トーキング・マイノリティ

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ヘルリス―パラオ島の恋喧嘩

2006-07-11 21:16:31 | 読書/小説
 中島敦の短編小説『夫婦』は、戦前は日本の統治下にあったパラオ島のある夫婦の物語だ。中島敦は晩年パラオ南洋庁に赴任している。小説に描かれたパラオの風習は面白い。

 パラオ地方では嫉妬に絡む女同士の喧嘩をヘルリスと 呼ぶ。恋人または夫を取られた(取られたと思った)女が、恋敵の所へ押しかけて戦いを挑むのだ。戦いは常に衆人環視の中で堂々と行われる。何人もその仲裁 を試みることは許されない。人々は楽しい興奮をもって見物するだけだ。この戦いは単に口舌に留まらず、腕力を持って最後の勝敗を決する。ただし、武器刃物 類は用いないのが原則。当然衣類がむしり取られ(余り衣類をまとう習慣はなかったが)、ついに立って歩けなくなった方が負と判断されたらしい。結局、相手 を素裸にして打ち倒した女が凱歌を上げ、情事における正しき者と認められ、見物衆から祝福を受ける。勝者は常に正しく、従って神々の祝福を受けるとされた からだ。

 ギラ・コシサンとその妻エビルが小説『夫婦』の主人公。大人しいギラに対し、エビルはかなり多情で、部族の誰彼となく浮名を流していた。小説ではこう表現されている。「エビルは浮気者だったので、(こういう時にけれども」という接続詞を使いたがるのは温帯人の倫理に過ぎない)また大のやきもち屋でもあった」。 彼女は夫が浮気で報いるのを恐れ、夫に気のあると思われたあらゆる村の女たちを疑い、人妻、娘を問わずヘルリスを仕掛けた。腕力に秀でた彼女は常にヘルリ スの勝者であり、その結果彼女の情事は正当なものとされた。夫のギラは口も腕も達者な妻の尻に敷かれっぱなしだった。

 昔、パラオの島々にはモゴルという制度があり、これは男子組合の共同家屋に未婚の女が泊り込んで、炊事をする傍ら娼婦のような仕事をすることだった。その女は必ず他部族から来るが、自発的に来る場合もあり、敗戦の結果強制的に出させることもある。
  ある時、ギラの住む共同家屋に他部族の女リメイがモゴルに来たが、美しい彼女を一目見てギラは恋に落ち、リメイもまた彼と恋仲となった。モゴルの女は一人 で男子組合員の全てに接する場合もあれば、ある特定の少数、または一人だけに限る場合もある。それは全て女の自由に任せられ、組合の方で強制は出来ない。 リメイは既婚者ギラ一人だけを選んだ。

 妻のエビルが夫の異変に気付かぬはずがない。直ちに恋敵のリメイにヘルリスを挑むものの、勝利し たのはリメイの方だった。これまで妻に押さえつけられていた夫もついに決心する。モゴルの契約期間も満期になる頃だったので、リメイの村に二人で逃げるこ とにした。帰村したリメイはそこでギラと結婚する。
 夫に去られたエビルは逆上、号泣するものの、偶然結婚前に恋人だった男と再会、彼は村で2番目の物持ちの上、ちょうどやもめになったばかりだった。彼らもまもなく再婚し、ギラとエビルは別々にせよ、互いに幸福な後半生を送ったという。

 近代になりドイツ領時代に入ると、パラオではモゴルのような習慣は禁止されてしまい、その後の日本統治時代も復活することはなかった。だが、ヘルリスのような恋喧嘩は廃ることがなく、中島敦も南洋庁に勤めていた時に女同士の取っ組み合いを目撃している。

  昔読んだドイツの民話で悲惨な恋の結末があった。美しい尼僧に恋した男が彼女を口説き、ついに彼女は男を追って僧院を脱出する。だが、その結果は“誘惑さ れて、棄てられて”だった。元尼僧は男を殺害、復讐する。しかも、心臓をえぐり出し地面に叩きつけ踏みにじる行為を繰り返す陰惨さ。

 あけすけに恋喧嘩を挑むパラオの女と、男を殺害するドイツの女、果たしてどちらが文明的だろうか。

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2 コメント

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軟弱者 (Mars)
2006-07-12 21:20:02
こんばんは、mugiさん。



本当に、女性というものは恐ろしいものですね。



私は幸い(というか、不幸というか)、私を巡っての争いを体験したことはありません。ので、ある意味、羨ましいというか、、、(汗)。



自分は浮気をするが、旦那の浮気を許さないとは、まるでジャ○アン的思考ですね。演義の曹○もしかり(自分が天に背く事はあっても、天が自分を背く事は許さない)。曹○自身、多くの失敗を繰り返しながらも勢力を拡大できたのも部下のお陰であり、部下もそんな主君に命を奉げてまでも付き従うのはやはり、傲慢さとは別の魅力があるからでしょうね。



冷酷さに徹するという面では、さすがに女性のそれは、男性の比ではないですね。今季の、根気、○気も、またもや、遠ざかりそうです(自分の努力不足は、棚の上において置きます(笑))。

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女子と小人 (mugi)
2006-07-12 23:22:17
こんばんは、Marsさん。



著者の「浮気者だったので、また大のやきもち屋でもあった」の表現がまたいいですね。“けれども”は温帯人の論理とは。

確かに男女問わず浮気者ほど、やきもち焼きかもしれません。散々浮気できるくらいなら恋の達人でもあるので。

ギラとエビル夫婦は別な再婚相手と幸福に暮したところを見れば、初めから性格の不一致があったのでしょう。



演義の曹○も女好きですが、有名な美女を手に入れようとしたら、息子が先に手を付けてしまったので、あっさり許したことがありました。これがマ○なら絶対許しません。こんなところも、人を惹きつける魅力があったのかも。



男と女はいつの時代もややこしいものです。「女子と小人、養い難し」とはまさに昔の名言。
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