ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

洗足池(大田区)  2023.3.12

(写真は、洗足池の畔にある「勝海舟夫妻の墓」)

 


穏やかな春の気候に誘われて、近場の「洗足池」を散策

しました。

東急池上線の「洗足池駅」で下車すると、目の前を中原街道の

大きな通りが走ります。

その中原街道の向こう側に見えている2階建ての茶色の建物が

「洗足池公園」の「ボートハウス」です。

 

池の畔の道を歩いて、洗足池を1周します。

1周は1.2キロ、面積は東京ドーム0.8個分です。

 

写真の三連の太鼓橋は「池月橋」です。

 

「池月」とは、「源頼朝」が所有していた愛馬の名前で、

頼朝がこの地に宿営していた時、何処からともなく現われた

逞しく美しいこの馬を気に入り、池月と名付けて自らの

乗馬にしました。

 

その後、頼朝に従う武将の「佐々木高綱」がこの池月を

譲り受けます。

 

1184年の「木曽義仲」追討の「宇治川の戦い」では、

「池月」にまたがった高綱が先陣を切って敵陣に

乗り込みました。

 

湖畔に建つ写真の馬の像が、伝説の名馬「池月」です。

 

池月橋を渡った先にあるのが「千束八幡神社」で、源義家が

欧州討伐へ向かう際に祈願しました。

 

 

 

 

写真は、池に浮かぶ「弁天島」で、小さな太鼓橋で岸と

繋がります。

 

 

 

 

洗足池の東側は、洗足池を見下ろす「桜山」と呼ばれる

小高い丘です。

 

桜山を下りて再び池の畔に戻ると、行く手には「水上植物園」

の木橋が現れます。

 

 

水上に架けられた「長い木橋」を歩いて行きます。

(多分、菖蒲園?)

 

写真は、勝海舟が、西南の役の後で、西郷の死を悼んで

建立した「西郷隆盛 留魂祠」です。

 

(西南の役での西郷の戦死については

「薩摩街道・西南戦争」を見てね。)

 

西南戦争で賊軍として鹿児島で戦死した西郷でしたが、海舟は

西郷を慕い、その名誉回復と遺族の後援に奔走しました。

 

西郷の留魂祠の隣は、写真の「勝海舟夫妻の墓」で、海舟の

遺言により、ここに葬られました。

因みに、この墓の形は、下記の図面の様に、海舟自身の設計に

よるものです。

(海舟が描いた五輪塔部面:勝海舟記念館で購入した「勝海舟

記念館図録」から)

写真は、池の畔の寺、日蓮宗の古刹の「御松庵妙福寺」です。

境内には、前頁の写真の1840年建立の「馬頭観世音供養塔」

があります。

この供養塔は道標も兼ねていて、角柱のそれぞれの面には、

東西南北の文字が記されています。

観音像の下の角柱に、「北」の文字(赤丸印)が刻まれて

います。

上の写真は、「日蓮上人袈裟掛けの松」で、鎌倉時代に、

「日蓮上人」が、甲斐の身延山から常陸の国へ湯治に向かう

途中にこの地に立ち寄りました。

この池の畔で、旅の疲れを癒すために、ここにあった松の木に

袈裟を掛けて、池の水で足を洗った、というのが「洗足池」の

名前の由来です。

 

 

写真は、「勝海舟記念館」です。(300円:月曜休館)

この建物は、元々は「清明文庫」(国登録有形文化財)でした

が、2019年に「勝海舟記念館」として改修・オープン

しました。

「勝海舟」は、ここ洗足池の畔に別邸を構えていて、

この辺りの静かな佇まいがとても気に入っていました。

江戸末期、幕臣だった勝海舟は、西郷との会談で江戸総攻撃

中止を決め、江戸城無血開城の立役者となりました。

(勝と西郷の会談については、「再び東海道を歩く・品川」

 見てね。)

そして明治に入ると、勝は新政府に出仕する一方、最後まで

徳川家のために働きます。

ネオゴシック風の「勝海舟記念館」の中に入ると、等身大

パネルが迎えてくれます。

勝は、筆まめな性格で、膨大な資料・備忘を残して保管

していたので、当館の展示資料も膨大で詳細です。

勝海舟は、上の写真の様に、様々な印章を使用していました。

上の写真は、しばしば命を狙われた海舟に対し、アーネスト・

サトウ(注)が万一のために残しておこうと撮影した海舟の

写真です。

(勝海舟肖像写真:勝海舟記念館で購入した「勝海舟記念館

 図録」から)

(注)アーネスト・サトウ:幕末のイギリスの駐日公使で、

海舟と西郷の会談を手助けした影の功労者と言われている。

(アール・デコ調の装飾が施されたてすり)

館内のミュージアムショップには、勝海舟のグッズが並んで

いますが、上の写真の「勝海舟記念館図録」(1,200円)

と下の写真の「名言入り五角鉛筆」(390円)を買いました。

五角鉛筆は、海舟の有名な言葉を側面に刻んでいます。

上の写真も、ミュージアムショップで購入したクリアファイル

(200円)で、海舟が38歳で咸臨丸でアメリカに渡ったとき

の写真です。

勝は、明治に入ると、洗足池の近くに別荘を構えて、旧幕臣ら

と和歌を詠んだり、池の周りを散歩したりもしました。

上の写真は、洗足池の畔の「勝海舟の別邸(洗足軒)」跡

です。

(洗足軒のミニチュア:勝海舟記念館の展示物から)

勝海舟記念館を出て、洗足池駅前の生そば「一力」に入り、

写真の蕎麦を食べてから帰宅しました。  

 

 

 

 

 

ps.

これまでの東京都内の観光スポットついては、

「中山道を歩く」の下部の「観光スポット散策 都内」

をご覧ください。


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

mrsaraie
iinnaさんへ

私も、説明版を読むまでは、日蓮が足を洗った洗足池の地名の由来を知りませんでした。

ええ、源義家、頼朝と佐々木高綱、勝海舟と西郷隆盛など、洗足池は歴史ファンには外せないスポットでした。
iinna
日蓮が足を洗った「洗足池」には、いろいろな歴史的ないわれがあるのですね^^
源義家に頼朝と佐々木高綱。
そして、勝海舟と西郷隆盛 留魂祠など・・・。
人を惹きつける「洗足池」でした。

iinaは、土肥温泉に泊まり土肥金山でギネス記録の金塊をさわりました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/16f384fae3b1b486d5d4ebe7e38c29e2

mrsaraie
hidebachさんへ

そうですか、洗足池の近くにお住まいだったお友達の家と洗足池に行かれる予定だったんですね。
その訪問が実現する前にお亡くなりになったのは心残りでしたね。

お友達を偲ばれる一助になったのであれば幸いです。
hidebach
洗足池の近くに住んでいた友人に、
一度遊びに行って、洗足池にも行きたいと、
話していましたのに、数年前に先立たれまして、
行くことができずに残念に思ていましたのに、
はからずも、ブログを拝見して、
友人をしのびました。
有難うございました。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事