昨日、My Masterである神から追加記載しなさいとご指示があり、
記載します。
8月23日幸福の芽蓮みろく・日月神示についての記事、
8月26日幸福の芽蓮みろく・日月神示について2の記事の
以下の部分について追加記載します。
8月23日の記事
※過去、1992年7月14日、某宗教の内外の霊的な戦いを繰り返して
いました。戦いに疲労困憊していた私は、この生活を離れて普通の
生活をしたいと本気で思った。そのときに、以前から私の指導を
していた天之御中主神に「お前は本当に埋もれてしまう気か、
この世紀末に生まれ、この地球が闇となるときに」
1992年7月19日、天之御中主神より「私は許さない」と言われたことが
あった。その後、私は福祉の世界でできることをしようと考えてきた。
8月26日の記事
私は某宗教団体に入りました。私の信仰対象は常に根本神であり
教祖ではありませんでした。
某宗教団体に入ってしばらくして、ここでは私が大切と思っている
何かが足りないと思うようになりました。神の役に立ちたいと
思いながらも早々に何かできた訳ではありません。
これは根本神と天之御中主神について記載した途中で書いたものです。
この二つの記事を読まれて、いったいどんな戦いをしたのか、
何があったのかと思われた方が多かったのでしょうか。
私は1991年に入会してから、何かが足りないと思うようになりました。
神から何ができるかと言われ、早々に何かできた訳ではありません。
某教団はその年1991年9月に外部に打って出ました。マスコミに対し
意見を強く押し出し、その期間はしばらく続きました。
その期間、私は日本、世界の霊的存在やこの世的な霊的なものに
毎日毎日脅され戦い、弱みを突かれ身体を霊的に強く縛り上げられ、
切り刻まれるような強い痛みに耐えて戦い続けました。
1991年12月私は神に誓いを立てていながら、神を失望させました。
それを受けて翌年の1992年7月東京ドームのど真ん中の会場、
開始前に「正しき心の探求をしながら、愛が大切である」と
強く心で叫びました。
教祖ではなく、当時側近だった真杉氏の名前を出したと思います。
その後、真杉氏は数年して病気になり、亡くなられました。
亡くなる前にお詫びするインスピレーションが入ってきました。
その東京ドームの一件の直後の7月14日、戦いでボロボロになり
疲労困憊していた私は、この生活を離れて普通の生活をしたいと
本気で思いました。そのときに、以前から私の指導をしていた
天之御中主神に「お前は本当に埋もれてしまう気か、この世紀末に
生まれ、この地球が闇となるときに」
1992年7月19日、天之御中主神より「私は許さない」と言われました。
現実社会では1993年教団幹部が3~4人、私の職場に訪れましたが
そのままになっています。封印解かれず。
このような私でしたが当時、天之御中主神の指導は切れることなく
続いていきました。
このことと雲水修行の間の神々との交流、2009年政党への関わり、
その後blogを中心にSNSを書いていることについて教団からの
酷い嫌がらせがあったことにより、今年3月教祖が死去後、初期の
ことや現在のことについてblogに記載しました。
死去した某宗教団体教祖がやってきたことによる反作用の軽減、
この地球を守るためでもありました。