(金波楼)
薩摩街道の面影を残す日奈久宿の散策の続きです。
江戸時代には、細川藩の藩営の温泉だったという上の写真の
「ばんぺい湯」の右脇の坂道を上って「温泉神社」へ向かい
ます。
肥薩オレンジ鉄道の線路の上の橋を渡ります。
肥薩おれんじ鉄道の線路の左側に、豊臣秀吉が島津征伐に
向け通った 「太閤越え(たいこう ごえ)」の道(赤色の矢印)
が残っています。
温泉神社へ登る石段の途中に、 160年前に作られた土俵広場
(上の写真の中央左下の芝生の四角い部分)と、広場を
四方から取り囲む桟敷席(上の写真の中央を左右に横切る
石垣)があります。
天然の傾斜した地形を生かした階段状で、桟敷一つ一つを
石垣が取り囲む贅沢な造りです。
説明板によると、奉納相撲の際には、この狭い桟敷席に、
何と!、2万人も収容した、とあります。
年に一度行われる奉納相撲のための桝席は個人所有となって
おり、その値段もかなりの額であったようで、これを
持っていることが日奈久の富の象徴でもあったようです。
その桝席がたくさんの人で埋め尽くされた当時の写真が説明板
に貼り付けられていました。
神社へと上がる階段の一番下の鳥居の横に、下の写真
の「嶋ヶ崎宇太郎の墓」が、ひっそりとありました。
説明板によると、「江戸時代、嶋ヶ崎宇太郎というあまりに
強くて恐れられていた力士が、横綱に挑戦しようと江戸へ
向かいますが、刺客により毒殺されてしまいます。
地元の方々はたいそう悲しんで墓を作り、嶋ヶ崎関を偲んで
この相撲桟敷を建てたのだそうです。」とありました。
神社の境内からは、日奈久町と不知火海が絶景です。
この広場は、かつては、「不知火見物」の場所としても
有名だったそうです。
町並みが海の方へ広がり、堤防、港、高速道路の架橋、
そして、海の向うに天草の島が見えます。
温泉神社の石段を下りて来て、夕食を予約している「金波楼」
(きんぱろう)へ向かいます。
「金波楼」は、明治43年開業の木造3階建てで、登録有形
文化財の宿です。
金波楼は、当時、九州最大を誇った温泉旅館で、木造三階建築
としては、現在でも熊本県最大です。
(正面玄関)
度重なる増築によって複雑化した平面と屋根形、華麗な印象を
与える外観のガラス戸などが美しい名建築です。
(真っ白な漆喰の廊下)
(中庭を囲む回廊)
(ギャラリー)
ギャラリーの一角には年代物の電話が。
(タイルの洗面スペース)
(大広間:旅館のパンフレットから)
夕食の前に一風呂浴びます。
大浴場は、弱アルカリの単純泉ということで、さらっとした
お湯です。
露天風呂も気持ちが良いです。
夕食は、有明海の新鮮な魚介が並ぶ、和定食でした。
アワビ煮とメバルの西京味噌焼き エビのアーモンド揚げ
県産牛の陶板焼き 蒸し牡蠣 小鉢・三種盛り
写真の他に ハモと松茸の清汁仕立て
旬の幸4種盛り 等
日奈久は、穏やかな不知火海に面し、朝に水揚げされた魚が
毎日食べられますし、新鮮な果物や野菜は驚く安さです。
また、趣のある街道沿いの町並みは、端から端まで歩いても
大した距離ではないし、温泉の共同浴場も点在します。
車を手放した高齢者に優しい町なので、終の棲家にしたい
なあ、と思いました。