誰でも自由なこころで 時代小説「かもうな」掲載中

江戸時代の仙臺藩髙橋家に養子に入った治郎の生涯を愛馬のすず風を通して描いた作品です。時代考は本当に大変でした。

かもうな すず風 第一之巻(三)

2023年03月15日 20時42分51秒 | 日記

かもうな

すず風 第一之巻(三)

      話は治郎の幼き日に戻る。

      治郎は幼いときから動物が大好きだった。白石では三毛猫を可愛がり、昼は

      肩にのせ夜は共に寝て、絵には必ず馬が描かれているほど大好きであった。

      養父時右衛門はそのような治郎の性格を的確に見抜いている。

      馬市に治郎を連れ出したのはそのような理由があったからである。

 

      養父時右衛門の愛馬「疾風」(はやて)は十数年前に亡くなって、それ以来

      馬を持とうとはしなかった。疾風が愛おしかったからである。

      その後、時右衛門は己から馬への未練を捨てた。

      しかし治郎の人生はこれからである。

      幸い治郎は「利他の心」を持ち合わせている子だ。この子を伸ばすには馬を

      与え自らの力で自分の選んだ道を進ませることが大切だと時右衛門は感じた。

         利他の心とは、仏教用語で「自利利他」とも云い、自分が幸せになると同時に他人をも幸せにすることを意味する。

         龍樹菩薩は「利他者即是自利」(他を利するはすなわちこれ自らを利するなり)と説いている。

      さて治郎が養子に入りまもなく時右衛門は「馬相図」「解馬新書」を与え読

      み聞かせた。とくに治郎のお気に入りの本は馬相図だった。

      躍動感煽るる馬の絵が鮮やかな色彩で描かれている馬相図は馬好きの治郎にと

      っては宝物でありいつも離さなかった。

 

      時右衛門は馬事に関する知識が次々と治郎に吸収されるのを見届けなが「大坪

      本流武馬必要」で馬医術を学ばせ治郎十五歳のときすず風を与えたのである。

・                 ・・続く・・・


かもうな すず風 第一之巻(二)

2023年03月14日 15時24分04秒 | 日記

かもうな

すず風 第一之巻(二)

 

 

      治郎はその子馬に駆け寄り頬釣りした。子馬は治郎が来てくれるのを

      待っていたかのようにその薄汚れた軀を治郎に擦り寄せた。

      運命とはどのような出会いを生むか分からないものである。

      神は「すず風」という駿馬を治郎に授けたのであった。

      養父時右衛門は馬を飼うにあたって治郎に一つだけ約束をさせた。

      すず風の手入れ、餌やり全て治郎が行うことそれだけである。

      それからの治郎は常にすず風と共にあった。夜は廐舎(馬小屋)で寝、

      朝起きては水やり、餌やり、毛並みを整え周辺を散歩する日課が続い

      た。

      月日が巡るのは早いものである。

      宝暦元年(1752)治郎は18歳の凛々しい青年、すず風は5歳駒と成長し

      ていた。子馬の時には見えることが無かった白い七斑(はん)がくっき

      りと見えて美しい。

      ちなみに「七斑」とは

      鼻筋に一、下唇に一、四脚に四、尾尻に一の白斑で、この斑ある馬は非

      常に珍しく「才馬」とも呼ばれ、よく神社等に御神馬として奉納される。

      運命とは不思議なものである。

      治郎との出会いが無かったならばすず風は、おそらく一生駄馬としての

      苦難の道を歩んだことだろう。

      運命の神は治郎に駄馬を与え、駿馬にする試練を与えたに相違ない。

                 ・・・続く・・・

 


かもうな すず風 第一之巻(一)

2023年03月10日 20時46分59秒 | 日記

かもうな 

すず風 第一之巻(一)

            江戸時代の仙台は良馬の生産地だったことは余り知られていない。

            城下の「辻の札」(芭蕉の辻)から国分町にかけて馬市は近隣在郷から遠くの

            在郷などから馬を連れ市にかける。それを「仙台馬市」と呼び、市は毎年3月

            上旬から4月上旬まで国分町を上、中、下と分かれて一日交代で開催される。

            仙台藩では藩行政の大きな柱として「仙台産馬仕法」を定め、勘定奉行の支配下

            に馬生産方なる役目を置き、二歳駒の登録、馬市の開催を奨励したとある。

            話が長くなったが現代では考えられない数百年前の仙台の姿である。

 

            治郎の話にもどる。

            仙台高橋家に治郎が養子に来てからはや四年がすぎ、寛延元年(1748)治郎は

            十五歳、養父時右衛門の訓導、お豊の育愛をうけ治郎は利発な子の成長していた。

            同じ年の四月治郎は養父と共に恒例の馬市に来ていた。

            町には至る所に馬が繋がれており、それを品定めする馬買人やら他国から良馬を

            求めにきた武士、駄馬を求める百姓たち等で町は大賑わいであった。

            治郎が馬市の薄暗い北側路地を覗くと駄馬として売られるのだろうか薄汚れた馬

            達が数十頭雑然と繋がれているのが見えた。

            その軀は薄汚れ毛だまりがあり、おそらく駄馬として売られると思うと治郎は不

            憫でならなかった。

            その中の一頭の子馬(二歳駒)が治郎の眼に止まった。子馬の左右の瞳から涙が

            一筋の帯となって流れていたのだ。

            治郎は思わず子馬に駆け寄りその子馬を抱きしめた。

 

            養子に入ってから四年、治郎は幼きながらも自分の境遇を甘受し、養父母の前で

            は泣顔一つ見せずに生きてきた。それは治郎には戻るべき道が無いからである。

            もし戻ることが出来たなら治郎の人生は大きく変わっていたことだろう。

            治郎はその子馬に幼き日の自分を見たからである。

            白石を出る前の晩治郎は泣いた。父は泣くなという、母は思い切り泣けという、

            兄も泣いた、しかし父も泣いていた。

 

                          ・・・続く・・・

 


かもうな 養子縁組 第二之巻

2023年03月10日 16時23分02秒 | 日記

かもうな

養子縁組 第二之巻

      その後、何とか佐藤長十郎を説得して支度金として二十両だけ袱紗に包み

      受け取って貰った。

      仙台に立つのは五日後に決まり、佐藤長十郎家族は鎌先温泉へと向かうの

      だった。治郎にとっては楽しい旅が父母兄との最後の別れの旅になったの

      である。

               三人さっさと鎌先温泉

               白石堤のコスモスすすき

               あっくてふだふだ(豊富な)旅籠のお風呂

               木ぼこ買って抱いて寝る。

      治郎は父兄とふだふだな湯ぶねに浸りながら、一人になる寂しさと我が身に

      きるであろう出来事が走馬灯のように浮かんでは消えその寂しさは一層とつ

      のるのであった。

      湯ぶねに浸りながら「熱い 熱い」と云いながら流れ落ちる涙を拭く治郎の

      健気さを受け止めるかのように長十郎はやさしく治郎を抱くのだった。

             ・・・次回は「すず風」です・・・

予告

 

        「すず風」は治郎の愛馬、白い七斑(はん)ある珍しい馬。

        次郎とすず風との触れ合いから、大町の豪商只野家との縁、

        勘定奉行星清左衛門並びに伊達六代藩主宗村公との出会い

        まで、その時代を逞しく生き抜いた、または儚くも散った

        人物などを描いて行くつもりです。

        読みぐるしい点はご容赦ください。

        

        


かもうな 養子縁組 第二之巻

2023年03月09日 10時54分43秒 | 日記

かもうな

養子縁組 第二之巻

              治郎の父佐藤長十郎は決して金銭を求めるようなことはしなかった。

              むしろ愛おしそうに治郎の頭を撫でながら

              「この子は親に似ず利発者です。それに珍しく「利他の心」を持ち合

              わせております。貴方様のご教育次第では海にも山にもなると思いま

              す。どうぞ末永く可愛がって下さるようお願い申しあげます。」

              長十郎と妻お美代は膝の両手を震わせながら泣くまいと必死に耐えて

              いる。

              時右衛門が支度金として用意してきた金子百両を差し出すと

             「これでも武士でござる。金子を頂きましては息子を売ることになり

              申す。今回は大恩ある宍戸さまのお声掛かりでかくなる仕儀となり申

              したが」

              声が続かない。

              時右衛門夫婦も改めて畏まり

             「必ずや貴方さまのお子を幸せに致します。仙台に御用の折は是非お

              立ち寄り下さい。」

             「いや 治郎とは親の縁を切ったも同然、これが最後の親としての務

              めで御座る。親とは寂しいもので御座いますなぁ」

             もう時右衛門は云うべき言葉が出てこない。

                 ・・・続く・・・