(写真は、東横フラワー緑道)
コロナの外出自粛が延々と続き、しかも、我が
神奈川県が感染者数で解除の足を引っ張って
います・・・
明日には、首都圏も解除になるのでしょうか?
私のブログも、我が家の最寄り駅の妙蓮寺や
新横浜周辺を題材にした苦しい”地元ネタ”が
完全に尽きてしまいました。
と言う訳で、今回は、東急・妙蓮寺駅、篠原城、
JR新横浜駅に続いて、最寄り駅の東横線・
妙蓮寺駅から2駅先の「東白楽駅」をスタート
地点にします。
先ずは、東横線の妙蓮寺駅の前の旧綱島街道を
次の白楽駅まで歩きます。
白楽駅前からは、旧綱島街道を外れて、東横線の
線路沿いの道を少し歩くと、直ぐに東横線の
「東白楽駅」です。
今日の散策は、この「東横線・東白楽駅」を起点
とした「東横フラワー緑道」を東横線の横浜駅
まで歩きます。
平成16年、みなとみらい線の横浜~元町中華街が
開業し、東横線とみなとみらい線との直通運転が
開始されました。
これに伴い、東横線の「東白楽~横浜」間は
”地下化”され、「横浜~桜木町」間は”廃線”
となりました。
「東白楽~横浜」間の地下化後の地上の線路跡は、
「東横フラワー緑道」の名称の遊歩道になり
ました。
「東横フラワー緑道」は、次頁の写真の東横線
の東白楽駅の改札口の前の道路向こうから
始まります。
上の写真の東横線の高架の先の歩道に
東横フラワー緑道の案内板があります。
緑道を歩き始めると、直ぐに、暗渠化された川の
上を流れる写真の再処理水の人工川があります。
まもなく、下の写真の正面の奥の方にちょっと
だけ砂面が見えるのが、東横線の地下化作業の
資材置き場跡を利用した「二ツ谷公園」です。
二ツ谷公園を横切って直進すると「滝の川
せせらぎ緑道」で、「東横フラワー緑道」は、
上の写真の右手のスロープを上って行きます。
東横線の線路に沿ったスロープを上って行くと、
右脇に東横線の線路が、地下へと潜り込む
トンネルが見えてきます。
線路脇のスロープから、地下に入って行く電車を
見ながら、トンネルの上部に出ます。
トンネルの上部からは、電車が地下に
吸い込まれ 様子が眺められます。
ここから先は、地下を走る東横線の真上が
東横フラワー緑道になります。
直ぐに、神奈川区総合庁舎の矢印の角の
マンションの植栽の中に「新太田町駅跡」と
書かれた次頁の写真の案内石がありました。
その説明文によると、昔、ここには東横線の
「新太田町駅」がありましたが、昭和20年の
空襲で駅舎が焼失、廃止されたそうです。
その後、昭和24年の日本貿易博覧会の会期中
のみ、「博覧会場前」駅として復活したこと
から"幻の駅"と呼ばれたそうです。
東横フラワー緑道の足元には、東横線で使用され
ていたと思われるレールが埋め込まれています。
また、上の写真の地下のトンネルの換気口からは、
下を走る電車の音が聞こえます。
やがて、緑道は、地下駅になった東横線の反町駅
の手前で国道1号線をまたぐため陸橋になります。
この陸橋も、東横線の線路跡です。
反町駅の改札口は、この陸橋の真下にあります。
この反町駅のすぐ先には、写真の「高島山
トンネル」があります。
トンネルには、開閉式の柵があり、通行時間が
6:00~21:30のと書かれています。
トンネルを出て直ぐの所には、当初、現在の
横浜駅が出来るまでの仮駅として、「東横線の
神奈川駅」があったそうです。
案内板の昭和34年の写真には、トンネル出口
付近にプラットホームらしきものが写っています。
京浜急行線の神奈川駅がすぐ近くにあり、この
辺り一帯が、東海道の神奈川宿の中心でした。
トンネルを出た先で交差する道路が、かって踏破
した懐かしい「旧東海道」です。
この周辺には、江戸時代、神奈川宿の史跡が点在
しています。
この旧東海道を渡った所が東横フラワー緑道の
終点です。
東横フラワー緑道の終点の目の前は上の写真の
工事中のホテルメッツです。
ホテルメッツの前の下の写真のユニークなビルは、
東京オリンピックメイン会場を設計した隈研吾
の作です。
ここから横浜駅まで、横浜駅西口駅ビルの再開発
の工事現場を抜けて、横浜駅西口に到着しました。