御岩山 (茨城県日立市)
常陸国風土記には「浄らかな山かびれの高峰に天つ神鎮まる」とされ古代より信仰の聖地である。
----------------------------------
登拝の心得で頂上まで登山
山全体から自然の氣を頂く
心地よさを体感 ⇒「 自 然 浄 化 」
---------------------------------
■ 御岩神社境内の奥に登山道 起点
表参道から登り30分ほどで
■ かびれ神宮
山を愛し 緑を愛し 自然の豊かさの奇跡に
感謝の意を手向ける
山頂までは完全に登山です!
起点から1時間ちょっとで
■ 山頂到着 <530M>
「浄らかな山かびれの高峰に天つ神鎮まる」
石柱は宇宙からのエネルギーを受け取るアンテナの役割?
勝手に想像
■ しばらく山頂で自然の風景を眺める
きれいな景色を見続ける
眼を喜ばせる ⇒「 視 覚 浄 化 」
※ 山頂には説明してくれるガイドさんがいました
■ 山頂 アブが私についてきます
「歓迎ですか?」と尋ねるが→ 答えが受け取れない! 当たり前ですけど。。
結局、山頂を離れるまでお友達でした
■ 下山 (裏参道を通ったが足元が悪い)
■ 森の巨人たち100選 推定樹齢/500年
ゆっくり周りを観察しながらの3時間弱の山歩きでした。
自然の氣を頂き心地よさを体感 森羅万象 真の神を感じたような気持ちになりました。
さて、古代人の信仰や宇宙観はどのようなものだったのでしょうか?
■ 私なりに考察してみました。。
神とは命を養う仕組そのもの
即ち足元の地球を指す
月・太陽・星々・銀河・宇宙全てとし
山、川、風、雨、岩、木などは神の顕れである
例えば雨→川→海→水蒸気→雲→雨といった水の循環の仕組みを神といい
自然神。水の神。というように…
神がいる?いない?という観念ではなく
森羅万象、自然の力を神として崇め奉っていた
山そのものを信仰の対象としていた
御岩山はその信仰の聖地だったのだろう
■ 現代においては
「御岩神社」は創建時期が不明で、縄文晩期の遺跡が発掘されるなど非常に古い歴史ある神社とされる。
御祭神には、宇宙の根源・天地開闢時代の ※国之常立神(クニトコタチ)と記されている神社です。 (※神様系図にて)
◎「国之常立神」は古事記・日本書紀では神とされているが、「ホツマツタヱ文献」では、縄文人のDNAを受け継ぐ日本人の祖先→人(人間の形の人)とある。活躍されていたのは、BC1万1738年と推定されている。(以前書いたブログ「岩宿遺跡」にて人について少し触れたが) この時代日本列島には既に私たちと同じ人がいて 同じ人間の営みをしていた。
ブログ「岩宿遺跡」
◎「社」(神社?という建物)についてヲシテ文献では、指導者が政治を行っていた場所、住んでいた場所、子育てをしていた場所とあり ご先祖様が祭られている神聖な場所でもある。
◎ 神社参拝の(私の)心得として、「この世に生まれて生きる歓び」に感謝の意を手向けるとともに、(古代人より学んだ) 命を養わせて頂いている「足元の地球」への感謝も忘れずにいたいと思う。
■ 御岩山は、古代人の宇宙観と自然との一体感を味わえる 魔訶不思議な場所であり 癒しの場所でもあります。自分にとっての浄化スポットの一つです。
------------------------------
※ 「クニトコタチ」が現れる前後の系図です。
天地創造に関わる「神世7代」の初代が御岩神社御祭神の国之常立神(クニトコタチ) です。
BC13000年以降 「ミナカヌシ」 人類の祖といわれ世界中に子種を授けたくさんの人が生まれてきたとされる
⇓ (子孫)
BC11738年 「クニトコタチ」 が(日本)に現れ『トの教え』=(陰陽融合・調和の国家理念)に基づいてこの国を作っていく
この時代の天神(指導者)といわれる方々は非常に長生きでした。今の常識に当てはめて計算することはできません…
引用:「はじめてのホツマツタヱ」 今村聡夫さん / かざひの文庫