(玉川高島屋の屋上から多摩川を臨む)
前回迄は、二子玉川駅の東側の五島美術館などを散策
しました。
今回からは、二子玉川駅の西側の商店街を散策します。
駅の西側の商店街は、古くは、大山街道の宿場町の街道筋
でした。
また、明治、大正、昭和の時代は、多摩川の川遊びの行楽地
で、東京の都心から玉電に乗って遊びに出かける場所でした。
二子玉川駅の西側には、玉川通り(国道246号)を挟んで
「玉川高島屋」があります。
そもそも、二子玉川(通称”にこたま”)が、今日の様に発展
したきっかけは、この「玉川高島屋」のオープンでした。
1969年、それまでは何もない平凡な東京の郊外に
過ぎなかった二子玉川に、突然、”日本初の郊外型
ショッピングセンター”「玉川高島屋」が出来ました。
玉川高島屋は、将来の日本のモータリゼーションの発展を
見越して、百貨店の高島屋を核にして、衣食住の多様な
テナントを集めました。
その後、今日の様に、全国各地に広がるショッピングセンター
のモデルになりました。
私が住んでいた頃に比べると、現在の玉川高島屋は、面積も
店舗数も3倍くらいになりました。
また、私の頃と大きく異なるのは、本館前面の外観で、
上の写真の様に、隈研吾のデザインで、玉川通り沿いの
円形のアーケードで柔らかな雰囲気に変わりました。
これから、この玉川通り沿いの円形のアーケードを植物で
覆っていくみたいです。
私が住んでいたころは、玉川高島屋の屋上には遊具や乗り物が
たくさんあり、小さな子供達の遊び場になっていましたが、
現在は、以下の写真の様に、屋上庭園になっていました。
この玉川高島屋の裏手に伸びるのが、以下の写真の「二子玉川
商店街」です。
二子玉川商店街は、昔ながらの情緒を残したレトロな雰囲気が
残ります。
入れ替わった店舗も散見されますが、商店街の雰囲気は私が
住んでいたころとほとんど変わっておらず、懐かしさが
込みあげてきます。
暮らしに必要な日用品は、この商店街で買いそろえて
いました。
また、二子玉川商店街の端には、私の娘が通学していた
二子玉川小学校もあり、懐かしい娘の通学路でも
あります。
この昔ながらの二子玉川商店街の端の一角には、私が住んで
いた頃には無かった、下の写真の洒落た飲食店や雑貨店の
「柳小路」のエリアが新しく出来ていました。
商店街の端から「新二子橋(しんふたこはし)」を渡って
みます。
「新二子橋」は、「二子橋」のバイパスとして二子橋の
直ぐ上流側に架けられた、多摩川と野川の両方に架かる
国道246号の道路橋です。
「二子橋」の交通量が増大して、輸送力が限界オーバーと
なったため、そのバイパスとして、新たに車道片側 2車線の
新二子橋が架けられました。
二子橋には歩道があるので、新二子橋の歩道の必要を感じた
ことはなかったので、これまで、新二子橋を歩いて渡った
ことはありませんでした。
(多摩川と合流する手前の野川)
(兵庫島の兵庫池)
対岸の川崎市に着いたので、一度橋を下りて、橋の反対側の
歩道へ上って引き返します。
(兵庫島の枯れ流れ)
新二子橋の脇の田園都市線の「二子玉川駅」から乗車して
あざみ野駅経由で新横浜に帰宅しました。