(写真は、落合の石畳)
宿泊していた「馬籠茶屋」では、朝8時に目が覚めましたが、
余りにも静かです?・・・ シ~ン・・・
しまった!、寝過ごした!
もう、宿泊客は全員、チェックアウトしてしまったのかな?
慌てて玄関に行ってみると、未だ皆さんの靴があります?
欧米人の宿泊客は、余りにもマナーがよくて、部屋の中でも
非常に物静かなので、誰もいないと勘違いして、焦ってしまい
ました・・・
8時半に、馬籠茶屋での朝食を済ませてチェックアウトし、
早朝の馬籠宿の枡形の坂を下ります。
バス通りを横切って、中山道を進むと、風景は一面の水田に
変わります。
少し進むと、丸山の坂という石碑があり、その先に写真の
馬籠城址の説明板がありました。
その説明板によると、徳川家康軍が中山道を攻め上がることを
防ぐため、豊臣秀吉が木曽義昌に命じて馬籠城を築かせたそう
です。馬籠城の警備をしたのは、島崎藤村の祖先だそうです。
その先の丸山の坂を下ってゆくと、上の写真の可愛らしい
双体道祖神がありました。
中山道の両側には、一面の水田風景が続きます。
やがて、中津川の町並みを一望できる休憩所があり、
そこに下の写真の「正岡子規の句碑」がありました。
”桑の実の 木曽路出れば 穂麦かな”
子規の句碑の裏側の碑文には、
「明治24年、正岡子規が中山道を経て故郷・松山に帰省
する際、中津川の市街地を見下ろすここで、この句を
作った。」
とあります。
子規の句碑を過ぎて少し進むと、上の写真の「新茶屋」が
あり、その前に、下の写真の芭蕉句碑が建っていました。
”送られつ をくりつはては 木曽の秋”
夜明け前 (第1部 上) (新潮文庫) | |
島崎 藤村 | |
新潮社 |
「夜明け前」によると、馬籠の庄屋の金兵衛の父が亡くなった
ので、金兵衛は、俳句が好きだった父を供養するために、ここ
「新茶屋」の脇に芭蕉の句碑を建てました。
そして「夜明け前」では、この時のエピーソードが以下の様に描かれています。
⇒ 句碑の”木曽の秋”には、「秋」ではなく、「穐
(あき)」の字が使用されています。
しかし、この「穐(あき)」の字が、句碑には崩した
書体で書かれているので、「木曽の秋」ではなくて、
「木曽の蠅(ハエ)」としか読めない、 と皆から酷評
された。
東海道や中山道では、至る所に、江戸時代に建てられた芭蕉
句碑があるので、どの様な理由、背景で各地で建てられた
のか、不思議に思っていました。
「夜明け前」の様に、俳句が好きだった人を供養するため
建てた、等の理由だったんですね。
納得!
そして、「夜明け前」では、句碑を建てる場所を、馬籠宿では
なく新茶屋にした理由を以下の様に述べています。
⇒ 木曽路の入口である新茶屋に句碑を建てて新名所とし、
その周囲に山石やツツジなどを運んで旅人の休息の場
にしたい。
この芭蕉句碑の脇には、藤村自身の筆よるという、下の写真の
「是より北 木曽路」の石碑が設置されています。
そうか、長かった木曽路の山道も、ここで終わりなんだ!
ここで終りだと思うと、少し寂しい気分になりました・・・
木曽路は厳しかったけど、至る所に江戸時の名残がそのまま
残っているし、数多くの心洗われる木曽川沿いの風景も印象
深いし・・・
木曽路は、いつか、もう一度歩きたいな~。
更に「是より北 木曽路」の石碑の先に、上の写真の「新茶屋
の一里塚」があり、その前には、下の写真の信濃国(長野県)
と美濃国(岐阜県)との「国境の石碑」が建っています。
現在の県境(長野県→岐阜県)は、馬籠峠で越えましたが、
江戸時代の国境(信濃国→美濃国)もここで越えました!
「国境の石碑」の脇に、右に入る小道があります。
ここから約2キロ続く「落合の石畳」の道が「十曲(じっ
こく)峠」です。十曲峠の名前の通り、石畳道は、
つづら折りの急坂で曲がりくねって上っていきます。
(なんじゃもんじゃの社碑)
曲がりくねった石畳道は、苔むしていて滑りやすく、見た目
よりは歩きにくいです。
約2キロの石畳道が終わると舗装道路に出ました。
舗装道路を少し歩くと、左側に、下の写真の医王寺がありました。
(医王寺の前の枝垂れ桜)
医王寺の入口に写真の「狐膏薬(きつねこうやく)」の説明板
があり、それによると、
”昔、医王寺の住職が傷ついた狐を助けたところ、そのお礼
にと狐が「狐膏薬」という貼り薬の作り方を教えてくれ
ました。
狐膏薬は、特に、刀傷に効果があると言われ、「続
膝栗毛」にも登場する中山道の人気商品になった
そうです。
医王寺の中に入ってみると、写真の芭蕉句碑がありました。
”梅が香に のっと日の出る 山路かな”
(早春の山道で、薄日がようやく差してきた頃、ひっそりと
流れてくる梅の香を感じた。)
医王寺を出ると、再び、下り坂となり、坂の途中では、中津川
市街地が一望に見渡せます。
その急な坂を下り切ったあたりで、落合川に掛かる下桁橋を渡ります。
この下桁橋の辺りが、広重の浮世絵「落合」です。
手前に落合川、それに架かる下桁橋、そして橋を渡った先に
連なる落合宿を描いています。
大名行列が、早朝に落合宿を出て下桁橋を渡りはじめています。
遠くの山は恵那山です。
下桁橋の先に、道祖神など石仏が並んでいます。
その先の道の合流地点を右へ歩いてゆくと、落合の宿場町に入っていきます。
馬籠宿から落合宿までは、十曲峠を経て約5キロです。