昨日3月24日付の河北新報文化面に、塩野七生さんへのインタビューが載っていた。そのトップ見出しは「リスク負った男は美しい」。そして見出し脇にあった紹介はこう。
―「ローマ人の物語」などの歴史エッセーで知られる作家の塩野七生さんが、四半世紀前に執筆を中断した作品を完成させ「小説イタリア・ルネサンス」(全4巻、新潮文庫)として刊行した。ローマ在住の塩野さんに電話でインタビューした。
暫く前から河北新報に載っている著名人のインタビューは殆ど見ていなかったが、塩野さんなら話は別だ。インタビューコーナーの全文を引用したい。
―舞台は16世紀のベネチア共和国。外交官マルコ・ダンドロが職責を全うする姿を通じて、大国スペイン、トルコに挟撃されるベネチアの興亡を描く。塩野さんには珍しく架空の人物が主人公のフィクションだ。
英雄を数多く描いてきた作家が選んだのは、歴史の表舞台に立つことのまれな外交官。地味では?との問いには「男は仕事をしている姿が一番美しい。私はやはり仕事をしている男が好きなんです」と楽しげな答えが。「男が美しく見えるのはリスクを負った時。組織のトップでもそうでなくてもあまり関係ない」
マルコの40代前半までを描き、未完となっていた。なぜ今続きを?「迷い、間違えもする修業時代を書いて、そのままにしていた。ここからは惑わない、完成させてあげたいと思ったの。高尚な考えなんてない。それだけです」とけむに巻く。
だが物語の時代背景を考えれば、今こそ読むにふさわしい。君主が全てを独断で即決する大国に押されつつ、合議による共和制を堅持するベネチアは、権威主義国家が台頭する現在を暗示する。
そんな時代の転換点で、ベネチアは独自の地位を守り続けた。経済力、外交力、諜報力、軍事力に加え、社会システムの柔軟さも大きかった。
「ベネチアは政治かも商人も船乗りも全て分業。でもそれぞれが孤立してるんじゃない。内部にものすごく流動性がある」
芸術でも他国を引きつけた。「(米政治学者の)ジョセフ・ナイの言う『ソフトパワー』ね。ソフトパワーを生かすにはハードパワーも持っていないと相手にされない」
物語の終盤、膨大な死者を出し、かろうじて勝利したレパントの海戦後、敵国トルコとの講和をマルコが訴える。70代半ばの彼が故国の衰えを悟り、未来への困難な道筋を新たに示そうとする。
「政治家に一番必要なのは言葉による説得力。後世に名演説として伝えられるのは戦没者の追悼演説です。人が死んでみんな悲しんでる時、この人たちはなんのために死に、私たちはこの死を無駄にしないためどう生きなければならないのかを語りかける。苦労をしなきゃならないことはみんな知っている。できれば喜びと共に苦労したいわけ。その喜びに理由を与えるのが指導者です」
ふと、日本の政治家の空疎な言葉を思う。「こういうことを50年、書いてきたのに駄目なんだ」と自嘲気味の塩野さんが言う。「まずは本を楽しんで。面白くないと教訓は得られませんから」
佇まいの美しい主人公の恋愛小説でもある。マルコと生涯引かれ合いながら、かつての恋人にも思いを残す高級遊女オリンピアも物語を通じ鮮烈な印象を残す。
「私自身があの時代にいたらどう生きたか。私の中の男性的な要素がマルコに、女性的な要素がオリンピアになった。2人の男の間で迷った経験がないなんてあなた、女として生きたことにならないでしょ?」。電話の声は、いつしか熱を帯びていた。
さすがは塩野さん、久しぶりに河北新報で良質なインタビューを見た思いになった。最後の「2人の男の間で迷った経験がないなんてあなた、女として生きたことにならないでしょ?」には苦笑させられたが、最近は男女問わず、このような経験がない人が増えたような……
そしてリスクを負った時、美しく見えるのは女も同じだ。世間一般から忘れ去られた秘書給与流用事件の際、逃げ回っていた女が今や日本で最も有力な野党政治家になっていてる。日本の女議員が勇ましいのはリスクを負わない時だけのようだ。
リスクを負わないのは日本のメディアも人後に落ちない。そもそも河北新報は3月11日の東日本大震災特集でも、台湾の国旗を“白旗”で載せたほどの地方紙である。過度の自主規制と忖度をする新聞こそ、メディアの空虚さを証明している。
あと気になったのは、「ローマ人の物語」が歴史エッセーとなっている点。正確には歴史小説だし、果たしてインタビュアーは作品をちゃんと読んでいるのか?あの作品がエッセーではなく小説なのは、未成年が読んでも判るはず。
塩野さんへのインタビューには何故か記名がなかった。河北新報には記者名のない記事が多いが、本当に塩野さんと直接電話でやり取りしたのか?とも勘繰りたくなる。尤も河北新報のこと、新聞の方向性に合わぬ意見は編集時にカットしていただろう。