(写真は「五輪書」を執筆するために霊厳洞に
籠もる宮本武蔵)
今月6日~11日に熊本へ帰省した際に、熊本市の
西方にある霊厳洞(れいがんどう)へ行って
みました。
霊厳洞は、宮本武蔵が熊本を訪れて3年目に、
一生をかけて体得した兵法の集大成「五輪書」
を執筆した小さな洞窟です。
武蔵は、吉岡一門との戦いや、巌流島の決闘など
の凄まじい戦いを経て、天下無双の剣客として名
を上げました。
関ケ原合戦で東軍黒田家に属して戦い、大阪
夏の陣では徳川方として参戦、また島原の乱
では小倉藩の客将として出陣しています。
この間、各地の有力大名に剣術指南を請われ、
客人として各地に逗留しました。
そして最後に、肥後熊本藩主・細川忠利の客人
として約5年間を過ごした熊本が、宮本武蔵の
終焉の地となりました。
目的地の霊厳洞は、直線距離では熊本の市街地に
近いのですが、アクセスが非常に悪いことから、
私は、地元でありながら、未だ一度も訪れたこと
がありませんでした・・・
熊本市交通センターからバスで約40分、更に徒歩
20分の位置にありますが、バスの本数も少なく、
お薦めできません。
また、観光バスの周遊コース等にも入っていません。
もし、タクシーだと繁華街から往復約5,000円も
掛ります・・・
従って、一般的には、自家用車かレンタカーに
なります。
車で霊厳洞へ向かいます。
霊厳洞の駐車場の大きな宮本武蔵の石塔から、
坂を5分位下って行くと、下の写真の雲巌禅寺
(うんがんぜんじ)(200円)があります。
神秘的な霊場として知られる霊厳禅寺の境内には、
武蔵に関わる色々な物が展示してあります。
下の写真の手前の木刀は 武蔵が巌流島で佐々木
小次郎を倒した時に使用したものだそうです。
(巌流島の決闘については、2012/9「下関
散策」を見てね。)
目的の霊巌洞は、この雲巌禅寺のずっと奥の裏山にあります。
雲巌禅寺から霊巌洞に向かう細い道は、岩山を
削った狭くて足場の悪い、滑りやすい道です。
その細い道の途中に、下の写真の江戸時代中期に
造られたという五百羅漢像があります。
頭が欠けた石像も多いですが、各々の表情が
ユニークで楽しいです。
この五百羅漢像は、武蔵の生きた時代よりも後に
造られたものだそうです。
武蔵の時代には、この足場の悪い小道すらなく、
山の下から険しい獣道を登って、霊厳洞まで
たどり着かなければならなかったそうです。
五百羅漢像の隣の切り立った崖の中腹に、
ぽっかりと口を開けた小さな洞窟が見えます
が、これが武蔵ファン必見の霊厳洞です。
上の写真は、霊巌洞の下に建てられた「二天一流」由来の碑です。
「二天一流」とは、武蔵が完成させた兵法で、
五輪書にその内容が書かれています。
洞窟へは、石段と鉄の手すりが取り付けられて
います。
でも、武蔵がこの洞窟に籠ったころは、石段も
手すりも無く、静寂でうっそうとした樹木に
覆われていたのでしょう。
石段を上がってみると、天然の洞窟を利用した、
余り奥行の無い小さな洞でした。
辺りは、神秘的で鋭く澄んだ雰囲気が漂って
います。
ここは、無敗の武蔵の勝運にあやかって、勝運
祈願のパワースポットになっているらしいです。
この小さな洞窟を書斎として、「五輪書」は
ひっそりと編まれました。
この洞窟の神聖な霊気が、老境の武蔵に、五輪書
の執筆のための最期の集中力を与えた様な気が
します。
しかし、冬季に於けるここの厳しい気候が、洞窟
内で生活する武蔵の命を縮じめたそうです。
衰弱した武蔵は、藩主の命により、洞窟から熊本
城内の居宅へ強制的に連行されますが、この洞窟
での生活が原因で間もなく亡くなります。
案内書によると、洞窟の高い天井に、”霊厳洞”
の文字が彫られてるとのことでしたが、私は
見つけられませんでした・・・
洞窟内には、立ち入り禁止柵の奥に、岩戸観音像が安置されています。
宮本武蔵というと、私はチャンバラ映画の二刀流
の剣豪のイメージしかありませんが、こうして
実際に武蔵ゆかりの地を訪れてみると、実在した
人物だったんだ、という実感が湧いてきます。
五輪書 (岩波文庫) | |
宮本 武蔵 | |
岩波書店 |
「五輪書」は 仏教で万物は地、水、火、風、空の
五輪からなっていると考えられている事に
なぞらえて、宮本武蔵が自ら完成させた「二天
一流」を5巻の兵法書にまとめ上げたそうです。
武蔵は、五輪書で下記の様に説いています。
”一身の斬り合いに勝ち、数人の戦いに勝つのが
武士。それには、構え方、足の踏み方、目の
つけ方などを具さに述べ、相手の強弱を知って
先に仕掛けよ。”
・「地の巻」:将帥用兵の道
・「水の巻」:撃剣稽古の道
・「火の巻」:合戦の理
・「風の巻」:他流試合の評論
・「空の巻」:武蔵が到達した究極の境地
武蔵は、六十余度の勝負をして、一度も敗れて
いない常勝の人だったので、兵法で身を立てる
ことが出来、五輪書は優れた兵法書として多くの
支持を得ました。
しかし、現代では、五輪書は単なる「武術指南書」
としてだけではなく、超ロングセラーの
「哲学書」、「ビジネス書」として、海外で
繰り返し翻訳されています。