者が現れるに 違いない。そのとき夫差さまは、国の安定よりも自分の野心を優先させるだろう。 あの方は、そういうお方だ」
「だからこそ、先に王位に就けたというのか」 「越との戦いは、今後しばらく続く。 夫差さまは私を頼ってこられた。そういう事情があれば、もし彼が道を誤ろうとしても、 制御は可能だ」 「どうかな」 孫武は、そう言い残してその場を去った。
彼は伍子胥の意図を理解したが、だからといって、それに納得した様子はなかった。
「復讐の心を絶やしてはなりません。先王の遺言を胸に刻み込むようにご自分でも 努力すべきです。安楽に身を委ねてはなりません。不屈の闘志こそが、決意を持続させます」 伍子胥は、夫差を相手にそのように説いた。
夫差も即位当初の決意に燃えていたころである。彼は伍子胥の言葉に感じ
入り、薪を貯蔵する小屋で起居することにした。 そしてその小屋に出入りする 召使いに、毎回のように言わせた。
「夫差よ! 汝は越の国人が汝の父を殺したことを忘れたのか!」 と。 その様子に、伍子胥は満足した。 …
斎藤一人さんの言葉より…
「過去は変えられないけれど、未来は変えられる」
世間の人はそういいます。 でも、残念だけど、そうはならない。 「過去は変えられるけれど、未来は変えられない」これが現実です。
変えられるのは過去なんです。 なぜ、過去が変えられるのかというと、昔のことを 思い浮かべるとき、過去の出来事はもう「思い出」ですよね。思い出というものは、 後でいかようにも変えられる。
人間は、「今がおもしろい。今がしあわせだ」と、過去の不幸がしあわせなことに 思えてしまう。過去のイヤな出来事が、今の自分の宝なんだと思えてしまう。
過去のどんな出来事もしあわせと思える人は、今もしあわせです。 今がしあわせ だからこそ、未来がしあわせになるんです。
人間は万物の霊長です。過去は変えられるんです。
目の前の現実に向かっていけば、イヤな出来事がやがて自分の宝になります。 「昔は大変だった」とか、「昔、すごく苦労した」とか、「若いころはこんな もんじゃなかった(楽じゃなかった)」、「ホントにきつかった」とか言う 人がいる。
今なんて、昔に比べれば、たいしたことはない、自分は本当に苦労したんだ、 と苦労自慢をする人だ。
反対に、かつて、苦労なんてしたことないよ、だから昔は、「毎日、ホント よくふざけてたな」とか「楽しかったなぁ」とか「よく遊んだなぁ」と言う 人もいる。
普通に考えて、困難なことや、厳しかったこと、つらかったことがない人など 一人もいないはずなのに、人によって捉え方がまるで違う。
明るいことしか覚えていない人なのか、つらいことや暗いことしか覚えていない 人なのかの違いだ。
つまり、過去を見方によって変えてしまったということ。 そして、大事なのは、
どちらの方が聞いていて、楽しいか、ということ。
夜、虫は電気のついている明るい方へ、明るい方へ行く。 これは、人も同じで、 明るい方へ、楽しい方へ、面白い方へと、惹(ひ)かれる。
つまり、明るい人、楽しい人、面白い人に魅力があるということ。
「過去は変えられるけれど、未来は変えられない」という言葉を胸に刻みたい。…