仕事帰りに、勝島運河の河口から、
立会川に沿って源流を目指します。

品川区・京浜急行・立会川→
JR京浜東北線・大井町→横須賀線・西大井
私の愛読書の「東京人」6月号は、
「坂本龍馬の江戸東京を歩く」です。
(都市出版 900円)

品川での黒船からの警備のため、
当時、京橋の千葉道場で修中の
龍馬も、土佐藩下屋敷警備のため
江戸詰めの武士として動員された
そうです。

湾岸警備を任命された龍馬は、
土佐藩下屋敷に詰め、立会川の
河口付近にあった浜川砲台に
通ったとのこと。

立会川の勝島運河の河口付近に、
砲台の礎石だけの、みすぼらしい
浜川砲台跡がありました。

最初の橋である浜川橋に案内版が
ありました。
浜川橋の別名は涙橋とあります。


近くにある鈴が森の刑場へ引かれていく
罪人が、この橋で家族と涙ながらに
別れたのが橋の名前の由来だそうです。

ちなみに、鈴が森の刑場では、
八百屋お七、丸橋忠弥などが処刑
されています。

立会川の名前の由来も、川を挟んで
その親族や関係者が最後に
見送る(立ち会う)事から「立会川」
となったという説もあるそうです。

京浜急行の立会川駅の横に、写真
の坂本龍馬像がありました。

立会川駅前の商店街は、龍馬一色でした。
パン屋、そば屋をはじめとして、
龍馬お菓子、龍馬グッズのオンパレードです。
立会川駅からコンクリート護岸に沿って
真っ直ぐな立会川を遡って行きます。
東大井まで来ると、立会川は、いきなり
暗渠(あんきょ)になりました。
ここから先は、先月のブログで書いた
「東京暗渠(あんきょ)探検」の本の教えに
従って、カンを頼りに、多分、
埋められたであろう立会川の上を歩きます。
暫くの間、ゆるやかなカーブを描く緑道に
沿って歩きます。
JR大井町駅の南の踏切を渡ります。
踏切が開いたトタンに、警報が鳴り始め、
大勢の人達が線路の中に取り残されます!
怖いよ~!

微妙なカーブを描く立会道路に沿って
歩き続けます。
この微妙なカーブこそが、川筋の暗渠
であることの根拠なのです。
所々でホントに川筋なのか、
自信を無くしかけますが、
立会道路の表示に助けられます。

以前に歩いたことのあるニコンの工場の
前を通ると、横須賀線の高架が見えて、
JR西大井駅に着きました。
