ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

電車で行く東海道 (26:掛川 : 三度「掛川宿」を歩く) 2016.1.4


(写真は掛川城の天守閣)

青春18切符(有効期間:12/10~1/10)を使って、3度目
の「舞阪宿」を歩いた帰り道です。
JR東海道線の弁天島駅から乗り、掛川駅で途中下車して
「掛川宿」を歩きます。

掛川宿を歩くのは、3度目ですが、”気に入った所は何度も
歩く”は、私の街道歩きのポリシーでもあります。

(過去2回の「掛川宿歩き」については、2011.11.15の中の
 「26:掛川宿、2012.3.23の中の「26:掛川宿」の
 ブログを見てね。)

掛川駅は、新幹線の駅の中で、唯一の”木造”家屋駅舎です。



掛川駅前の道を真っ直ぐに進むと、直ぐに掛川城です。

掛川城は、天守閣、御殿、それに立派な大手門が復元されて
います。(天守閣と御殿:410円)


掛川城は、「山内一豊」と”内助の功”で知られるその妻
「千代」ゆかりの城として有名です。

山内一豊の妻・千代は、貧しい家計の中から、夫のために名馬
を買い、これが信長に認められて出世して、最終的には、土佐
一国の領主にまで上り詰めます。
1590年豊臣秀吉は、掛川城の城主に山内一豊を配しました。
城主の山内一豊は、城の拡張や城下の整備を行うと共に、
掛川城に初めて天守閣をつくりました。
そして江戸時代に入ると、山内一豊のあとは、徳川親藩の
松平氏や、江戸城を築いた太田道灌の子孫の太田氏などが
城主を勤め、明治維新を迎えます。

掛川城は小さなお城ですが、江戸時代と同じ工法で、木で復元
されており、非常に雰囲気のあるお城です。


上の写真は、天守閣の前にある「霧噴き井戸」です。

1568年、徳川家康が掛川城を攻めたときに、この井戸から
立ち込めた霧が城を包み、家康の攻撃から城を守ったそうです。


上の写真は、本丸を囲む「十露盤(そろばん)堀」です。




(天守閣の唐破風と火燈窓)
「天守閣」に登る階段は非常に狭くて急です。



(石落し)


(武者隠し)


(天守閣からの眺め)

下の写真の天守閣の隣にある「二の丸御殿」(国重要文化財)
も、完全に復元されて、当時の雰囲気のままで見ごたえがあります。







二の丸御殿の廊下と庭は、時代劇の御前試合等の撮影の
現場になりました。







(紙人形の大名行列)

城内の「二の丸茶室」は、伝統的な数寄屋造りの建物で、日本
庭園を眺めながら、10畳の広間でゆったりとお茶を楽しめます。
(510円:抹茶サービスを含む)







ここの茶室では、郷田王将に羽生名人が挑戦する「王将戦」が
今月10日に始まりました。

お城の前の広場では、消防の出初式をやっていました。


お城を出て、掛川の町を散策します。

掛川の町は、掛川城の復元に合わせて、お城の周りの商店や
飲食店等が、下の写真の掛川信金の様に、城下町の建物風に
造り変えられています。


掛川信金の交差点の奥には大手門と番屋が復元されています。




掛川宿の東端へ向い、「掛川宿の七曲り」を歩いてみます。


(七曲りのスタート地点)


(七曲りの解説板の前の枡形)

静岡と言えば、やはり”鰻”!
掛川宿の七曲りの最後の曲がり角の「うなぎ大和田」に入ります。

「うなぎ大和田」で、昼食に続いて夕食でも「うな重」の贅沢を!




昼飯と夕食のうな重に大満足して、JR掛川駅から、再び
東海道線に乗り、青春18切符で横浜へ帰りました。

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コメント一覧

更家
青春18切符で丹波~新橋
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
青春18切符で、丹波から一気に新橋までとは、長距離を頑張りますね。
帰りも、島田~金谷~日坂・事仕神社の間を歩きとは、かなりハードですね。
そうですか、雨で掛川城見学に変更でしたか。

春の和田峠は、未だ雪が残っているかも知れませんので、積雪情報をチェックしてから、気を付けてお出掛け下さい。
丹波の國から
青春18切符
昨年の春に青春18切符を使い、丹波4:26発~新橋16:04着で東京に行き、翌日は有楽町で献血をして(沖縄、札幌でも記念でしたので)江戸城の外堀を歩きました。24861歩。

帰りは島田駅で降りて大井川~金谷宿~事仕八幡宮の旧東海道を歩き、27381歩。翌日続をと思っていましたが、雨で掛川城を見学しました。伊予大洲城も木造での再建だったと思います。掛川城二の丸御殿がよかったです。

春の青春18切符で和田峠を目指します。これからも楽しく拝見します。
更家
掛川の木造駅舎
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そう、昼、夜続けて、うな重です!
やはり、旅は、その地方の美味しい料理を満喫しないと、なんて、言訳を・・・

そう、新幹線の駅が木造駅舎だと言うのは、3回目にして気付きました。

Komoyo Mikomotiさんの旧東海道の記録が整理されてブログアップされるのを楽しみにしています。
Komoyo Mikomoti
掛川
http://blogs.yahoo.co.jp/ya3249
2色続けて、うな重ですか!?
将棋の加藤一二三さんみたいですね。

掛川の木造駅舎は、感動ものですね。
掛川は、まだアナログカメラの時代に行ったので、
少ししか写真を撮っていません。
今年あたり再訪したいと思っています。

鉄道沿線としてブログを書いていますが、
ウォーク更家さんの記事にも刺激されて、
今、旧東海道として、記録を整理しなおそうと思っています。
更家
木造の天守閣
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そう、十露盤を(そろばん)の漢字、面白いですね。

やはり、鉄筋で再建するよりも、木造で再建した方が、歴史的な価値はありますよね。

そうですか、名古屋城を木造で作り直す案もあるんですか。
熊本城の天守閣は鉄筋で再建して、中は資料館です。
しかし、天守閣と同じくらい立派な構えの熊本城の宇土櫓は、江戸時代の木造のまま残っています。
もののはじめのiina
(更家) さん へ
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/03802772dc7d5f5109de635611f76d3b
十露盤を(そろばん)と読ますのですか、なるほど十進法を計測する算盤ですものね。

掛川城を木造で再建したのは、いまの流行なのでしょうか。名古屋城も木造で作り直す案もあるようです。

新幹線の駅の中に、”木造”駅舎の掛川駅はとても珍しいです。なにより、「うな重」がおいしそうです。

更家
山内一豊の妻
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
確かに、妻が買った名馬でホントに出世したのか、後日の逸話の様な気もします。
でも、多分、”内助の功”の賢い奥さんだったから、こんな逸話も生まれたんでしょうね。

そう、出初式を見たのは、今月の4日の話しです。
hide-san
掛川城
http://blog.goo.ne.jp/hidebach
妻が買った名馬で出世できるとは、昔は大らかでしたね。

今では、皇室御用達(あるかないか知りませんが)の
スーツを身にまとっていても、誰も認めてくれませんし、
出世はできませんね。

それにしても更家さんは活動的ですね。
出初式があったと言うことは、今年の話ですね。
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