貧者の一灯 ブログ

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貧者の一灯・一考編

2022年12月24日 | 貧者の一灯

















お寺の住職は職業柄、「人の死」という人生で
最もつらく、悲しい場面に直面した人たちと
向き合わねばならない。

時には「話を聞いてほしい」と、いろんな人が
お寺を訪れるが、楽しい話を持ってくる人は
あまりいない。  

福岡県北九州市にある天徳山金剛寺の住職
・山本英照(やまもと・えいしょう)さんは、背負
いきれないような重い宿命を受け止めて生きる
人たちとの出会いを

『重いけど生きられる』
『あなたがいるから生きられる』という
2冊の法話集にまとめた。

今でも和尚の脳裏に焼き付いて離れない
葬式の場面がある。  

遺族席には10歳の長女を頭に、8歳の次女、
5歳の長男が座っていた。

和尚は3人に優しい言葉のひとつでも掛けて
あげたいと思ったが、気の利いた言葉がなか
なか見つからなかった。  

3人にはこんな事情があった。  

ある時、住んでいた家が道路拡張工事に
引っかかり立ち退くことになった。

その際、二千数百万円の立ち退き料が
支払われた。  

ところが、その金を持って父親がどこかに
消えた。残された母親と3人の子どもは住
む家も、行くところもなく、畑の中の農具
小屋に身を寄せた。  

半年の月日が流れた。

どんなに貧しくても一緒に暮らしたいのが
親子の情だが、これ以上、わが子を電気も
ガスも水道もないようなところに置いておけ
ないと、母親は、3人の子どもを遠方の施設
に預け、自分だけその掘っ建て小屋に戻った。  

その後、母親は持病の糖尿病を悪化させ、
医者にかかれるお金もなく、小屋の中で1人
さびしくその生涯を閉じた。  

英照和尚は、3人の子どもたちに「強く生き
ていきなさいよ」という言葉を絞り出した。

5歳の男の子が拳を握って、涙をこらえて
いた姿が今でも目に焼き付いているそうだ。  

金剛寺では毎年8月下旬に地蔵盆(じぞうぼん)
法要が開かれる。

その際、初盆を迎えた家族のために、葬式
で使った白木のお位牌のおたき上げが行わ
れる。

その年、3人は遠くの施設からやってきた。  

法要の最後にある抽選会で、5歳の男の子が
1等を引き当てた。 男の子は賞品を和尚に
見せながらこう言った。

「これ、お母ちゃんがくれたんでしょ」  

その後も3人は事あるごとに母親の供養の
ためにお寺を訪れた。  

6年が過ぎ、長女は16歳になった。高校には
行かなかった。 理由を尋ねた和尚に長女は
こう話した。  

「いつまでも施設の世話にはなれません。
もう働けますので。生意気に聞こえるかも
しれませんが、大人の世界に入って思った
ことがあります。

不平不満や文句の言える人は幸せな人だ
と思います。

まだ後ろに余裕がある人なんだなって。

私にはそんな不平を言う暇はありません。
今は一生懸命働かんと。何をするにもお
金が必要です。妹と弟がいますから」  

英照和尚は次のような言葉でこの話を
締めくくった。  

「こんな人生を歩むことを定められた子ども
もいることを、そして彼女が言った言葉を、
あなたの心に留めておいていただければ、
と思います」  

一つの命が誕生したら、一つのドラマが
ゆっくりと始まっていく。

自我の目覚めは、「このドラマの主役は自分
だ」と自覚したときなのだと思う。  

そして、「人生」というドラマには、時々極悪
非道の「役」をもらった人が登場するもの
である。

その時、周りの人はいろいろ言うだろうが、
「主役」になって、後に幸福を掴んでいく人
はブツブツ言わない。  

その16歳の少女もそうだった。

「あの父親のせいで高校に行けなかった」
などと悪態をついたり、親のいない不遇を
嘆いたりしなかった。

そんなことを言っている余裕などなかったのだ。  

不平や愚痴や文句を言う人は、不平や愚痴
や文句を言う暇と余裕のある人なのだと、
少女に教えられた。 …












理解し合う場、悩み解決の糸口

自宅にこもりがちな認知症の人や介護する
家族らが安らげる場が、「認知症カフェ」だ。

集まる人を限定せず、地域の誰もが参加できる
のが特徴で、全国に広がっている。

自由に語らう中で認知症への理解が広がり、
悩みの解決にもつながっているようだ。  

トントントン。今月17日の昼下がり、明るい
「店内」に木づちの音が響く。  

東京都目黒区の「Dカフェ・リハビリ工房」では
作業療法士らの指導でコースターなどを作る
革細工が楽しめる。

Dは認知症を指す英単語「Dementia」の頭
文字だ。休日のデイサービス事業所を活用し、
開催は月1回。300円の参加費でコーヒーと
菓子が付く。  

この日は認知症グループホームの利用者や、
工芸が好きな一人暮らしの高齢者ら約20人が
参加。色付けした作品を見せ合い、女性の
1人は「きょうはハッピーだわ」とほほ笑んだ。  

今年初めにアルツハイマー型認知症と診断
された母親(82)と訪れた女性(54)は2度目
の参加。

ペン立て作りに打ち込む母を見守り、「前回の
帰宅後は久しぶりに『ありがとう』と言ってくれ
てうれしかった」と目を潤ませた。

「私も、介護経験があるスタッフやケアマネ
ジャーと出会い、介護の助言を得て、ひと
息つけました」  

こうしたカフェを4年前に始め、民家や病院など
区内10か所で運営するNPO法人「Dカフェnet」
代表理事の竹内弘道さん(72)は、「自分に
合うカフェを選べるよう、医師の講話や看護師
の健康相談など、それぞれに特徴があるが、
過ごし方は自由。歓談を楽しむだけでもいい」
と話す。  

Dは「誰でも」の頭文字でもある。「医師や地域
の人も気軽に訪れ、対等な関係で一緒に歩む
感覚を広げたい」と竹内さん。

話し相手が認知症と気づかず、介護の苦労
を打ち明け、表情が明るくなって帰る人もいる
という。  

「認知症の人が聴き手となり、介護者を癒やす
こともある。ここに来れば、認知症になったら
何もできなくなるわけではないことにも気づい
てもらえます」  

本人も手伝う  

認知症カフェはオランダや英国の取り組みを
参考に国が普及推進を掲げた。

厚生労働省によると、今年3月末現在で全国
722市町村に2253か所ある。

「認知症の人やその家族が地域の人や専門家
と情報を共有し、お互いを理解し合う場」と
位置づけられ、設置主体は市町村や介護
サービス事業所など様々だ。  

支え合う一員として、認知症の人ができる範囲
で運営を手伝うところもある。  

川崎市宮前区の土橋町内会が公民館で月
1回開く「土橋カフェ」は100人前後が集まる
盛況ぶりだ。

「ここにいる誰が認知症か、わからない。

知ろうとする人すらいない」と柴原忠男・
町内会長(80)は笑う。  

開所3周年を祝う今月7日の集まりでは、
コーヒーを配り歩く認知症の女性(78)の
姿があった。

一人暮らしで開催日を忘れることもあるので、
当日はケアマネジャーらが訪問してカフェに
誘う。女性は「皆さんと一緒に過ごせて幸せ」
と目を細めた。  

運営に関わる「クリニック医庵たまプラーザ」の
高橋正彦院長は「カフェは認知症の人や家族
を早期に支援する窓口であり、社会とつながる
場としても極めて重要。

家族以外の人との交流を通じた治療効果も
期待できる」と説明している。  

場所知る方法  

国はカフェを通じて顔なじみになったボラン
ティアが認知症の人を訪問し、一緒に過ごす
「認とも」の育成も目指している。

ただ、認知症介護研究・研修仙台センターの
矢吹知之・主任研修研究員は「日本では今の
ところ、公的な基準や制約がなく、本人や家族
の居場所づくりを第一の目的としたカフェでは
第三者が参加しにくいことがある」と指摘する。  

カフェの名称に「認知症」という言葉が入って
いないところも多く、所在が分かりにくい。

矢吹研究員は、市町村のホームページで
検索したり、市町村が置く高齢者向けの相談
支援拠点「地域包括支援センター」に問い
あわせたりすることを勧めている。 …









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