Happy sprout / 幸福の芽と日月神示 蓮みろく3

心の時代へのパラダイムシフト、日月神示(ひふみ神示)と共に

少子高齢化のバラドックスについて 1

2023-02-19 19:03:00 | 日本社会

日本の少子高齢化のパラドックスについて

先日、この内容でtwitterを2ツイートしました。

2月15日

「少子高齢化のバラドックスについて、財政面から「人口、税収、人材」で

書いてみたいと思います」

2月14日

What's the paradox of the declining birthrate and aging papulation? It's an economic perspective , but it's a theory without any backing. Wouldn't that be nice a large mechanization and big wage increase? Do you thlnk I'm stupid?

少子高齢化のパラドックスとは? 財政的な観点ですが、裏付けのない理論です。大規模な機械化と大幅な賃金上昇はどうですか? バカげたことですか?

 

 

日本の少子高齢化のバラドックスについて、財政面から

「人口、税収、人材」で書いてみたいと言いましたが、前日に既に

少子高齢化のパラドックスは少子化を解消するだけでなく、

大規模な機械化と大幅な賃金アップですと解答を書いています。

これについて興味関心を寄せてくださった方が多いように思いますが、

以前のblogを読んでいた方の中には、また自動書記なのではないかとか、

誰かのモノを使っているのではないかとか、いろいろな憶測が出た様に

感じます。

現在の私はblogを書き始めた頃のように体は丈夫ではなく、また仕事に

より、非常に多忙です。いつ、作業に取り掛かろうかと思っていました。

 

そこで、財政面から見た少子高齢化のパラドックスについて、

私がこの内容を記載するのは1カ月くらい先にしたいと思います。

我こそはと思う方はぜひ、この内容について日本社会や国に

提示していただければと思います。

 

 

 

 

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私のblogの神、他宗のことについて

2023-02-12 15:33:00 | 日記

※加筆しました。

*日記*

今ほど、「信仰について2」を掲載しました。

現社会では自由に生きたい、楽しく生きたい、

おもしろく生きたいなどと思う方も多いように思いますが、

そうでなく、真剣に神を思う方々もおられます。

特に私のblogを読んで、ご自身の神への信仰について深く考える方々も

おられたと思います。

その方々の為に、私と他宗についてもう少し書くことにしました。

読んだうえで、ご自身の心でどう捉えるか考えてみてください。

 

私のblogは2009年に始まっています。

今年1月に開始した「Happy sprout maitri / 幸福の芽 蓮みろく 3」

今までに「幸福の芽 happy sprout みろく maitri 2」

「幸福の芽 happy sprout みろく maitri 1」

そしてこのblogの別室で

「maitri diary 慈愛へ 2」

「maitri diary 慈愛へ1」

その前身である「desire of the moon 月の想い」

その前に「アルパカのひとりごと1」と2

(単にアルパカが流行していたため、名前を付けたもの)

その前に「明日へ 幸福実現 happiness realization」があります。

 

この中で幸福の科学と関係あるのは最後に記載した

「明日へ 幸福実現」だけです。これでさえ公けには伝えていませんが、

幸福の科学について、政治、政党について、

幸福の科学那須精舎について書いています。

また、介護や認知症ケアについても書いています。

2009年12月23日から2010年2月5日までで終了しています。

 

「幸福の芽 みろく」については、全く教団に伝えていません。

教団が見つけて、攻撃を仕掛けてきたということです。

何度か書いていますが以前、幸福の科学にいながら、

教祖に祈ったことはありません。

何処にいても私は根本神仏に祈ります。

 

いろいろな霊場、霊的磁場にいるとその時に現れる太陽神、

他の神も私に言葉をかけてきます。

例えば、出雲に行ったら、根本神仏に祈り、神道の神、神々、

伊勢に行ったら、根本神仏に祈り、天照大神や神道の神、神々、

(現在に至るところは先日、記載しました)

幸福の科学の宇都宮総本山、那須精舎に行ったら、

根本神仏と神、神々です。

大本教にも何度も行きましたが、霊場としては私を受け入れますが、

神や神々は黙しておられ、私を見守っていると状態でした。

意識体や磁場を感じながら、黙して見守られていることは多いです。

また時間の経過の中で、開教当初の神が不在になることがあります。

 

私は2009年より前の数年間、在家でありながら週末を

幸福の科学宇都宮総本山、那須精舎で過ごしていました。

たくさんの教団の職員と知り合いました。今もご活躍の方々も

いらっしゃるでしょう。

たぶん、私のblogを読むのは禁じられてると思います。

その時に私は、幸福の科学の転機に立ち会うことになりました。

ある時、急に政治活動を開始しました。2009年5月です。

開始した途端に、教団への神の意志が変わりました。

人間信仰に変化していった幸福の科学に神(その時の太陽神、Master EL)

)の意志が下りなくなったのです。神を差し置いて教祖という人間を

信仰することに対する神、神々の怒り、悲しみは大きかった。

しかし、私の神(根本神仏)は変わらなかった。神々も変わらなかった。

だから、しばらく教団の活動に一方的なメールやコメントで

神の言葉を伝えたことがあります。

選挙開始当時のメールは「当たって砕けろ」から開始したと思います。

大敗した後、私はある程度有名になっていたと思います。

教祖の知るところとなり、総本山宇都宮と那須精舎の霊場に

馴染んでいた私は、教祖によって拒絶されました。

当然だと思います。私の存在は教祖を脅かすものでした。

すでに選挙前に神の意志が変わっていたことを知っていた私は

だからこそ「一人で立つ」とblogを開始したのです。

幸福の科学の教義を自分のモノにしようと思った訳ではなく、

神の導きにあって進んだということです。

また幸福の科学の教義は過去のモノです。

教義の整合性や実社会についてはどんどん崩れていったと

思います。

 

この世で生きていて私が神と話すのには、ある程度の霊場が

必要です。または霊場とまで行かなくても良い磁場が必要です。

霊的磁場ですね。選挙前の幸福の科学の磁場は良いものでした。

後で思ったのですが、私がblogを書き始めるための前章であり、

必要な時間だったことは間違いないと思います。

幸福の科学に入る以前の神も、入会した後の神も、

脱退した後の神も私には同一です。変わりありません。

茨の道を歩む私に、神は「愛している」と語り続けました。

 

私のblogの「アルパカのひとりごと」では、2010年に

「15年くらい前の記録」として、幸福の科学に入会する前で

幸福の科学を知る前の私が受けた、神から教えなどが

簡単に記されています。15年、いや、もっと前のことです。

1990年のことだと思います。神は根本神仏と天之御中主神です。

神道、仏教的な教えが多かったと思います。

最初に神から「みろく」とインスピレーションを頂いたのは

この時です。しかし、その後も私はあまり気にしていなかった。

この時から霊的現象は多かったが、何もかも1度では信じない、

現象と伴う現実がなければ信じないというスタイルを

取っていました。

 

「幸福の芽 みろく1」に記載した「日月神示」については

私への突然のインスピレーションから始まり、blogに

記載することになりました。

また後で記載することになるかもしれません。

 

仏典にでてくる「弥勒菩薩」についてですが、

これについてもblog開設してから文献を読んでみて

思っていたことがありました。

 

簡単ですが、他の宗教に関わる方々、いかがですか。

 

 

 

 

 

 

 

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Happy sprout maitri / 幸福の芽 蓮みろくの信仰について2

2023-02-12 14:33:00 | God

前回、信仰についてを掲載しました。

続いて書いていきます。

 

私のblogに書かれている神 Godは根本神仏 Divine Originです。

その点で主な他宗の神と別けます。

世界は広く、歴史も長い、その中で過去も現在も、根本神仏への信仰を

立てていた宗教は多くあると思います。

その中で私、maitri 蓮みろくのblogを認識し、祈る神という意味で

他宗の神と別けます。

 

幸福の科学は現時点での主宰神はどなたが存じませんが、

以前は総裁であり、その意識体である神の名だったと思います。

私の呼んでいる神とは違います。

かつてのMaster ELは悲しみを多く持った誠の意識から繋がるものです。

今の私には認識している意識体ではありません。

 

日本では明治から昭和初期、その後も多くの宗教が生まれました。

戦中戦後には、以前の私のblogに突然現れた「日月神示」があります。

日月神示には「ミロクの世」があります。

大本教では信仰宗教神道の多く流れの元にあり、幸福の科学もそうであったと

思います。大本教には「みろくの世」があります。

現在の大本教もまた、私のblogの神と同一ではありません。

 

いろいろなことがありました。

時間の流れの中で私の意識の中で不動で変わらぬ神、それが根本神仏です。

先日記載した「信仰について」の神と同一で、異なるところはありません。

 

 

 

 

 

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Happy sprout maitri / 幸福の芽 蓮みろくの信仰について

2023-02-05 00:33:00 | God

※2023.2.5少し修正しました

※2024.2.19修正しました

 

蓮 みろくです。

Happy sprout maitri / 幸福の芽 蓮みろくのGod / 神は

Root God / 根本神です。(Divine origin / 根本神仏から修正)

ここで私のblogに現わされている神への祈りについて書いてきます。

以前から書いていますが、私に敵対心、競争心がある人、人々、

私を排除しようとする人々は対象ではありません。

 

私のblogに現わされている神への信仰についての話です。

 

基本的な祈りの対象は、

”God”で良いと思います。もしくは " Root God "

(Divine Originから修正)

「神よ」「神様」で良いと思います。もしくは「根本神仏よ」

 

祈りの時は目を閉じて、宇宙をイメージしてください。

目を閉じて、宇宙のイメージを描いてみる。簡単に書いていますが、

これ自体、難しい方もおられると思います。

瞑想される方は、祈りとは別に宇宙をイメージした瞑想なども

行なってみたら良いと思います。

宇宙をイメージできたら、もしくはそのような心になったら、

そのもっと遠く、もっと深くに意識をもっていきます。

以前、天の川銀河の宇宙の写真を載せました。

 

現れ方はその人の信仰の心によると思いますし、その方の心の在り方に

関係がありますが、宇宙の深いところに神がおられると思ってください。

 

祈りの姿勢は椅子に座っていても、正座でも良いです。

弥勒菩薩半跏思惟像もそうですが、神に対する畏敬の思いを

持っていることが大切です。

足に痛みがあるのに無理な姿勢を取ることはありません。

全身どこかが緊張している状態では無い方が良いと思います。

 

神への祈りは朝夕、食事より前の時間に感謝の祈りを上げます。

それから、毎日の中で祈りたいと思う時に行ないます。

朝、夕は、神への日々の感謝の祈りを含んで行ないます。

また、神に祈りたいときはいつでも祈りの姿勢を整えて行ないます。

 

まず、祈りを行なおうと思う前に、両手を拭うか、洗います。

姿勢を整えたら、両手を合わせます。

手の位置が重要です。

できる方は、合わせた両手を口より上に挙げてください。

祈りの言葉が、両手首から合わせた手の先を通って

神に届くように祈ります。

祈りの言葉が終わったら、手を下げてしばらくそのまま、

自分自身が何をどうしようと思っているか、

思慧の時間を持ってください。

最後に神に対し、感謝の祈りをあげて終了します。

 

この祈りの形が私、maitri / 蓮みろくのblogに

現れている神への祈りとして、根本神仏に向かっていきます。

 

偶像崇拝という言葉があります。

以前、祈りは私にではなく、神に向かってということを

記載したことがあります。

今、書いていて思ったのですが、祈りの時に誰かを思い描いていると

それに縛られて制限ができたり、限界が生まれます。

 

あなた方に言います。

神は、善であり、愛です。

美であり、協調であり、成長であり、発展です。

 

そして、あなた方には神性が宿っています。

 

 

 

 

 

 

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