ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

甲州街道を歩く( 22:花咲)(山梨県大月市) 2km 2021.4.12

(写真は、「星野本陣遺構」)

 


大月宿を出て国道20号を暫く歩いて行くと、左手に

上の写真の「下花咲宿標柱」があり、この辺りから

「下花咲宿」が始まります。

「下花咲宿」は、本陣1、脇本陣2、問屋1、旅籠22軒

でした。

下花咲宿と上花咲宿とは、半月交代で問屋業務を勤める

「合宿(あいじゅく)」でした。

下花咲宿の宿場町を進むと、右手に、「星野本陣遺構」が

あります。

江戸中期の建物で、国の重要文化財です。

星野家は、代々、本陣を勤めていましたが、庄屋と問屋も

兼ねていました。

明治13年、明治天皇巡幸の際にここが休息所となり、

建物の前には、上の写真の左側の「明治天皇 花咲

御小休所碑」があります。

 

「本陣遺構」の建物内部の見学は、残念ながら、現在、コロナ

のため中止です。

でもご安心下さい?

 

以前、「猿橋宿の猿橋」でご紹介したTV番組の「三宅裕司の

ふるさと探訪」には続編があり、そこで、閉鎖中の

この本陣遺構を、三宅裕司が特別に見学させてもらって

いました。 

 

そこで、このブログは、この特別に許可を得た建物内部の番組

撮影の様子を、チャッカリと流用させて頂きます。

以下の写真は、その番組映像です。

 

 

(左側が「大名用の玄関」で、三宅裕司が入って来た右側が

「土間の大戸口」:「三宅裕司のふるさと探訪」から) 

 

 

三宅裕司を案内しているこの若い男性の名前が星野さん

だったので、多分、この「星野本陣」の何代目かの当主

なのでしょう。

 

 

(明治天皇が休息した「上段の間」:「三宅裕司の

ふるさと探訪」から)

天皇をお迎えするために、写真のペルシじゅうたんを横浜に

買いに行かせたそうですが、このじゅうたんは、当時、

家1軒の値段だったそうです。

また写真左上の「御小休」の文字は、当時、天皇の侍従を

していた「山岡鉄舟」の筆になるそうです。                     

(風呂場:大名行列が持参していた「マイ風呂桶」の説明を

受ける三宅裕司:「三宅裕司のふるさと探訪」から)

(大名行列のマイ風呂桶については、

映画・超高速!参勤交代」と

バスで行く東海道・草津宿」を見てね。)                                                        

                                  

(殿様用のトイレ:「三宅裕司のふるさと探訪」から))

星野本陣遺構を出て進んで行きます。

 

国道20号を暫く歩いて、大月インター入口交差点を

過ぎると、この辺りが「上花咲宿」です。

 

上花咲宿は、本陣1、脇本陣2、問屋1、旅籠13軒でした。

 

上花咲宿を抜けて、中央自動車道高架をくぐり、

下の写真の大月警察署を過ぎると、笹子川を

真木橋で渡ります。

 

 

 

国道20号を暫く歩いて、上の写真の歩道橋の手前を

左に入ると真木旧道です。

 

 

この旧道は短いですが、写真の様に、趣のある旧家が

点在します。

 

真木旧道は、直ぐに再び国道20号に合流します。

国道20号の右手の石段を上ると、真木諏訪神社があります。

入母屋造りの本殿は、1827年の再建ですが、写真の様に、

見事な彫刻が施されており、八王子の藤兵衛の作だ

そうです。

真木諏訪神社から国道20号に戻り、真木川を初月橋で

渡ります。

更に進んで、前頁の写真の源氏橋で、国道20号から

分れ、笹子川を渡り、JR中央本線に沿って

進みます。

 

やがて、写真の「甲州砕石鉱業所」内に出ました。

JR中央本線を踏切で渡ると、再び国道20号に合流します。

 

合流した先が、次の宿場町の「初狩宿」です。

 

花咲宿から初狩宿までは約2キロです。


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コメント一覧

ウォーク更家
街道歩きは歴史満載
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
いつも、丁寧にお読みいただき、ありがとうございます。

ええ、街道歩きをしていると、名所旧跡に詳細な説明版が建っており、私も知らなかった事ばかりで、都度、色々と勉強しています。

そうですよね、「マイ風呂桶」は本当に面白い街道歩きネタですし、「山岡鉄舟」は凄く優秀で立派な人だったんだなぁ、と感心します。

ホントに、プロデューサーの目配り力には驚きます。
もっとも、人使いの荒いテレビ局には不満も多いらしく、ビデオ撮りの際は、丸1日一緒だったので色々と愚痴を聞かされましたが・・・
tadaox
歴史満載
おはようございます。
今回はまた知らないことばかりで、勉強になりました。

参照の「マイ風呂桶」と「山岡鉄舟」も、おもしろかったです。
テレビの取材と案内役での出演は、前にお聞きしましたが、プロデューサーの目配り力にも驚いたものでした。

気づかれなくとも、優れたブログは読まれているんだと感心しました。
一層のご活躍を楽しみにしております。
ウォーク更家
渾身の力作のホームページ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
私のホームページをお褒めいただきありがとうございます。

このホームページは、渾身の力作だけに認められると嬉しいです。

テレビ朝日・モーニングショーのプロデューサーの目に留まって出演依頼を受けられたのは、残念ながらこのホームページではなくてこのブログで、コメント欄に出演依頼がありました。

まさか、本物のモーニングショーのプロデューサーとは信じられず、最初はてっきり出演手数料の振り込め詐欺からのコメントだと思ったのですが・・・

家一軒分のじゅうたんを買った話は、やはり当時は明治天皇と言えば神様だった訳ですから、正しく一世一代の名誉という意識だったと思います。
もののはじめのiina
一世一代の名誉 
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/20de6fbb5d88ee1116d7ad14543a38ca
> 「中山道を歩く」のホームページの中程の「甲州街道」の欄をクリックしてください。
ブログよりも見やすかったです。一覧表にして閲覧ができる見栄えでした。
このホームページが、テレビ朝日・モーニングショーのスタッフの目に留まって出演依頼を受けられたのでしたか。

天皇巡幸の休息所となるだけで、家一軒分のじゅうたんを求めるとは、一世一代の名誉という意識だったのですね。^^


> 年賀状 ・・・ 来訪の可能性のある親戚の分だけ残して残りを断捨離しました。
大切に保存した年賀状は、双方に好い結びつきを提示でき、話題にも効果的です。

ウォーク更家
庄屋と名主
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ご指摘、ありがとうございます。

検索すると、確かに、庄屋と名主とは職制上は同じで、地域によって呼び方が異なる、とありましたので訂正しました。

ええ、この辺りは、宿場の趣が良く残って居り、特に、本陣の星野家は、残念ながら私自身は見学出来なかったものの、ほぼ完全な形で残っているのはホントに素晴らしいと思います。
hide-san
宿場
https://goo.blog.ne.jp/hidebach
宿場の趣が良く残って居ますね。

所で、星野家は
>庄屋、問屋、名主も兼ねていました。

の記述について、名主は関東で、
庄屋は、その他の地区での呼び名と
覚えました。
間違っているかもしれません。
言葉がダブりますのでお調べください。
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