その一の続き
ターイはアリー・シャリアティーの講演に娘フィルゼを連れていくこともあった。もちろん幼い娘に話が判るはずもなく、講演中に眠ってしまうが、夫フセインはその方が良かったと云う。
シャリアティーの教えの虜になったターイは、「革命が起き、革命の勝利は神に約束されている!」などと言うようになり、夫には妻の話が理解できなくなる。やがてイラン革命に続きイラン・イラク戦争が勃発するが、娘の安全を思い夫は国外脱出を提案する。
しかし、ターイは聞く耳を持たない。自分たちだけが国外に逃れるのか、娘はイランでたくましく育つ、と反論する。夫婦関係は既に妻が主導権を握り、夫は黙るだけだった。
娘フィルゼも既に物心がついており、両親との板挟みになる。革命の話が出ると大声で歌を歌い、話をそらそうとしたというのは痛ましい。両親の衝突を防ごうとしてだろうが、夫婦関係の崩壊を目の当たりにした子供の思いは、その体験のない赤の他人には理解は難しい。
フセインには写真を撮る趣味があった。彼の父がパリで千トマンで購入して息子に送ったカメラで、当時テヘランでは家一軒が買えるほどの高級品だった。このカメラで家族の写真をよく撮っており、スイス時代のヘジャブを被らぬ妻の写真もあった。ある晩、ターイはヘジャブのない写真を全て破り捨てたのを娘は目撃する。
写真ばかりか、家にあった夫のお気に入りの絵画や彫刻、ワイングラスなども処分してしまう。夫はクラシック鑑賞を好んでいて、部屋に閉じこもりクラシックを聴くようになった。同じ家に暮らしていても、クラシックを聴く夫に神に熱心に祈る妻という関係であった。
ターイは完全な革命戦士となり、その活動が認められ、ついに学校校長に任命される。活動が忙しく家を空けることが多い妻に、母親の存在を説く夫の言葉が耳に入る余地はなかった。語り部でもあるフィルゼは、自分よりも学校の女子生徒の方が母をよく知っているだろうと話している。
戦時下のイランでは女性にも軍事訓練が行われており、女性にもジハードが下れば参加すると、ターイは積極的に出ていた。軍事訓練には銃や手りゅう弾、ロケットランチャーまで使われ、竹槍訓練程度だったわが国より遥かに進んでおり、その辺りは羨ましく感じた。娘のフィルゼはそのためか、母が銃撃されて死ぬ夢を見たことがあったそうだ。妻が軍事訓練で不在の時、夫は寂しそうに旅行に行っていると答えたという。
女性革命家が演説するシーンがあり、その主張を紹介したい。
「革命は女性に“商品”ではないことを教えてくれた。価値を置くべきは神への信仰であり、ぜいたくな暮らし、化粧、宝石、裸体の展示ではない。革命は女性を家の外へと連れ出し、生きる意味と目的を与えてくれた。アメリカに死を!」
得意げに星条旗を燃やす女が映り、ぜいたくは敵だというスローガンは戦時の日本にも通じるものがある。戦時下や非常時になると文化圏問わず、女特有の同調圧力が強まるようだ。
晩年のフセインはイヤホンを付けたまま、宙を見つめることが多かったという。そしてある日、眠ったまま再び目を覚まさなかった。晩年は老いが目立っていたそうだが、父は幸福な時代を懐かしんでいたと思いたい……と娘は語っている。
ターイは夫が祖父から譲り受けた家に今でも住んでいる。ただ、年をとり丸くなったのか、流行かは不明だが、まとったチャドルは戦時下の様に黒一色ではなく白地に唐草模様で、日本人から見ても洒落たものだった。今でも祈りは欠かさず、ひたすら神に近づこうとしているとか。
夫婦はイラン革命による社会の急激な変化に翻弄され、関係が崩壊していったのは確かだが、革命や戦争がなかったとしても元からあった溝はなかなか埋まらなかったかもしれない。フセインの様な世俗的な人間は、同じタイプの女性と結婚すればよかったと思わずにいられない。
何不自由なく暮らしている主婦が虚しさを覚え、宗教に入れ込むのは日本でも珍しくないが、信者としては立派でも母や妻としては落第としか見えない。私の様な不信心者には、神に近づこうとして家族からは遠ざかる人生に、生きる意味と目的などあり得ないと感じる。
確かにイラン革命は女性信者に“商品”ではないことを教えてくれただろう。異教徒には聖職者の精神的奴隷にしか見えないが、所詮異教徒とは価値観が異なる。ムスリムの男性名でアブドラはよく耳にするが、「神の僕」の意味なのだ。中高年世代ならば、往年のプロレスラー、アブドラ・ザ・ブッチャーを連想する人もいるはず。
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