Happy sprout / 幸福の芽 蓮みろく3

心の時代へのパラダイムシフト、ひふみ神示(日月)や古史古伝と共にみろくの世に向かって

日月神示 2023年9月 X-twitter

2023-09-26 00:53:00 | X twitter

9月の日月神示 X-twitterまとめました。

 

2023年9月5日

現在言われているパラレルワールドは並行社会だけなのか

 

2023年9月9日

神道のことなら皇室で伝えられているものがあると思いますが、

日月神示やみろくの世など一般社会にわざわざ神示を降ろし、

広めたのはなぜでしょうか。

 

2023年9月10日

日月神示やみろくの世など一般社会にわざわざ神示を降ろし、

広めたのはなぜでしょうか。

 神と八咫烏陰陽道が育成のために行なったことだと伺いました。

2023年9月11日

日月神示 「徳を出していこう」

※世の建て直しを始める→「徳を出していこう」

→「成る-仕組みを立てよ」

 

2023年9月11日

関東、昨日から随分揺れてる

 

2023年9月12日

blog更新しました.

1897+96=1994

 

2023年9月17日

日月神示 道しるべ

御光は愛である 神を求めよ 己に求めよ 求めて理解した後に行じよ

行じたら顧みよ 神は其処に歓喜する

 

2023年9月18日

日月神示 メグリ

メグリは神と悟りの世界、一人一人の心の中で浄化するもの。

メグリを無くすと言って宗教が人を害したり、神になりたい人間が

神になりかわり人を害するのは間違い。

 

2023年9月18日

日月神示 永遠(とわ)

身魂は何れも生き変わり、死に変わりして練りに練り、鍛えに鍛えて

神国の真の身魂天かける。

日月の巻 第二帖

 

2023年9月21日

調和は愛であり、善である。

愛は善であり、調和である。

善は調和であり、愛である。

 

2023年9月24日

誰かがあなたの右の頬を打っても、あなたは彼の右の頬を打っては

ならない。それならばあなたの左の頬をも向けなさい。

しかし、彼があなたの左の頬を打とうとするならば、あなたは彼の

その行為を諭しなさい。

 

2023年9月24日

内外の多くの新興宗教の中でも懺悔や[反省しなさい]と

言われるでしょう。

本来その罪は人が人を許すものではなく、神が許すものです。

そして懺悔や反省は神国では向上の為にあり、魂の糧としてより

良い魂を作るものです。

 ↓

もし、罪の意識が強く出て苦しむことがあったら、

人に話すのではなく、静かに神に聞いて頂くことです。

神に祈り、神と共にあり、神の光の中に身を置き、その辛さ、苦しみ、

悲しみを聞いて頂くことです。

神はその祈りを待っています。

 

2023年9月28日

5か月に及ぶdos攻撃を止めて欲しい。

 

2023年9月30日

ナルとは成る言ぞ。ウムとはウムこと。  

黄金の巻47帖 成るは神の御心に合った目標と計画、ウムは幽界に

出来たイメージを現界に出す仕組み。

 

 

 

 

 

 

 

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日月神示 蓮みろく(弥勒)/maitri 6

2023-09-13 19:03:00 | 日月神示

※9/15内容を追加しました。

 

過去、現在と世に様々な預言者がおられます。

日月神示ではたぶん最も有名な預言の言葉、

「子の歳真中にして前後十年が正念場、世の立替へは

水と火とざぞ。」     

              磐戸の巻 第16帖

世の立替へは水と火、ここ数年は日本も世界も特に水と火の災害が

多く発生しています。今年は日本も世界ももっと多く発生しています。

 

私は1991年11月14日に

天之御中主神様の指導で、ハナニヤになるなと言われました。

「ハナニヤになるな、真実を真実と述べ伝えよ(神がおられると

いうこと)、生きていく中で世論に合わないことがあっても

迎合してはならない。

 

先日書いたように8月から日月神示の[ひふみ神示]を読んで、

続けて黒川柚月氏の「岡本天明伝」を読みました。2つ通して

先に書いておきたいことがあります。

 

聖書を元に2つのうち1つ

「しかし、わたしはあなた方に言っておく。悪人に手向かっては

ならない。誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」

                     マタイによる福音書5章

 

右の頬を打たれたら左の頬を出せよ、それが無抵抗で平和の元ぢゃと

申しているが、その心根をよく洗って見つめよ、それは無抵抗では

ないぞ、打たれるようなものを心の中にもっているから打たれるのぞ。

マコトに居れば相手が手をふり上げても打つことは出来ん、よく聞き

分けて下されよ。笑って来る赤子の無邪気は打たれんであろうが、

これが無抵抗ぞ。世界一家天下泰平ぢゃ、左の頬を出す愚かさを

やめて下されよ。

                   黙示録 極めの巻 第15帖

 

誰かがあなたの右の頬を打っても、あなたは彼の右の頬を打っては

ならない。それならばあなたの左の頬をも向けなさい。

しかし、彼があなたの左の頬を打とうとするならば、あなたは

彼のその行為を諭しなさい。なぜならその行為によって彼はひとつの

罪を犯すからです。

 

キリスト教(カトリック)からもうひとつ

救い主キリストは人類のその罪から救うために身代わりに

なられました。

カトリック教会では信者への許しとして罪の告白をし、牧師が

父と子と精霊の御名において許しを与え、償いをします。

                 カトリック七秘跡の罪の許し

 

改心と申して、人間の前で懺悔するのは神国のやり方ではないぞ、

人の前で懺悔するのは神傷つけることになると心得よ、

神の御前にこそ、懺悔せよ、懺悔の悪きコトに倍した、

良き言霊詞れよ、コト高くあげよ、富士晴れるまで、コト高く

上げてくれよ、。」

                 磐戸の巻 第18帖(254)

 

内外の多くの新興宗教の中でも懺悔や[反省しなさい]と

言われるでしょうが、本来その罪は人が人を許すものではなく、

神が許すものです。そして懺悔や反省は神国では向上の為にあり、

魂の糧としてより良い魂を作るものです。

自分の罪に対して懺悔は人に対して行うものではありません。

人は人を裁き、救い難いということです。

それにより意図せず、人から裁かれることになり人生を台無しに

することになりかねません。

もし、罪の意識が強く出て苦しむことがあったら、人に話すのでは

なく、静かに神に聞いて頂くことです。

神に祈り、神と共にあり、神の光の中に身を置き、その辛さ、苦しみ、

悲しみを聞いて頂くことです。

神はその祈りを待っています。

 

汝の隣人を愛せという言葉と共にこの2つについてはのちに

もっと詳細に書いていきたいと思います。

 

神よ 彼らを苦しみの淵からお救いください。

 

 

 

 

 

 

 

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日月神示 蓮みろく(弥勒)/maitri 5

2023-09-12 21:13:00 | 日月神示

8月に入り、日月神示の[ひふみ神示]を読んで、続けて黒川柚月氏の

「岡本天明伝」を読みました。

一緒に読むと時代背景がわかってよいです。

 

気になったこと、いろいろですが、その中で妻の三典氏が天明は

長命な人だと思っていたというところです。

「天明九十六才7か月ひらく」最後のほうに記載されているものです。

                ひふみ神示 黄金の巻 第15帖

1994年7月であろうかと思います。

1897+96=1994年、7月

この年は明らかに空と地の磁場が変わったように感じていたことを

思い出しました。

それより前に起きたフィリピン ピナツボ火山噴火、前年の1993年は

それによる影響と言われたコメの不作に困った冷夏、

日本は1994年から気温上昇し異常気象が始まっています。

天明が生まれてから96年、日月神示の天変地異の前触れである

異常気象が開始、ひらいたということだと思います。

 

出口なお教祖のお筆先の黙示録、天明教祖の日月神示と

つながり、大きいことは根本からくる道、

日月神示のスケールの大きさだと感じています。

 

 

 

 

 

 

 

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日記 近況について4

2023-09-12 20:03:00 | 日記

大事なことを書き忘れていました。

8月19日の記事に書いたもの、2009年12月末から翌年1月に

私のもとに降りた、「日は光り、世を照らす法となる、

月は日の光を法とし、法を行じ光となる」から始まった

日月神示ですが、私への霊指導が始まって長い年月がたち、

(本を読んだ記憶はないのですが前後の脈絡なく、

1991年2月2日の記載で「⦿の神はこの世の生活の中に現れる」

というものがありますが)

そして2009年にblogを書き始めた後、blogを通して日月神示に

向かっての霊指導に変わったのはこの時なのだと思います。

既に某宗教団体の活動からは外されて離れることが決まって

開始したものでしたし、blogの活動自体も知らせていません。

 

本格的に日月神示の指導として書くことになったのは

このblog幸福の芽3の4月12日の記事、神から

「これからは日月神示に変わる」というものからです。

 

某宗教団体ですが、ずっと私を排除してきたり、ネット上の

嫌がらせをし続けているだけではありませんでした。

実際に私を亡き者として扱おうと活動していました。

それは7月に書いた[近況について1]に書いた内容に重なります。

 

某宗教団体は私が彼らを攻撃などせずにblogを書いていたころから、

嫌がらせをしていました。

またblogに彼らが嫌だと思うようなことを書き始めたときは裏で彼らに

相当な嫌がらせをされていたからです。

その後、ずっと現社会で私が仕事や仕事上の活動も全くできないように

嫌がらせ繰り返してきています。

blogの内容を指導できる人間じゃないと言い、blogの内容と本人が

一致しない人間にするために批判を繰り返してここまできています。

そして神の法ならblogの内容はうちのものだ、だからうちの人間なら

本人に言わず勝手に使用してもいい、むしろ本人が説けない(説けない

ようにしむけて)のだから、かわりにうちの関係者なら説いて良いと

言っていました。

また私が低スペック、低レベルで、それよりハイスペックな周囲の

人の頭脳からその知識を取っていると言ったのでしょう。

私にはそのようなことはできません。確かに謙虚にそれらしいことを

1度書いたことがあったのでそれを真にうけたのかもしれませんが

それはあまりに無知な話、内容は私のほうが勝っていましたから。

本当はわかっていたでしょうに。

.....

 

でも神は神、かれらの主宰神は主宰神で私の神ではないのですが、

教祖自体が私が神として指導している、某教団幹部が私たちが

霊指導しているからうちのものだということなのでしょう、

日月神示の内容ではあまりに我が強く、優秀すぎると神の声が

きけない。阿呆(当時ひつき神示記載のままの表現)くらいの

ほうがよいと書いてあります。

私はその加減を天之御中主神様の指導で受けています。

 

私はblogの多くをMy masterである神、また神にお聞きしたりして

書いています。その結果、今年の3月のように神の意志でどうしても

書かなくてはならない、譲れないことも書いてきています。

 

しかし、先に彼らの嫌がらせと私を潰して亡き者にしようとする

意志がありました。

反論しなくては生きていけない、そういう状態です。

 

 

 

 

 

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