4月6日は四(し)六(ろ)の語呂合せで「城」の日であると同じく、四(よ)六(む)「読む」の語呂合せで新聞を読む日でもあることを、先日メル友から教えて貰った。4日6日の記念日を紹介したサイトもあり、これには日本新聞協会販売委員会が2003年に制定したことが載っている。
4月は転勤や入学等で住いを移す人が多いことから、「これを機会に新聞を読み始めませんか」というキャンペーンが行われるとも書かれているが、少なくとも河北新報ではその類のキャンペーンは殆ど毎月のように行っている。
新聞の読者欄に投稿する一般購読者は、さぞ新聞を熱心に読んでいると思われる。今月7日付の河北の読者欄「声の交差点」に、「核禁止条約不参加に憤り」という投稿があり、投稿者は仙台市泉区の籠嶋敏彦氏(81歳)。以下は籠嶋氏の投稿の全文。
「核兵器を非合法化し、廃絶を目指す「核兵器禁止条約」制定の交渉に日本は参加しないと報道された。唯一の被爆国日本にとって、地球から核兵器を廃絶することは悲願のはず。広島、長崎での原爆犠牲者慰霊式典で、私たちはそのことを世界に発信してきた。高見沢将林軍縮大臣や岸田文雄外相は、不参加の理由をくどくどと述べていたが、虚しいだけである。要は「アメリカの核の傘で守られているのに、アメリカの意向に逆らった行動は出来ない」ということなのだ。
自分の国さえ無事であれば、世界や人類の恒久平和のための活動には参加しないとは。日本はいつからそんな国になってしまったのだろう。たとえアメリカの核の傘に守られていたとしても、地球上に核兵器が存在する限り、安全が保証されることはない。こんな自明の理が、なぜ分らないのだろう。
直ちにアメリカの核の傘を出て、核兵器禁止条約制定はもちろん、地上から戦争を無くし、緑豊かな地球を取り戻すために、心ある国々とともに、汗を流そうではありませんか」
こんな投稿を目にすること自体、虚しいだけである。どの国も自国が第一なのは自明の理だし、自ら核を廃棄する核保有国など一カ国もないことが、81歳にもなって分らないならば、度し難い愚物としかいいようがない。
大体、“心ある国々”など世界の何処にある?強いて言うなら軍隊を持たないことだけで、日本のメディアが好意的に持ち上げるコスタリカがそれに近いかもしれないが、この国もまたアメリカの核の傘にいるのだ。そのためアメリカのアフガン攻撃やイラク戦争を支持したこともある。
チベットも“心ある国々”のひとつだったが、今は滅亡したといってよい。現代チベットは自治区と名が付いていても事実上は漢族が支配、民族浄化が世界で最も著しい地域である。
原爆の悲惨さや廃止をいくら訴えた所で、同情や同調する人々はごく一部に過ぎず、「ざまあみろ」と思っている国が多いのだ。原爆追悼式典を、「日本による侵略行為の報いだ。独り善がりの追悼式典はうんざりだ」と放言するのは、イスラエル高官ダニエル・シーマンに限らないはず。在日ドイツ人ホルガー・H・ハウプト氏による記事「教会は最大の犯罪組織」には、アメリカの聖職者たちの興味深い言動が紹介されており、そこから一部引用したい。
「ベトナム戦争の時、アメリカ合衆国の司教達はこの戦争は十字軍遠征だと言いました。カトリック司教は北ベトナムの原子爆弾攻撃で南ベトナムのカトリック教会の防衛を望みました。また、プロテスタントの牧師キュンネト(Künneth)も、原子爆弾は隣人愛の為に使えると主張しました。それはあの広島・長崎原爆投下の13年後の事でした…」
原子爆弾は隣人愛の為に使える、という主張に仰天する日本人も少なくないだろうが、キリスト教の聖職者としては当り前の意見なのだ。この場合の“隣人”とはクリスチャンを指し、異教徒やクリスチャンでも異端は人間ではない。新聞ばかり読んでいると、国際世界は腹黒い実態も分らなくなるようだ。
試に籠嶋敏彦で検索したら、一般財団法人福来心理学研究所のサイトがヒット、見出しでは「透視、念力、念写、スピリチャル、臨死体験等々をテーマに研究会、セミナー」とあった。平成19年度第2回定例会での講師は籠嶋敏彦とあり、新聞投稿者とほぼ同一人物だろう。
「籠嶋さんは編集長など歴任され長年福来心理学研究所に貢献されてきた方ですが、今年5月の東北日本サイ科学会と共催の念写実験会で得られた「念写」について、初めて普通でない現象を認めたとのことで、その辺りの話題を中心にお話いただきます」という説明がある。
「福来心理学研究所」なる法人は初めて知ったが、研究会、講演会等の案内に軽く目を通しただけで、オカルト団体としか見えなかった。
その②に続く
◆関連記事:「新聞で思想や意見を確立」