Happy sprout / 幸福の芽と日月神示 蓮みろく3

心の時代へのパラダイムシフト、日月神示(ひふみ神示)と共に

Two blades of grass

2023-01-29 01:33:00 | 日記

※2/9追加しました。

*日記*

「幸福の芽」と言えば、幾つか代表的なものがあります。

「現代のコミュニティ」もそうであったと思います。

 

私はある時、Peter F. Druckerの思想に触れた時に「光を見つけた」と

感じた時があります。一条の光です。

他にもあります。この時は私自身の心の状態にも依ったと思いますが、

有名な Beethoven Symphony  No.5 交響曲第5番「運命」

聴いていくうちに光を感じました。

この経験をした人は私だけではないでしょう。

 

幸福の芽と言えば、Peter F. Drucker [ The Daily Drucker  3 January ]

Management is indispensable

Whoever makes two blades of grass grow  where only one grew before

deserves better of mankind than any speculative philosopher or

metaphysical system builder.

 

マネジメントは不可欠

経済の一方だけでなく、

経済と福祉の2つの葉を持ち、社会を見ていく、

そういうマネジメントが大切である。

 

Management will remain a basic and dominant institution perhaps as long as Western civilization itself survies. For management is not only grounded in the nature of the modern industrial system and in the needs of modern business enterprise,to which an industrial system must entrust its productive resources,both human and material.Management also expresses the basic beliefs of modern Western society. It expresses the belief in the possibility of controlling man's  livelihood through the systematic organization of economic resources. It expresses the belief that economic change can be made into the most poweful engeine for human betterment and social justice-that,as Jonathan Swift first overstated it three hundred yeas ago,whoever makes two blades of grass grow where only one grew before deserves better of mankind than any speculative philosopher or metaphysical system builder.

   Management-which is the organ of society specifically charged with making resources productive,that is,with the responsibility for organized economic advance-therefore reflects the basic spirit of the modern age. It is,in fact, indispensable,an this explains why,once begotten,it grew so fast and with so little opposition.

 

いつでも良質のマネジメントが説かれるのは、社会が成長、発展している時である。

もし、その社会や世界が戦争、災害、環境変化によって大きな変化が起きた時、変わらざるを得ないものが生じてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2023.1.16 「現代のコミュニティ」について

2023-01-16 00:33:00 | 日記

 

*日記*

早く福祉について、しっかりと終止符を打ちたいと考えています。

「現代のコミュニティ」

何度も、思考のきっかけというか、提案を書いてきましたが、

回答は書いていません。

回答は既に厚労省が形にしています。またその時の首相によって、

一億総活躍社会の中に取り込まれているということもあります。

 

日本のコミュニティをどうするか考えた時に、政策として当然、

過去の福祉や海外の福祉についての動向に目を向けます。

日本はボランティアが支えるという考え方のみでは難しい。

最近はクラウドファンディングを取り入れているところも

ありますが、寄付の習慣に頼れず、運営費の捻出が難しい。

国の施策としては幾つか現す、そして社会構造の変化や

情勢の変化により、対応できる枠組みを作ったということです。

しかし、福祉もその国のnationに依り、宗教に依るところもあり、

またそれさえも変化して違う形になることもあるでしょう。

 

以前、トマス・モアの「ユートピア」という書籍のことを書きました。

この本を読んだ時に「時間軸」がないと思ったと書きました。

その人の認識で平和を描く、多くの人の目線で平和を描く。

しかし、常に時間は動いています。

 

人は時計を身につけて、時間管理をします。多くの人にとって

平等に与えられている「時間」です。

不思議ですが、24時間、365日を過ごしているのは皆、変わらないのに

同じ経験を同じ時間にしても、その後の認識の時間軸が違います。

多くの人は自分の身の回りのことや過去経験したり、見たことは

時間がたってもあまり変化していないだろうという認識を持ちます。

しかし、実際は時間がたつにつれて変化し、他の人の認識が変わり、

結果ずれが生じます。

「社会構成主義」の時間軸は人それぞれ違う時間で動いていて、

次に実在で確認したり、経験したりしないと書き変わらないと

いうことです。

「現代のコミュニティ」について考えた時、それをリアルタイムで

読んだ人と、後から読んだ人で動いている時間が違います。

今の情報社会では、何か新たな発見や知識があったとしても

その次の瞬間には、既に時間が動いていて常に変化していく。

「現代のコミュニティ」もリアルタイムの時の形と、

その後の形も変化していて、そして今の形も常に動き、

変化していくものだと思います。

 

 

 

 

 

 

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2023.1.9 幸福の芽 蓮みろく3の内容について

2023-01-09 05:33:00 | 日記

 

*日記*

「幸福の芽 蓮みろく3」ですが、

しばらくの間は、「蓮みろく maitri」として内向きな内容を

書いていきたいと思います。

 

web攻撃が酷すぎて書き続けることが難しいことが多かったこと、

1,2をリアルタイムでお読みの方はご存じだと思いますが、

もっとも肝心な時に嫌がらせをして書かせないようにしむける、

世の中を悪くならないようにしよう、良くしよう、大を小にしようと

思うことの邪魔をする、悔しいことです。

 

リアル社会で全く逆のことを言って邪魔をする、

魔の手の攻撃ということになりますが、例えば、私を悪者にしたり、

嫌がらせをされているのに、していると言われるなど私の立場を悪くして、

内容を自分のものにしようと考える人が出てくること

私はその都度、「キリストの磔」を思い出していました。

リアル社会で身近にそういう存在がいるということ。

 

それから、「幸福の芽 蓮みろく3」については

「一人で立つ」、また、一から始めることになっています。

しばらく書き進む必要があります。

 

時間が必要です。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2023.1.3 以前blogに掲載した経済、福祉について

2023-01-03 00:33:00 | 日記

 

*日記*

第3章の幕が開けたと書きましたが、少し整理する必要があるので

以前掲載した1、2のことも書いています。

 

blogを書くずっと前から、学問が幾つかの面で現状より

遅れていることについて気になっていました。

近隣他国が急成長している時に、日本は成長をしなかったのです。

世界経済が現実的に大きく動いているのに、学問が追い付いて

いませんでした。

汚染が進み、新しい道を模索しなくてはならず、社会的現象や

森羅万象が警鈴を鳴らしているのに動くことがありませんでした。

1,2のblogにはそれらのことを書きました。

 

また、福祉関係では、「現代のコミュニティ」として福祉の内容を

多く、含みました。

こちらも日本の福祉の理論に整合性がないものがあるのに、それに

目をむけていない現状、他国の良いところを取り入れていく必要は

あったものの、日本においておこなうべきものが見えていないこと、

また私が動き出したとき、日本は介護保険制度が一段落し、安堵と

共に時間が止まってしまっているような感覚があったことなど、

私には危機感がありました。

 

内容をblogに書いていく一方で私は追い詰められていきました。

職種の団体関係者、H元教授には明らかに私がblog等で

福祉や社会について投稿を続けていることを伝えていました。

このH元教授のところでは、借金を追わせられそうに

なったり、、ご本人は某企業と共に霊媒みたいな様子で本を

出そうとしたり、私のblogの内容を全てご自身のものにしたいと

いうことが徐々にはっきりしていきました。

時間がたつにつれ、私は社会的に全く動けないような現状に至り、

また年齢からくるような体調不調が襲い、日常生活が難しい状態に

陥りました。体調のことや私の仕事上の地域性が変化したために

そのまま何処かに行くこともできず、その地域にしばらく

留まりました。

 

blog2に書いたように結局、職種の団体関係者のS教授から

「現在のコミュニティ」に書いた内容について、書籍として

発表されました。

内容についてご本人が納得していたかは疑問がありますが。

 

一回発表されたものなので、もう私のblogの内容を誰が

使用しても、それ自体が拡散していて止める意味がありません。

むしろ拡散しなくてはならない時期をとうに過ぎていたのです。

今、福祉関係者がそれを改めて説いても何ら、

学術的な新しい影響を及ぼす意味がないでしょう。

 

1月1日に記載したように、このblogの記事の内容で福祉について

あまり書かないと思います。

 

そしてもう10年くらいの間、私には情報屋の影が付きまとっています。

一時はマスコミや情報屋が、明らかに目の前にいたり、

入れ替わり立ち代わりしていましたが、今は影と言ったらよいでしょうか。

これは単なるネタなのか、期待されているのか、逆なのかどうなのか疑問があります。

ただ非常に感じるのは宗教関係の繋がりを探しているということです。

全くありません。

 

 

 

 

 

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2023.1.2 初詣

2023-01-02 20:33:00 | 日記

 

*日記*

本日、初詣に行きました。何処に、何処でしょう。

神は言われます。「私の身より神を法を現し、神を現す」と。

何処に居ても神に祈るということは大切ですが、詣でることには

大きな意味があります。

神の元に詣でるということは行く前、行く途中、行った先、帰り道に

それぞれ、大きな意味を持ちます。

ここに書くGod,神は太陽神ではありません。

 

新春、長く伊勢神宮に行きました。最初頃は良かったのですが

私が大きくなるにつれ、人間としての私と霊域を競合するように

なってしまいました。はっきりしたときからは行っていません。

また、太陽神は天照大神のみではありません。

この世の成り立ちのことになりますが、太陽は全世界、その場所によって

太陽神を現します。

人が大空を仰ぐ、太陽に手を合わせる、

それは人類が持っている、大切な神への畏敬の心の現れです。

 

 

昨日、blogのトップ画面の写メに入れた写真は糸魚川ヒスイです。

作成時、弥勒菩薩像の写真にしようかと思いましたが、

糸魚川ヒスイを載せたのは意味があります。名も無い作者の作品です。

このヒスイの勾玉に神が込めた声は「一人で立つ」

私には2度目の言葉・・・

最初はblog1に書いた、太陽と星の写真を撮った時の神の声でした。

その時は私にはいろいろなものや宗教、仕事上組織の繋がりがありました。

今回の「一人で立つ」はどの宗教にも依らず、どの組織、団体に依らず、

私の身より神が法を現すということです。

長い間、宗教書は読んでいません。

長い時間、神はそれは多く、私を試しました。

神の声が聞こえるということは私の使命でしょう、改めて思い、このblogを

書き始めています。

 

blog1を書いていたときは多くのnet攻撃にあいました。

また、それを避けるために相当な時間を費やし、誤字脱字があっても

そのページに戻れなかったり、文章を変えて書いたり、文言の使い方を

変えたりしていましたし、net回線も変えていました。

今、こうも静かにblogを書けるのかと思い、書いています。

当時、webで拡散していて今ほどnetが多くなく、

IPを追うと世界に向かってその広さに驚いていたものです。

今はIPを追うような、そのようなことはしません。

その当時、webを伝ってくるその悲しさ、苦しさ、不安に止めどもなく

涙が溢れていました。

 

また、少しづつ、書き進んでいきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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