(写真は、切込みが入っていて武蔵が立つ、
ユニークな島田美術館の入場券)
前回は、今月帰省の際に訪れた、宮本武蔵が
「五輪書」を執筆するために籠ったという
「霊厳洞」(れいがんどう)をご紹介しました。
そして、もう一か所、帰省の際に訪れたのが、
武蔵ファンなら外せない「島田美術館」(熊本
市内)です。(700円:火曜休館)
島田美術館は、熊本市交通センターからバスで
10分の慈恵病院前から徒歩5分です。
島田美術館は、こじんまりした個人経営の美術館
で、細川ガラシャ着用小袖などの細川家ゆかりの
衣装、書画、調度、武具が展示されています。
この美術館の特徴は、晩年の武蔵の肖像画を
はじめ、武蔵関連の水墨画、書状、刀剣など
の貴重な作品が所蔵されていることです。
私は、島田美術館を訪れるのは3回目ですが、
武蔵の作品を、じっくりと時間をかけて鑑賞
したのは初めてです。
また、隣には併設の雰囲気のよいカフェも
あります。
武蔵は、熊本では、兵法書「五輪書」を著し、茶、
禅、書画に親しむ静かな日々を送って、最後の
5年間を過ごしました。
熊本へ来る前は、武蔵は、各地の有力大名に剣術
指南を請われ、客人として各地に逗留しました。
各地の有力大名の客分として対等に接し続ける
ことが出来たということは、武蔵が、当時に
おけるトップクラスの文化的要素を備えていた
ことを物語ります。
島田美術館の館内は撮影禁止なので、当館所蔵品
に係る下記の「武蔵絵葉書セット」(600円)を
ご覧ください。
上の絵葉書は、 江戸時代後期に描かれた「13歳の武蔵」です。
有馬喜兵衛と戦って初勝利を収めた少年の頃です。
上の絵葉書は、県重要文化財の「宮本武蔵肖像」です。
立ち姿は、五輪書の水の巻にある「兵法身なり
の事(闘う時の姿勢)」をよく表しているそうです。
上の絵葉書は、 宮本武蔵筆「枯木鳴鵙図」です。
人の気配ですぐ飛び立ってしまいそうな、ありの
ままの生き生きとした野鳥が、円熟した筆で表現
されています。
武蔵は、一流の剣士であったからこそ、この様な
卓越した画力を身につけることが出来た、と
言われています。
若かりし武蔵が、武者修行の旅で、山野をめぐり、
自然を観察することで、剣士としての感性を
育てた経験がこの絵にも生かされているそう
です。
上の絵葉書は、 伝宮本武蔵作「左右海鼠透鍔」
(さゆうなまこすかしつば)です。
鍔(つば)とは、刀の柄を握る手を守る道具です
が、左右海鼠透鍔は、武蔵考案の伝承をもつ刀の
ツバで、防御性よりも、刀を片手で扱いやすく
する軽量化を重視したデザインは、武蔵好み
だそうです。
海鼠(なまこ)は、つばの左右の空洞の形が
ナマコに似ているからだそうです。
下の絵葉書は、伝宮本武蔵所用「刀:無銘」です。
この刀は、握る部分が、武蔵用に21センチほど
短く削られているそうです。
上記の刀とツバは、武蔵が、京都の名門・吉岡
一門と全面戦争になったときに使った物だそう
です。
武蔵は、肥後熊本藩主・細川忠利の客人として
最後の5年間を熊本で過ごしました。
これは、細川藩・家老の松井興長が、武蔵の養父
であった兵法家・新免無二(しんめんむに)の
弟子だったからだそうです。
武蔵は、60歳の1643年に霊巌洞に籠って、
「五輪書」を1年半で書きあげ、完成の
すぐ後の1645年に亡くなっています。
五輪書 (岩波文庫) | |
宮本 武蔵 | |
岩波書店 |
「五輪書」とは 仏教で万物は地、水、火、風、空
の五輪からなっていると考えられている事に
なぞらえて、武蔵が自ら完成させた二天一流を、
兵法書にまとめ上げた5巻の巻物です。
自分の体で学んだ事柄を、自分の言葉だけで
書いたと自負する「五輪書」は、世界的な
ベストセラーとして名高いですが、武蔵自筆
の原本は、徳川家光に献上したため、明暦の
大火で焼失したらしいです。