(写真は、「東横線跡地遊歩道」)
前回は、東横線の東白楽~横浜間の地下化により、
地上の廃線跡に出来た「東横フラワー緑道」を
東白楽駅から横浜駅まで歩きました。
今回は、その東横フラワー緑道の終点の横浜駅
から、続けて桜木町駅まで歩きます。
平成16年、みなとみらい線の横浜~元町中華街が
開業し、東急東横線との直通運転が開始され
ました。
これに伴い、東横線の東白楽~横浜間は地下化
され、「横浜~桜木町」間は”廃線”となり
ました。
(東横線の副都心線との直通化については
「東横線の直通化」、東横線の東白楽~横浜の
地下化については「東横線の地下化」を見てね。)
今回は、この「横浜~桜木町」間の”廃線跡”が、
現在はどうなっているのか?、”廃線跡”を
追いかけてみました。
東横線の「横浜~桜木町」間は、廃線前には、
JR根岸線と並行して走っていました。
従って、現在のJR根岸線の脇に残された東横線
の”廃線跡”を確認しながら、横浜駅から
桜木町駅まで歩きます。
横浜駅を出て直ぐに根岸線が渡る帷子(かたびら)
川の鉄橋からスタートします。
帷子川を渡ると、東横線は根岸線と並走したまま、
直ぐに、上の写真の様に京急本線の上を越えます。
京急本線の上を高架橋で越えたあとは、東横線の
高架橋は根岸線と並走します。
上の写真の右側の様に、東横線の高架橋は撤去
されずに、そのまま残存しているので、この
朽ちかけた高架橋をたどって歩いて行きます。
朽ちかけた高架橋の下は、上の写真の様に、
トタン板で囲まれていて、その内側を見る
ことは出来ません。
暫く行くと、上の写真の国道1号をまたぐ高架橋
の大きな交差点に出ました。
この国道1号をまたぐ高架橋の辺りに東横線の
「高島町駅」があった、と聞いていたのですが
・・・
辺りにはそれらしき案内板なども何もありません
?
高架橋の下を囲むトタン板の隙間から、カメラを
差し込んで、トタン板の内側の写真を撮って
みます。
あっ!!、上の写真の様に、二つ並んだ丸い
アーチがまだ残っています!!
何となく、この辺りが駅の改札口付近だった様な
雰囲気です。
写真右側のこのトタン板で囲われた高架橋の前の
写真左側のマンションの敷地内には、「二代目
横浜駅」の駅舎の基礎部分のレンガ積みの遺構が
保存されていました。
明治5年に新橋・横浜間に、日本で初めの鉄道が
開通したことは有名ですが、このときの横浜駅
とは現在の桜木町駅のことです。
その後、東海道線の大阪行きが出来ましたが、
直線で大阪へ向かうため、桜木町を通りません。
そこで、東海道線上のこの「二代目横浜駅」に
移転しました。
しかし、この「二代目横浜駅」は、関東大震災
により壊れて廃駅となり、現在の横浜駅の位置に
移転したため、幻の駅と呼ばれています。
ちなみに、初代横浜駅は、現在の桜木町駅の場所
にありました。
マンションの敷地内ではありますが、解放されて
いるので、自由に見学出来ます。
高島町駅跡の前の国道1号をまたぐ上の写真の
高架橋を左手に見ながら信号を渡ります。
信号を渡ると、上の写真の様に、東横線の廃線跡
の高架橋の下を綺麗に補修した歩道が、桜木町駅
まで、国道16号線に沿って延々と続いています。
高架の下に設けられた長~い歩道を歩いて
行きます。
高架の左側は、下の写真の様に並行して根岸線が
走っています。
長~い歩道の途中に、写真の「三菱ドック踏切」
がありました。
この線路は単線で、JR貨物の高島貨物線だ
そうです。
踏切の脇の説明板によると、この踏切の奥の辺り
が、三菱重工横浜造船所の正門だったそうです。
またこの説明板には、現在JR根岸線が走る高架
は、昭和7年に海側に増設され、これにより
空いた山側を東横線が走る様になった、
とあります。
そして、昭和31年に、現在の様に歩道の上に高架
を張り出すことによって、東横線を複線化した
そうです。
東横線跡の高架下を歩き続けると、終点の桜木町
駅跡に到着しますが、その少し手前の「紅葉坂
交差点」の脇に、「東横線跡地遊歩道」に上る
真新しい階段がありました。
階段を上ると、「東横線跡地遊歩道」が完成して
おり、東急東横線の廃線区間(横浜駅~桜木町駅)
の一部が遊歩道として利用できるようになって
いました。
しかし、階段の上の横浜駅側は、未だ工事中
なのか、上の写真の様に、フェンスで遮られて
おり、立ち入り出来ません。
「東横線跡地遊歩道」を、桜木町駅側へ向かって
歩いて行きます。
写真は、紅葉坂交差点をまたぐ真新しい高架の
歩道です。
前頁の写真は、その高架の歩道橋を、下の
紅葉坂交差点から見上げたところです。
「東横線跡地遊歩道」の完成は未だ一部分だけ
らしく、遊歩道は、直ぐに、JR桜木町駅の西口
の前で終わりになりました。
その駅の西口には、下の写真の様に、歩道の上の
高架橋の工事の始点らしき高架脚が残されて
いました。
JR根岸線の桜木町駅から乗って、横浜駅で
乗り換え、新横浜に帰りました。
写真は、帰りのJR根岸線から撮影した「高島町
駅跡」の残存ホームです。
また、横浜駅で乗り換えるときに、東横線の地上
の線路が残っていないか、横須賀線の線路を
確認しに行きました。
と言うのは、東横線の地上の線路は、横浜駅構内
では、横須賀線の横に並行して設置されていた
からです。
しかし、上の写真の様に、東横線の地下化後には、
地上の東横線の線路は撤去され、横須賀線の
ホームの拡幅に利用されたらしく、痕跡は
何も残っていませんでした・・・