(写真は、舞阪宿の松並木)
私の街道歩きのポリシーである”気に入った所は何度も歩く”
に従って、正月休みに、3度目の旧東海道「舞阪宿」を歩き
ました。
(過去2回の「舞阪宿歩き」については、2011.12.11の
中の「30:舞阪宿」、2012.3.23の中の「30:舞阪宿」
のブログを見てね。)
この時期に歩いた理由は、青春18切符の消化です。(有効
期間:12/10~1/10)
横浜駅を早朝7:00に出発、熱海、沼津、浜松と3回乗り
換え、11:12に、浜松駅から2駅先の「舞阪駅」に到着しました。
(舞阪駅)
浜松と言えば、”うなぎ”!
舞阪駅前の鰻屋「山本亭・本店」に入って腹ごしらえをします。
お店には注意書きが!
「天然ウナギは、キモの中に、釣り針が入っている場合が
ありますので、ご注意下さい。」
え、えっ~、そうなの?
気のせいか、天然ウナギは、味が濃くて美味しいです!
腹ごしらえが出来たところで、旧東海道に出ると、すぐに舞阪
の松並木が始まります。
旧東海道の面影を良く残す340本もの松並木が、延々700メートル続きます。
でも、江戸時代には、現在の4倍もの本数の1,420本で
、延々920メートルも続いていたそうなので、圧巻だった
のでしょうねえ!
東海道と中山道を通して、これまでに見た松並木の中では最高です!
綺麗に手入れされた松並木には、広重の東海道53次の各宿場
のレリーフが順番に並んでいます。
この時期、風は冷たいですが、冬晴れの下、快適な
ウォーキングです!
上の写真は、太鼓を叩いている「浪小僧」で、地引網に
かかった浪小僧が、海に返してもらったお礼に、海が
荒れる時には、太鼓を叩いて知らせてくれるそうです。
(遠州七不思議伝説)
この先、松並木が、国道1号を斜めに横切ると、舞阪の宿場町が始まります。
舞阪宿は、昔から、浜名湖での海苔の養殖が有名で、街道沿い
に新海苔を売る店が点在します。
上の写真は、宿場町の見張所である「見付」の跡で、当時の
見付の石垣を残しています。
(「舞阪の一里塚」跡の碑)
(「本陣跡」の碑)
舞阪宿では、1809年、宿場の大半を焼き尽くす大きな火事に見舞われました。
このため、防火の秋葉信仰が広がり、舞阪の街道沿いに、3基
の常夜燈が建てられました。
更に、少し歩くと、東海道の脇本陣としては唯一現存する
「茗荷屋(みょうがや)脇本陣」がありますが、年末年始
の休館で閉まっています・・・
(脇本陣の内部については、2011.12.11の中の「30:舞阪
宿」、2012.3.23の中の「30:舞阪宿」のブログを見てね。)
脇本陣の直ぐ先は、もう浜名湖に面した舞阪港です。
昔は、浜名湖は、海とつながっていない淡水湖でしたが、
1498年の大地震により、淡水の浜名湖と海がつながって
しまいました。
そのつながった場所を「今切(いまぎれ)」と呼び、今切
には、下の写真の北雁木(きたがんげ)があります。
北雁木は、次の新居宿との海上1里(約4キロ)を結ぶ
「今切の渡し」の船着き場跡です。
舞阪港には、遠州灘で獲れた魚と、浜名湖で獲れた魚の両方が集まるそうです。
新年ということで、舞阪港には、大漁旗を掲げた漁船が
たくさん係留されています。
(漁船の小さな門松)
舞阪港の端の赤い弁天橋を渡り、舞阪宿と次の新居宿の中間に
位置する弁天島へ向かいます。
上の写真は弁天島の沖の鳥居で、背景の高架の道路は、
国道1号の浜名バイパスです。
弁天島はリゾート的な観光地で、海岸にホテルのビルが建って
いますが、シーズンオフのせいか人影はあまりありません。
海岸の説明板によると、春は潮干狩り、夏は海水浴で賑わうらしいです。
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