ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

枡形城(川崎市)  2020.6.5

(写真は、枡形城の冠木門で、門の奥は、

山城を連想させる立派な展望台)


神奈川県のコロナの外出自粛も、ようやく県内の

移動が解除されたので、前から行きたいと思って

いた川崎市の「枡形城(ますがたじょう)」に

行って来ました。

 

小田急線・向ケ丘遊園駅の西南の広大な丘陵

「生田(いくた)緑地」の北側に、「枡形

(ますがた)山」があります。

 

「枡形山」は、多摩丘陵の先端に突き出た天然の

要害で、四方は容易に寄りつけないような断崖で

囲まれています。

「枡形山」という地名は、この山が、枡(ます)

を伏せた様な形をしているところから付けられた

らしいです。

 

「源頼朝」が鎌倉に幕府を開いた頃、源頼朝の重臣

の「稲毛三郎」が、ここ「枡形山」に「枡形城

(ますがたじょう)」を築きました。

「稲毛三郎」の妻が、源頼朝の正室の「北条政子」

の妹だったことからも、頼朝が、如何に稲毛三郎

を重視していたかが分かります。

 

稲毛三郎は、現在の川崎市中原区を中心として、

日吉辺りまで広がる広大な「稲毛(いなげ)荘」

を所領としていました。

DVDレンタルの「ツタヤ」が、江戸時代の浮世絵

の版元「蔦屋(つたや)重三郎」から店名を

取った様に、関東南部に128店舗を展開している

スーパーの「いなげや」も、この「稲毛三郎」

から店名を取っているそうです。

しかし、稲毛三郎の妻が、北条時政の娘(北条

政子の妹)であったために、時政の策謀に

巻き込まれて同族の畠山氏の討滅の片棒を

担がされたうえに、策謀の中心人物との汚名を

きせられて、惨殺されました。

 

その後、室町時代には、山内上杉氏の討伐のため、

扇谷上杉氏の援軍として出陣した北条早雲が、

この枡形城に入り、多摩川の河原で戦い、

激戦の末、山内上杉軍を破りました。

 

また、戦国時代、甲斐の武田信玄が、北条氏の

本拠地の小田原を攻めた際には、この土地の豪族

であった横山式部少輔弘成が、枡形山に土塁を

築いて、北条氏のために守りを固めました。

 

しかし、江戸時代に入ると、一国一城制により、

この枡形城は廃城となりました。

 

更に、第二次世界大戦中は、枡形山の山頂部に

高射砲を設置して、米軍の爆撃機を狙い撃ち

したそうです。

(向ヶ丘遊園駅)

小田急線の向ヶ丘遊園駅で下車し、南口の駅の

前の大通りを進み、稲生橋を渡り、少し歩くと、

右手に生田緑地の石垣が見えました。

ここ生田緑地の入口から、地図上の最短の直線

距離で、枡形城の本丸を目指します。

枡形城は、生田緑地の中でも一番高い位置にある

ので、上りの距離もかなりあります。

 

でも、生田公園の中なので歩きやすいですが、

かなりの急勾配で息が切れます。

 

しかも、このコースを歩いている人は一人も

いません・・・

ようやく、前方に建物が見えました。

 

枡形城の展望台でしょうか?

違いました・・・

「飯室山の出城」とあります。

 

飯室山の出城から、少し下り坂になりました。

暫く行くと、写真の「枡形城の冠木門」が

ありました。

上の写真は、大手の冠木門の横にある復元塀です。

上の写真が、枡形山山頂の石碑で、この石碑の

辺りが「本丸跡」です。

 

 

「本丸跡」は、ここ「生田緑地」公園の中にあり、

その中心は高さが18メートルもある写真の

「枡形山展望台」です。

 

 

 

上の写真の「桝形城址の石碑」を確認してから、

エレベーターで展望台に上がります。

こんな無名の山城の展望台に、立派な

エレベーターまであるとは驚きです。

多摩川方面がとても良く見え、晴れていれば、

東京タワー、東京スカイツリー、新宿の高層

ビル群、筑波山、横浜ランドマークタワーなど

まで見えるそうです。

展望台の欄干には、夫々の干支(えと)の方角に、

十二支(じゅうにし)の動物が写真の様に設置

されています。

 

戦国時代、ここからなら、敵の軍勢の動きは、

どこを通っても丸見えだったんでしょうね。

 

枡形城の冠木門の前の坂道を、来た方向とは

反対に下っていくと、「日本民家園」が

あります。

日本民家園は、江戸時代の代表的な古民家を

移築した建物博物館です。

昔、武蔵小杉に住んでいたときに、何度か訪れた

ことがありますが、今回は立ち寄りません。

 

枡形城の冠木門に戻り、本丸跡広場の道標に従い、

桝形山城から「広福寺」(稲毛館)に通じる

尾根道を下りて行きます。

坂道を少し歩いて、住宅街に出ると、直ぐに、

写真の「稲毛三郎」(広福寺)の看板が

ありました。

枡形城の北側に位置する「広福寺」は、「稲毛

三郎の館」跡に建つ真言宗のお寺です。

 

 

上の写真の様に、寺の門柱に「稲毛領主 稲毛館跡」

の木板が貼られていました。

 

お寺の案内版によると、寺の収蔵庫には、木造

聖観音立像と木造地蔵菩薩立像が安置されて

いるそうです。(県重文)

 

寺の裏の墓地の一番奥に、「稲毛三郎の墓」と

五輪塔がありました。

広福寺を出て、坂を下って行き、小田急線の踏切

にぶつかったところを右折して、向ヶ丘遊園駅に

戻りました。

 


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コメント一覧

ウォーク更家
不思議なご縁
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
いや~、ホントに驚きました!!

私の写真の電信柱の辺りに小学校6年まで住んでおられたとは!

不思議なご縁を感じますので、これからもよろしくお願いします。

旧東海道を歩いた記録、龍馬ファンによる踏破、新聞にもでたんですね、凄い!

短期間の踏破の割には、丹念に史跡も見ておられますね。

ブログを読んでいると、平蔵地蔵、山内容堂の墓など、懐かしい思い出が次々に蘇ってきます。

これから、思い出に浸りながら、じっくりと読ませて頂きたいと思います。
寸心
https://hananomichi.at.webry.info/
最後の方に「広福寺を出て、坂を下って行き、小田急線の踏切にぶつかったところを右折して、向ヶ丘遊園駅に戻りました。」とありますが、その写真の右側の電信柱の辺りで生まれ、小学校6年まで住んでいました。今はこの辺りはすっかり変わっています。
街道をよく歩いておられますね。全部は未だ拝見しておりませんがこれからの企画の参考にさせていただきます。私のblogへのコメントありがとうございます。旧東海道を歩いた記録は以下にまとめています。今後ともよろしくお願いいたします。https://hananomichi.at.webry.info/theme/ffc33a7830.html
ウォーク更家
懐かしい枡形山
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
え~っ!、お生まれが枡形山のふもと、とは驚きです。

そうですよね、70年も前だったら、当時とはだいぶ趣が変わっているでしょうね。

そして、多分、城址公園も、現在の様に、綺麗で立派に整備されてはいなかったことでしょうね。
寸心
懐かしいですね
https://hananomichi.at.webry.info/
私は生まれが生田、枡形山のふもとです。70年ほど前ですが、写真を拝見し、当時とはだいぶ趣が変わっていますが、懐かしく拝見いたしました。有難うございます。
ウォーク更家
tadaoxさんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ブログの解説の画と文章の連携をお褒め頂きありがとうございます。

ええ、ようやくの宣言解除で、県内のスポットへ出動したものの、その後は猛暑、そして梅雨と、またまた家に引き籠らざるを得ないため、ブログのネタ切れ状態に陥っています・・・

枡形城址に行ってみて、意外と、綺麗に整備され、天守を連想させる立派な展望台まで出来ていたのに驚きました。
ウォーク更家
iinaさんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうですね、鉤型に直角に曲がる城下町の枡形が由来かと思ったら、以外にも、山の姿が四角い枡を伏せた形からきていました。

ええ、私も、近所のスーパー「いなげや」が、北条政子の妹を妻にした稲毛三郎の系譜であったと初めて知り、その意外性に驚きました。
そう、店名は、稲や升で、繁栄を願ったのかもしれませんね。
tadaox
こんなに近くに・・・・
https://blog.goo.ne.jp/s1504/e/0abb339d7f432b097c6a4e30d4ce073f
おはようございます。
宣言解除でさっそく出動ですね。
枡形城址ですか。こんなに近くに、整備された歴史資料があるとは知りませんでした。

「蔦屋」と「いなげや」の出所はここだったんですね。更家さんの解説は画と文章が連携していてわかりやすいです。
今回もありがとうございました。
もののはじめのiina
(ウォーク更家) さん へ
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/02ccbe628894b44a45315972f8615962
川崎の「枡形城(ますがたじょう)」を興味深く拝読しました。^^
    山の姿が「枡形」だったのですね。
    お城に枡形門などで、敵をおとしめる構造にも通じそうです。

源頼朝の正室「北条政子」の妹を妻にした「稲毛三郎」が築き、スーパー「いなげや」の系譜であったとは驚きました。

あるいは、稲毛の姓名から、稲を升にますます増えるよう願ったのを兼ねてもいるのかもしれません("^ω^)・・・



ウォーク更家
蔦屋の由来
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうですか、蔦屋は東海地区にも店舗網があるんですね。

蔦屋の由来は、蔦屋の創業者が、蔦屋重三郎にあやかって付けたそうです。

そうですね、蔦屋の由来を始めとして、企業名の由来を調べてみると、意外と面白いです。

ええ、街道歩きの仲間だったら、「ますがた」と聞いてビビッときますよね。

そうです、緑地公園に来ていたのは親子連れが多く、遊具に夢中で、城跡なんて全く意識していない感じでした。
コスモタイガー
蔦屋
https://blog.goo.ne.jp/cosmotiger_1968
蔦屋の由来、初めて知りました!
蔦屋書店やレンタルのツタヤ。
昔は我が家の近くにもありましたが、東海地区では随分数が減ってしまいましたが。

桝形城。
「ますがた」なんて、旧街道的にもビビっとくる名前ですが、山の形に由来してるわけですね。

緑地公園の中にあるってのも面白いですね。
恐らくコアな歴史ファン以外は、そこがかつての城跡なんて意識せず、のんびり過ごされているんでしょう。
ウォーク更家
枡形城の存在を知らずに
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうでしたか、対岸の狛江市にお住まいでしたか。

私も全く同じで、武蔵小杉に住んでいたときは、向ケ丘遊園や日本民家園に入ったことはありましたが、当時は歴史に興味がなく、ここに枡形城跡があることなど全く知りませんでした。

稲毛氏が「いなげや」の名の元だというのも、今回訪れて初めて知り、意外な感じがしました。
hide-san
枡形城
https://blog.goo.ne.jp/hidebach
ボクは結婚後二年ばかり対岸の東京都狛江市に住んでいました。

向ケ丘遊園に入ったことがありますが、
当時は歴史に興味がなく、ここに枡形城があり、
「いなげや」の名の元になる稲毛氏が居たことも知りませんでした。
興味深い話を楽しませて頂きました。
ありがとうございました。
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