(写真は、甲州街道の難所「座頭転がし」)
野田尻宿を出て、県道30号沿いに、西光寺、荻野一里塚跡を
過ぎ、どんどん進んで行くと、やがて荻野の集落に
入りました。
荻野の集落を抜けると、県道30号は、中央高速沿いに
なりました。
やがて、この中央高速を「矢坪橋」で渡ります。
「矢坪橋」を渡ると、次頁の写真の「大乗妙典 (だいじょう
みょうてん) 日本廻国(かいこく)供養塔」(1813年建立)
がありました。
「大乗妙典 日本廻国 供養塔」とは、江戸時代に、
全国六十六ケ国を巡礼し、一国一ケ所の霊場に、法華経を
一部ずつ納め終えた行者が、その納経達成を記念して
建てた塔です。
「矢坪橋」の先の「矢坪坂」を上って行き、前頁の写真の
右手のスロープの「矢坪旧道」に入ります。
その矢坪旧道の入口に、上の写真の「矢坪坂の古戦場
跡」の説明板がありました。
説明板によると、1530年、相模国の北条氏の軍勢が、
この「矢坪坂」を上って、甲斐国に攻め込んで来ました。
これに対し、甲斐国の武田家の家臣の小山田氏の軍勢が、
「矢坪坂」の上で待ち構え、戦闘となりました。
激戦の末、武田側の小山田氏が破れ、「矢坪坂」から
撤退しました。
その後、この矢坪坂付近からは、当時の激戦の際の弓矢が
多数掘り出されたそうです。
矢坪坂を上り切ると、甲州街道は細い山道になり、
甲州街道の難所「座頭ころがし」を目指します。
長閑で快適な矢坪旧道を進みます。
突然、「熊出没」の看板が!
えぇ~っ!イノシシの次は熊ですか・・・
中山道踏破のときは、山奥の街道沿いに、クマ避けに鳴らす
様に鐘が設置され、熊を捕獲するための罠や檻が置かれて
おり、生々しい感じでホントに怖かったです。
(中山道のクマ避けの鐘と熊捕獲の檻については、
「中山道を歩く・奈良井」と「中山道を歩く・細久手」
を見てね。)
でもこの辺りは、写真の様な、立派な造りの民家が点在して
いるので、もし熊に遭遇したら、この辺りの民家に逃げ込む
ことに決めて先へ進みます。
やがて、右手に上の写真の「武甕槌(たけみかづち)神社」
の鳥居がありました。
武甕槌神社は、軍神を祀るところから軍勢神社とも呼ばれる
そうです。
武甕槌神社を過ぎ、雑木林を抜けると、上の写真の青面金剛像
が彫られた庚申塔がありました。
山道の途中に、上の写真の「矢坪金毘羅神社参道」の標石が
ありました。
やがて、矢坪旧道は、写真の様に、県道30号沿いの崖の
中腹の獣道の様な山道になりました・・・
更に進んで行くと、かっては甲州街道の難所だった
「座頭転がし」の標識があります。
この辺りは、深い谷を挟んだヘアピンカーブの山道で、
狭く曲りくねり、崖側の頭上からは、石が転がり落ちてくる
危険がありました。
その昔、先導者の鈴音を頼りに進んできた座頭(目の
不自由な人)達が、屈曲している山道を、先に回り切って
しまった先導者の鈴音の方に進み、谷底に転落死した
そうです。
(中山道の「座頭転がし」については、
「中山道を歩く・碓氷峠」を見てね。)
現在は、座頭が谷底に転がり落ちたという崖の側には、
写真の様に緑色の金網が張られていて安全です。
「座頭転がし」を無事に抜けると、これまで歩いて来た
矢坪旧道の西口にあたる蛇木新田の舗装路に出ました。
この辺りは、もう次の「犬目宿」の東側になります。
野田尻宿から犬目宿までは約 4キロです。