ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

多摩川を歩く(その33)(二子玉川③    :駅の西側・変わらぬ商店街:東京側)   2022.9.25

 

(玉川高島屋の屋上から多摩川を臨む)

 

 

 

前回迄は、二子玉川駅の東側の五島美術館などを散策

しました。

今回からは、二子玉川駅の西側の商店街を散策します。

 

駅の西側の商店街は、古くは、大山街道の宿場町の街道筋

でした。

 

また、明治、大正、昭和の時代は、多摩川の川遊びの行楽地

で、東京の都心から玉電に乗って遊びに出かける場所でした。

二子玉川駅の西側には、玉川通り(国道246号)を挟んで

「玉川高島屋」があります。

 

 

そもそも、二子玉川(通称”にこたま”)が、今日の様に発展

したきっかけは、この「玉川高島屋」のオープンでした。

1969年、それまでは何もない平凡な東京の郊外に

過ぎなかった二子玉川に、突然、”日本初の郊外型

ショッピングセンター”「玉川高島屋」が出来ました。

玉川高島屋は、将来の日本のモータリゼーションの発展を

見越して、百貨店の高島屋を核にして、衣食住の多様な

テナントを集めました。

その後、今日の様に、全国各地に広がるショッピングセンター

のモデルになりました。

私が住んでいた頃に比べると、現在の玉川高島屋は、面積も

店舗数も3倍くらいになりました。

 

また、私の頃と大きく異なるのは、本館前面の外観で、

上の写真の様に、隈研吾のデザインで、玉川通り沿いの

円形のアーケードで柔らかな雰囲気に変わりました。

 

これから、この玉川通り沿いの円形のアーケードを植物で

覆っていくみたいです。

 

 

私が住んでいたころは、玉川高島屋の屋上には遊具や乗り物が

たくさんあり、小さな子供達の遊び場になっていましたが、

現在は、以下の写真の様に、屋上庭園になっていました。

この玉川高島屋の裏手に伸びるのが、以下の写真の「二子玉川

商店街」です。

二子玉川商店街は、昔ながらの情緒を残したレトロな雰囲気が

残ります。

入れ替わった店舗も散見されますが、商店街の雰囲気は私が

住んでいたころとほとんど変わっておらず、懐かしさが

込みあげてきます。

暮らしに必要な日用品は、この商店街で買いそろえて

いました。

また、二子玉川商店街の端には、私の娘が通学していた

二子玉川小学校もあり、懐かしい娘の通学路でも

あります。

この昔ながらの二子玉川商店街の端の一角には、私が住んで

いた頃には無かった、下の写真の洒落た飲食店や雑貨店の

「柳小路」のエリアが新しく出来ていました。

 

商店街の端から「新二子橋(しんふたこはし)」を渡って

みます。

 

「新二子橋」は、「二子橋」のバイパスとして二子橋の

直ぐ上流側に架けられた、多摩川と野川の両方に架かる

国道246号の道路橋です。

 

「二子橋」の交通量が増大して、輸送力が限界オーバーと

なったため、そのバイパスとして、新たに車道片側 2車線の

新二子橋が架けられました。

                                                       

二子橋には歩道があるので、新二子橋の歩道の必要を感じた

ことはなかったので、これまで、新二子橋を歩いて渡った

ことはありませんでした。                                

(多摩川と合流する手前の野川)

(兵庫島の兵庫池)

 

 

 

 

対岸の川崎市に着いたので、一度橋を下りて、橋の反対側の

歩道へ上って引き返します。

 

 

 

 

(兵庫島の枯れ流れ)

 

 

新二子橋の脇の田園都市線の「二子玉川駅」から乗車して

あざみ野駅経由で新横浜に帰宅しました。


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コメント一覧

ウォーク更家
hassyさんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
コメントありがとうございます。

よろしくお願いします。

40年ぐらい前と言えば、ちょうど私が、二子玉川駅前のマンションを購入して引っ越した頃です。

当時は、駅前に、現在の1/3くらいの大きさの玉川高島屋がポツンとあるだけで、ビルは他にはありませんでした。

駅前は遊園地で、入場だけなら無料だったので子供を連れてよく遊びに行っていました。

駅前の西側は、このブログで紹介しました様に、昭和の商店街で今も変わらない雰囲気です。

商店街の周辺は、都会の雰囲気は無く、公園もたくさんあり、緑が豊かな一帯でした。

また、マンションの前には、多摩川の河川敷が広がり、子供たちの遊び場でした。
hassy
はじめまして
はじめましてhassyといいます。二子玉川ですか?インターネットがなかった40年ぐらい前、一度行ったことがありますが、都会から少し離れて緑が多くていいところですよね?
ウォーク更家
もののはじめのiinaさんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
玉川高島屋のガラス彫刻展や宇宙展に行かれていたんですね。
更には、二子玉川ライズの公開録画もですか。

既に二子玉川はお馴染みの場所だったんですね。
もののはじめのiina
(ウォーク更家) さん へ
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/17d340e47f31ff3b231c40bdf572b544
iinaが「千葉」を話題にしたら、変貌いちじるしい”にこたま”(二子玉川)を更家さんがご案内でした。

二子玉川は、何かとテレビ番組で採り上げられます。
      更家さんがココに想い出があるように、さまざまな人に思い入れがある地なのですね。

此の地の近くに友が住んでいて”にこたま”に、こんな風に誘われます。玉川高島屋には、「ガラス彫刻展」チケットを手に入れ鑑賞しています。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/5aeba737d211a5de4affa0b8ddcbae7b

前に更家さんにご案内したように、二子玉川ライズに公開録画で遊んでました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/628ba561f111f4cf1215f4caf289fb99

「たまがわ宇宙展開催記念特別企画」にも参りました。そんなにご縁がないと思っていたら、こんなにもかかわってました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/5f3e4e666001c9c7625e16f7e3b8775b

ウォーク更家
hide-sanさんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうなんですよね、娘が小学生のころなので、本当に古くて遥か昔のことです。

その大昔からすると、多分、実際は西側の商店街もずいぶん変わっているのでしょうが、レトロな雰囲気だけは残っていて、不思議と昔の記憶が蘇ってきました。

渋谷は、多分、日本で一番激変した街なのでしょうが、でも、先日、私がよく飲みに行った渋谷の百軒店の辺りを訪れたところ、その周辺だけは、意外と昔の雰囲気が残っていて懐かしかったです。

アメリカ橋の周辺は最近は行っていないですが、さて変化はどうでしょうかね。
ウォーク更家
tadaoxさんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
五島慶太と堤康次郎は、強烈なライバル意識を持ち、鉄道、百貨店など、至る所で火花を散らしていたみたいですね。

西行展は書が多くて私には猫に小判だったのですが、西行が煩悩を絶つために自分の幼い娘を庭へ蹴落とす場面をテーマにした絵が何枚かあり心を打たれました。

二子玉川駅の西側の商店街は、長年住み慣れた町だったので、懐かしくて涙がこぼれそうになりました。
hide-san
こんにちは
https://blog.goo.ne.jp/hidebach
昔住んでいた所は懐かしいというか、
見違えたというか、ずいぶん変わっていたでしょうね。

娘さんが小学生のころ、本当に古いですね。

ボクも入社したころの渋谷へ行ってみたくなりました。
山手線工事が終わったようですし、
変わった渋谷へ行き、長年の夢だったアメリカ橋(えびす)へ行ってみようと思います。
tadaox
雰囲気は昭和
(ウォーク更家)様、おはようございます。
今回は二子玉川駅の西側探索なんですね。
柳小路というのは更家さんの住んでいたころには無くて、近年できたのですか。
新興商店街とは言っても、なにか懐かしいものを感じる昭和の雰囲気ですね。
前回の東側は正月の天手古舞で見逃してしまってすみませんでした。
五島美術館というのは五島慶太の創業でしたか。
堤康次郎と並び称されたフィクサーですよね。
西行展をやっていたんですか。
所蔵品かもしれませんね。
見られて良かったですね。
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