(写真は、宗像大社・辺津宮の本殿)
9月30日~10月7日に、所用で実家の熊本へ帰省
しました。
7日の帰京日は、高速バスで熊本から福岡・博多駅
へ向いました。
JR博多駅から、鹿児島本線で、世界遺産「宗像・
沖ノ島と関連遺産群」に立ち寄ってから、福岡
空港へ向かい帰京しました。
順を追って説明しますと、先ずは、JR博多駅から
鹿児島本線に乗り、東郷駅で下車します。
東郷駅前から、路線バスで20分の世界遺産「宗像
(むなかた)大社・辺津宮(へつみや)」へ
向かいます。
宗像大社前・バス停で下車して、「宗像大社・
辺津宮」の鳥居をくぐり、池にかけられた石橋を
渡って、本殿に向かいます。
拝殿の奥の赤い建物(上の写真の右側)が「本殿」
ですが、拝殿では、ちょうど結婚式が行われて
いましたので、残念ながら拝殿の正面からの写真
は撮れませんでした。
赤い本殿の屋根の下には、次頁の写真の青丸印
の「懸魚(げぎょ)」と呼ばれる装飾が下がって
います。
懸魚は、火災から建物を守るための魚を模した
願掛けです。
本殿は1578年に大宮司・宗像氏貞が、拝殿は
1590年に小早川隆景が、各々再建した国重文で、
共に、安土桃山時代初期の神殿建築様式です。
境内には、写真の様に、江戸時代初期の建立と
いわれる「末社」がたくさんあります。
本殿の右の高宮参道の入り口を通り、「高宮祭場」
へ向かいます。
高宮参道を少し進むと、左側に、下の写真の
「第二宮」(ていにぐう)と、「第三宮」
(ていさんぐう)があります。
古事記や日本書紀に書かれている様に、宗像大社
の神様は、実は、天照大神(あまてらすおおみ
かみ)の3人の娘(宗像三女神)なのです!
長女・田心姫神(たごり ひめのかみ)は、
ここから60キロ離れた「沖ノ島」の「沖津宮」、
次女・湍津姫神(たぎつ ひめのかみ)は、
ここから11キロ離れた「大島」の「中津宮」、
三女・市杵島姫神(いちきしま ひめのかみ)は、
”九州本土”のここ「辺津宮」に祀られています。
そして、第二宮は沖ノ島の沖津宮の分社で
(次頁の写真の(2))、第三宮は大島の中津宮
の分社なのです。(下の写真の(3))
ちなみに、第一宮は、ここ辺津宮の拝殿と本殿を
指します。(上の写真の(1))
大和朝廷の時代、大陸への海路は、重要な
”海の道”でした。
この海の道を守っているのが、「宗像三女神」
なのです!
この航海安全祈願は、現代では、車の交通安全
祈願となりました。
実は、最初に、交通安全のお守りを売り出して、
車のお祓いを行ったのが宗像大社なのです。
第二宮、第三宮から、高宮参道に戻り、更に、
道の石段を上って行きます。
かなり急な石段で、ようやく、”祭神の市杵島
姫神(三女)が降臨した場所”と伝えられている
下の写真の「高宮祭場」(露天の「古代祭祀」
遺構)に着きました。
この高宮祭場(たかみやさいじょう)の地中に
ある「下高宮祭祀遺跡」は、この社殿が建立
されるもっと前から、祭事が行われていた聖域
です。
奥の木は、女神が降臨したとされるご神木
「神籬(ひもろぎ)」で、前頁の写真の様に、
注連縄(しめなわ)が掛かっています。
(赤丸印)
ここ高宮祭場では、毎月「月次祭(つきなみ
さい)」が、毎年10月3日には、「神奈備祭
(かんなび さい)」が行われています。
つまり、この信仰の場は、古代から現在まで、
宗像地域の人々によって守られており、
この信仰の引継ぎが、世界遺産に認定された
理由でもあるのです。
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