(写真は掛川城の天守閣)
青春18切符(有効期間:12/10~1/10)を使って、3度目
の「舞阪宿」を歩いた帰り道です。
JR東海道線の弁天島駅から乗り、掛川駅で途中下車して
「掛川宿」を歩きます。
掛川宿を歩くのは、3度目ですが、”気に入った所は何度も
歩く”は、私の街道歩きのポリシーでもあります。
(過去2回の「掛川宿歩き」については、2011.11.15の中の
「26:掛川宿、2012.3.23の中の「26:掛川宿」の
ブログを見てね。)
掛川駅は、新幹線の駅の中で、唯一の”木造”家屋駅舎です。
掛川駅前の道を真っ直ぐに進むと、直ぐに掛川城です。
掛川城は、天守閣、御殿、それに立派な大手門が復元されて
います。(天守閣と御殿:410円)
掛川城は、「山内一豊」と”内助の功”で知られるその妻
「千代」ゆかりの城として有名です。
山内一豊の妻・千代は、貧しい家計の中から、夫のために名馬
を買い、これが信長に認められて出世して、最終的には、土佐
一国の領主にまで上り詰めます。
1590年豊臣秀吉は、掛川城の城主に山内一豊を配しました。
城主の山内一豊は、城の拡張や城下の整備を行うと共に、
掛川城に初めて天守閣をつくりました。
そして江戸時代に入ると、山内一豊のあとは、徳川親藩の
松平氏や、江戸城を築いた太田道灌の子孫の太田氏などが
城主を勤め、明治維新を迎えます。
掛川城は小さなお城ですが、江戸時代と同じ工法で、木で復元
されており、非常に雰囲気のあるお城です。
上の写真は、天守閣の前にある「霧噴き井戸」です。
1568年、徳川家康が掛川城を攻めたときに、この井戸から
立ち込めた霧が城を包み、家康の攻撃から城を守ったそうです。
上の写真は、本丸を囲む「十露盤(そろばん)堀」です。
(天守閣の唐破風と火燈窓)
「天守閣」に登る階段は非常に狭くて急です。
(石落し)
(武者隠し)
(天守閣からの眺め)
下の写真の天守閣の隣にある「二の丸御殿」(国重要文化財)
も、完全に復元されて、当時の雰囲気のままで見ごたえがあります。
二の丸御殿の廊下と庭は、時代劇の御前試合等の撮影の
現場になりました。
(紙人形の大名行列)
城内の「二の丸茶室」は、伝統的な数寄屋造りの建物で、日本
庭園を眺めながら、10畳の広間でゆったりとお茶を楽しめます。
(510円:抹茶サービスを含む)
ここの茶室では、郷田王将に羽生名人が挑戦する「王将戦」が
今月10日に始まりました。
お城の前の広場では、消防の出初式をやっていました。
お城を出て、掛川の町を散策します。
掛川の町は、掛川城の復元に合わせて、お城の周りの商店や
飲食店等が、下の写真の掛川信金の様に、城下町の建物風に
造り変えられています。
掛川信金の交差点の奥には大手門と番屋が復元されています。
掛川宿の東端へ向い、「掛川宿の七曲り」を歩いてみます。
(七曲りのスタート地点)
(七曲りの解説板の前の枡形)
静岡と言えば、やはり”鰻”!
掛川宿の七曲りの最後の曲がり角の「うなぎ大和田」に入ります。
「うなぎ大和田」で、昼食に続いて夕食でも「うな重」の贅沢を!
昼飯と夕食のうな重に大満足して、JR掛川駅から、再び
東海道線に乗り、青春18切符で横浜へ帰りました。
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