ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

中山道を歩く(47-1:大湫:宿場町)       岐阜県瑞浪市 - 2015.09.23

十三峠の長くて厳しい山道がようやく終りました!!

中山道の左手に、「中山道 大湫(おおくて)宿」と「宗昌
禅寺」の石碑があります。
もう「大湫宿」に入ったのです!
大湫の”湫(久手)”は、沼地や湿地を表す言葉で、峠に
挟まれた低い土地で水が溜まり易い場所を指すそうです。


「続膝栗毛(第二部)」(静岡出版)(1,500円)では、
弥次さん喜多さんが、「大湫宿」の旅籠に泊まったときの
様子が描かれています。

喜多さんは、この旅籠の女中に心を惹かれてしまします。
旅籠の若女将から、この女中は、夜に畑を荒らす猪の番をする
ために、今夜は見張り小屋にいると聞かされます。
宿の皆が寝静まったころ、喜多さんは、この小屋へ夜這いに
行きますが、既に他の男が夜這いに来ていて当てが外れます。
更に悪いことに、自分の部屋に戻る途中で、猪の罠の落とし穴
に落ちてしまい、猪と間違われて大騒ぎになります。

”大わらひ なれや力を落とし穴 あてのはづれし あごのかけがね”
(喜多さんが夜這いの当てが”外れた”と、夜這い失敗を見て
 大笑いした弥次さんの顎が”外れた”、をかけています。)

(猪の罠から救出される喜多さん)
ちなみに、江戸時代には、この宿場町の周辺は猪が多い場所
として有名だったそうです。

「大湫宿」に入り、坂を下ると、左手奥に写真の宗昌禅寺があります。



更に坂を下って左折すると、右手の小高い場所に小学校が
あり、この小学校が大湫宿本陣跡です。

浅田次郎の小説『一路』では、一路の一行が大湫宿の本陣に
宿泊した夜の様子を以下の様に書いています。

 ”道中の二宿目となる、大湫宿の本陣である。
 (小姓がお殿様へ)「お枕元にて朝まで軍記を語れとの、
  御供頭様より、お指図にござりますれば、なにとぞお聞き
  続け下されませ。」
  またしても「古式に則った仕儀」とやらか。
  お殿様は溜息をつきながら起き上がった。
  (お殿様が御供頭添役へ)「夜っぴての物語はたまらぬ。
  余はなにゆえ、一晩中、軍記を聞き続けねばならぬ
  のじゃ。」
 「参勤道中は行軍にて、ゆえに旅宿を本陣と称しまする。
  陣中にあらば、御大将は眠ってはなりませぬ。」

いやはや!、11夜の道中を眠らずに過ごせとは、昔のお殿様は大変だったんですねえ~!
この小学校の前に、皇女和宮が降嫁の際に、大湫宿本陣に宿泊
されたことを記念する歌碑が建っています。

”遠ざかる 都と知れば 旅衣 一夜の宿も 立ちうかりける”
 ”思いきや 雲井のたもと ぬぎかえて うき旅衣 袖しぼるとは”

(校庭入口にある皇女和宮の陶製人形)
皇女和宮歌碑の向い側に、お休み処があったので、ここで
一休みして、五平餅(120円)とアイスコーヒー(150円)を注文します。

朝、JR恵那駅をスタートしてから、休みなしに峠道を歩き
続けること5時間、ようやく、ここで最初の休息です!
お休み処のおばさん2人に話しかけます。
”中山道の十三峠踏破も、この大湫宿に旅館があると、ここで
1泊出来て、比較的楽な行程になるんですけどねえ。”
”私達もそう思っているんだけど、この大湫の誰も旅館を
 やってくれないんですよ。”


本陣跡の先には、現在は子孫の方が住まわれているという脇
本陣跡(非公開)がありますが、門構えは当時のままだそうです。




脇本陣跡の先に上の写真の「神明神社」があり、江戸時代に
”大湫宿に過ぎたるもの二つあり”として有名だったご神木
の「大杉」があります。





樹齢1,300年の驚くほど巨大で立派な杉です!

この付近の町並みの民家は、江戸時代の雰囲気を残しています。












宿場町を少し歩くと、小高い場所に、江戸時代に
言われた”大湫宿に過ぎたるもの二つあり”の
もう一つの「観音堂」(1847年再建)があります。





この観音堂の先に高札場跡があり、この辺りで大湫宿は終りです。



この先、中山道は緩やかな下り坂になります。


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

更家
大湫宿へ3回も
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
あんな不便な大湫まで、3度も行かれているとは驚きです。

そうですか、やはりねえ、昔から下街道があるのだから、普通は、わざわざ大湫~細久手ルートは選ばないですよね。

そう、和宮さんの陶製人形は、割と最近作られた感じでした。
Komoyo Mikomoti
大湫宿
http://blogs.yahoo.co.jp/ya3249
実は、大湫は3度行っています。
最初が、JR東海が釜戸駅で開催した「さわやかウォーキング」
(このときは、脇本陣は特別公開で、門の中まで入れてもらえました。)
2回目が、中山道を大湫まで歩いたとき。
3回目が、中山道を大湫から歩いたとき。

江戸時代でさえ、下街道を選ぶ旅人が多く、
大湫、細久手を通るように、お上からお達しがあったようなので、
現代の交通事情では、大湫に宿を期待するのは難しいでしょうね~

昔は、和宮さんの陶製人形はなかったと思います。
その他は、昔と変わらないですね~
更家
丹波の國さんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうですか、神明神社に私のサインが残っていましたが!
しかし、よく気付きましたね。

次回は、JR大桑駅スタートですか。
これからは気候も良いし、大桑から先は、木曽八景、木曽福島の関所、宮ノ越の木曽義仲の墓、薮原のお六櫛、奈良井の町並み等々、見どころが多いので楽しいですよ。
更家
hide-sanさんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
五平餅を売っている所は、値段も全て申し訳ないくらいに安く、近所のおばちゃん達がボランティア的に来ている感じだったので、早い時間や遅い時間は閉まっているのかも知れませんね。

そう言えば、ここのおばちゃんも、大湫には宿がないので、ここでタクシーを呼んで近くのJRの駅まで行く人が多い、と言っていましたよ。
丹波の國から
更家さんの足跡
神明神社の芳名録に、サインが残っていました。
10月31日から、中山道をJR大桑駅から歩く予定です。
hide-san
五平餅
http://blog.goo.ne.jp/hidebach
五平餅を売っている所は、ボクが通った時にはなかったように思います。
16時頃と朝の8時頃だったのでお店閉まっていたのでしょうか。
ここでタクシーを呼んでもらった記憶です。
更家
過ぎたるもの
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
五平餅は、木曽路・美濃路ではどこでも売っていて、こちらでは一般的な普通の食べ物みたいです。

そう、江戸時代の表現は、ただ単に素晴らしいものと言えばよいのに、「過ぎたるもの」という言い方が面白くて何だかおかしいです。
iina
ウォーク更家 さん へ
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/1bfac549cf89fef2a638d288dd67b998
五平餅が、おいしそうです。
旅人には、さぞ塩辛い焼き餅をうまいと口にしたことでしょう。^^

「過ぎたるもの二つ」あって、その一つが「杉」というのが面白かったです。たしかに、神社の境内雰囲気は、立派です。
もう一方の「観音堂」は、素朴です。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「街道歩き」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事