トーキング・マイノリティ

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山本七平信者との対話 その④

2009-07-13 21:24:41 | マスコミ、ネット
その①その②その③の続き
 wikiの山本の事項には興味深い記述があるので、以下はその部分からの抜粋。

山本は著書『空想紀行』で偽フォモルサ人のジョルジュ・サルマナザールが書いたとされる偽書『台湾誌』を紹介した。イギリス社交界でもてはやされた偽のフォモルサ人(フォモルサは台湾列島にあるオランダ人が領有した台湾とは別の島と主張)であるサルマナザールと、本当に中国で18年間布教をし極東情勢を知っていたイエズス会のファウントネー神父の真贋対決で、サルマナザールは縦横無尽の詭弁で勝利を得た。サルマナザールは極東情勢が殆ど伝わっていなかった英国で、イギリス国教会と対立するイエズス会が極東情勢を故意に隠蔽していると非難し、ファウントネー神父もその陰謀の片棒をかついでいるとするなどの詭弁を繰り返しているが、山本はこの時のサルマナザールの詭弁の論法を分析し、『対象そのものをいつでもすりかえられるように、これを二重写しにしておくこと。これは"フェモロサ"と"タイワン"という関連があるかないかわからない形でもよいし…』などと細かく分析し『以上の原則を守れば、今でも、だれでも、サルマナザールになれるし、現になっている』と記述している。これは自らが偽ユダヤ人として活躍した山本の面目躍如たるものがあるとする人もいる…

 私は『空想紀行』を未読ゆえ論評は出来ないが、tikurin氏の反応も妙だった。「wikiの山本評についてはそのうち修正を求めたいと思っていますが、なぜ『空想紀行』を敢えて紹介しているのかよくわかりません」と氏は書く。もちろんwikiの記載も正確とは限らず、私も修正を求めたいものがいくつもある。ただ、wikiの上記の情報が正しいならば、山本はサルマナザールの詭弁を学んだとなり、これまで目にした彼の文章からその可能性はかなり高いと私は想像している。
 私が見た山本作品は『日本人とユダヤ人』『日本人と中国人』の他は、「一知半解なれども一筆言上」氏のブログにある引用から。だが、記述を見るほどきめの粗さ(特に中東地域)が目に付き、誤記述が気になってくるので、単なるミスよりも意図的なものを感じてしまう。

 もし日本人左翼がユダヤ人または中国、ロシア人名義で著作したとする。その事実が明らかになった時、果たして保守派は内容がよければ問題ないというだろうか?おそらく左翼のプロパガンダと責めることだろう。私はtikurin氏や一知半解氏に何故山本がユダヤ人に成り済ましたのか訊ねてみたが、前者は問題なしを主張、ペンネームについての山本の考えを理解しろとのこと。後者は正直に分らないと回答された。もとより一読者の両氏が真相を知る術もないが、ファンならどのように思っているのか、憶測だけでも知りたかった。
 しかし、ファンでない私は版権よりもユダヤ人として発表した方が一般に受けると睨んだ戦略ゆえだと憶測している。平たく言えば、その方がハクがつくから。だが、それはユダヤの権威を借りた姑息極まる手法でもある。

 wikiにはサルマナザールの晩年が記載されている。偽書『台湾誌』は知識階層から賞賛され、約25年間も信頼を得ていた。後に事実を告白、その結果、学術界を追放された彼は改心してキリスト教会に戻ったという。何故四半世紀も経て真実を明かしたのか不明だが、偽りを続けることへの心理的負担は相当なものがあっただろう。
 偽書は西欧社会でも珍しくないが、発覚した際の対応は日本と異なり峻厳だ。西欧人の倫理観が高く、日本人のそれが低いからではなく、一神教世界と多神教or汎神論的風土が原因していると私は思う。宗教的正義を問いただす西欧と、善悪を厳しく問い詰めない日本。ヒンドゥー世界でも善悪追求は温い傾向がある。同じ一神教でもイスラム圏は異端に西欧ほど厳格でなかったのは、血族・部族社会の背景もあると私は考えている。欧米なら山本のように偽外国人と正体が分れば、出版界からは確実に追放されたはずだ。

 tikurin氏のプロフィールを見ると、昭和45(1970)年12月25日、浪人中に山本の『日本人とユダヤ人』を読んで以降ハマったそうだ。同時期の私はまだ十歳にもならぬ子供だったが、氏は40年近くも山本作品を読み続けている筋金入りとなる。当然、私のような非信者の不敬極まる発言に憤慨しているのが分り、山本教徒じみている、との私の揶揄にも「「山本絶対化」(これは無害)ではなく「自己絶対化」に陥らないことです」と断言されていた。さらに、「個人がどなたを絶対化しようと、それは思想信条の自由あるいは信仰の自由の問題で、他人がとやかく言う問題ではありません」と主張している。

 氏と私は年代、感性、価値観、性格も異なるし、どのような思想信条、宗教を選択するのは個人であり、それについて他人が言うつもりはない。ただ、私自身はこれまで人間でも組織でも、ある対象を絶対化して見たことはない。私にとって絶対化または絶対視ほど厭わしく忌まわしいことはない。ある対象を絶対化すればもはや宗教だと考えているし、そうなれば己の理性を「自己絶対化」に奉仕させる危険性を感じる。
 tikurin氏は個人が誰を絶対化しようと他人がとやかく言う問題ではないとするが、ならば、暴力団組長やカルトの教祖も問題ないのか、と余計な突っ込みをしたくなる。また、一作家の著作を聖典化、真理は全てそこにあると見るのなら、真実は聖書にあると考えていた中世の僧侶と同じではないか。

大切なことは、自分の言葉と自分の思想即ち行動を一致させることです。それが誠実というものです」ともtikurin氏は言う。反論の余地もない正論だが、私が山本への信用と誠実性に疑惑を深めたのは、皮肉にも氏のHPに見える山本の発言だった。
 以上の記事は山本ファンからすれば、あまりにも公正性を欠く偏見と思われるだろう。ただ、「人は偏り見るもの」と言ったのは他ならぬ山本であり、私を含め凡人には己の見たいことしか見えないのだ。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お久し振りです (むかしあにまる)
2009-08-04 23:57:40
もう、数年コメントしていませんが、相変らず知識欲に溢れたブログを継続されているご様子。感服しております。^^;
山本七平翁については、山本夏彦翁共々、ある意味死したる師として、夏彦翁の所謂「死者に交わる」感覚でいる者です。
ただ、mugiさんご指摘の通り、キリスト教的な独善は感じておりました。
加えて、洪思翊中将についての本で、それ以外の著作とはうって変わって朝鮮人に対する妙な贖罪意識が見て取れ、疑問に思ったことがありました。
そこは、祖父のように朝鮮から満州に渡り、徴集令状を受けて満蒙国境を護っていた陸軍の下っ端と、終戦前には復員していた南方の海軍エリートとの違いかと解釈していましたが、mugiさんの記事を見てすっきりしました。
しかし、七平翁については、少なくとも日本人の組織や集団としての行いに関する分析は見るべきものがあると思っています。
「空気(ニューマ)の研究」に記されている、情動に流されやすい社会心理については、当然他の国にもあるのでしょうが、特に我が国国民については顕著に見受けられるような気がします。
そういう意味で、全人的に否定されてしまうのもどうかな?と思い、敢えてつまらぬコメントをお送りします。
このような啓発的な記事を、今後ともご提供いただけるのは、日常でボケかけた脳みそへの大なる刺激となりますので、またよろしくお願いします。^^;

乱文ご容赦ください。では。

むかしあにまる拝

P.S.以前のブログは、趣味ブログとなっております。^^;
政治・文化系ブログを別に作りましたが、まだ記事を上げていませんので、まとまったらご連絡いたします。
返信する
Re:お久し振りです (mugi)
2009-08-05 21:51:01
>むかしあにまるさん、ご無沙汰しておりますが、お変わりありませんか?

 以前にも書きましたが、私は子供の頃に欧米人宣教師に「キリスト教を信じないと、地獄に落ちる」と脅され、キリスト教にはかなりアレルギーがあるのです。山本に限りませんが、一般にクリスチャンは欧米、ユダヤべったり傾向で、信用は出来ません。その①でコメントされた葵さんもアンチ山本で、山本教徒も嫌いだと仰っていましたが、これは私も全く同感。
 山本教徒tikurin氏からの反論は覚悟の上でしたが、その教条性は私の想像を遙かに超えるものでした。キリスト教のオーソドックスな見解を繰り返しているだけで、異教徒の私の見方は「間違っている」「素人が」「言いたい放題書き散らしている」。山本への疑問は一切認めないという本音が露骨に表れています。彼の粘着コメントから、ますますアンチ山本になりそうです。もちろん人の好みや思想は様々なので、貴方が良書と思うのはご自由です。

 お爺様は従軍されていたのですか。私は昔、水木しげるの戦争漫画「総員玉砕せよ」を見たことがありますが、彼の従軍体験を元にして描いた作品は絶句させられます。水木もまた南方戦線に下っ端として従軍、片腕を失いましたが、国や社会への恨みのような感情は感じられなかったのが意外でした。

 政治・文化系ブログも別に作られたとはすごい。私はこのブログだけで手一杯の始末です。ご連絡を楽しみにしております。
返信する
ありがとうございます (むかしあにまる)
2009-08-06 07:19:14
mugiさん、レスありがとうございます。

このご時世ですが、関連会社から誘いがあり、転籍して慣れぬ研修絡みの仕事を頑張っています。
その所為もあり、しばらくブログからも遠ざかっていたのですが、音楽系の面白いツールを見つけたので、またボチボチ趣味系ネタを投下し始めた、と言うところです。
そんな状態なもので、おちゃらけでも政治的なネタを振ろうとするとどうしても違和感があるので、政治系ブログを別に建てただけで、ずっと継続的にブログを続けられているmugiさんお足元にも及びませんが、それなりに意見発信を続けていきたいと思っています。

しかし、mugiさんのキリスト教嫌いも相当なものですね。^^;
私は別に信者でもないのですが、拠所ない理由で高校が所謂ミッション系だったので、キリスト教についての知識は否応なく身につきました。
日本人の伝統的な考えとは根本的に異なる考え方だなぁ、とは思いましたし、一神教にありがちな、他社排斥、独善を強く感じて、チャペルでの祈りの時間の最中に般若心経唱えているようなひねくれ者でした。^^;
まぁ、キリスト教の中でもプロテスタントのバプテスト派の学校でしたので、リベラルな校風で、生徒の自主性を尊重していた所もあり、この高校でなかったらその後の人生も変わっていたと思っています。
より教条主義的なカトリック系じゃなくて良かったなとも思っています。
大学に入って、マルキシズムに触れた際にも違和感を感じ、後に「ああ、キリスト教とマルキシズムは同じ根を持ってるんだ」と思うに至ったのは、高校でキリスト教の知識を得ていたためだとも感じています。

祖父に関しては、以前、自分のブログにも書いたのですが、本来赤紙が来るはずのない40歳近くになって、職場の反りの合わない人が仕掛けたとかで召集されてしまい、しかもソ満国境を護る部隊に配属され、士官学校出たての若造上司の下でそれなりに苦労したようです。
靴なども体に合わない官給品を支給され、合わない旨を申し出ると「体の方を合わせろ!」と言われたなど、日本軍だけではないのでしょうが、軍組織の理不尽さを怒っていました。
ただ、北方戦域と言うことで、終戦前後のソ連の裏切りまでは大きな戦闘もなく、緊張感はあっても、死闘を繰り返していた南方ほど悲惨な状況ではなかったのに加え、部隊長の計らいで終戦前に済州島に配置転換になったこともあり、シベリア抑留されることもなく、時間はかかったものの五体満足で復員しました。
そういう意味では、南方戦線で生き延びられた方々のほうが大変だったと思います。

あの世代の人たちは、やはりたとえ一市井の人手さえも、「公」や「国」と言う感覚が浸透していて、「俺が俺が」という戦後育ちとは一線を画しているのではないでしょうか。
祖父も、戦略・戦術的に大東亜戦争は拙いところがあったと認識していたようですが、戦争に至った経緯についてはやむを得ない戦争であったと言う認識のようでした。
天皇陛下に対する尊崇は生涯変わりませんでしたが、戦時中については割り切れないアンビバレントな感情があったようです。
余談ですが、私は父を早く亡くしており、祖父が父代わりでもあったため、祖父も私には心を許して色々と話してくれたのではないかと考えています。

私が、山本七平翁や山本夏彦翁に惹かれるのは、多分語り口が祖父に近いからではないかと思います。
盲信するものではありませんが、自分の思索の一つの材料として良いネタになると考えております。

政治系ブログの方はまだスカスカですが、アドレスだけ入れておきます。
このコメントにも書いた祖父の話を何回か書いてみようかなと考えています。

では、また。
返信する
Re:ありがとうございます (mugi)
2009-08-06 21:39:34
>むかしあにまるさん、再びコメントをありがとうございます。

 職場が変わられたとは、何かとご苦労も重なるでしょうね。そんな中で、ネットがひと時の安らぎになれば幸いです。私の場合、好き勝手に綴っているので何とか続いているだけであり、政治系ブログならとてももたなかったでしょう。

 私は感情の起伏と好悪が激しい人間なので、坊主憎けりゃ…ではありませんが、嫌いとなればとことん厭う悪癖があります。子供の頃の体験の他にも不可解な勧誘を受けたし、学生時代の宗教学の教授がカトリック。このセンセ、そのためかプロテスタントの悪口をよく言っていましたね。やれ新教の方が異端審問や魔女狩りに熱心だったとか。そのくせプロテスタントの国アメリカに妻を残して渡米している。そして、ガチガチの護憲派。聖書の聖戦や十字軍は勿論言わないし、イスラムに好意的な見方をしたりなど、左派カトリック?と言いたくなるような人物でした。もっともこの人のおかけで、アメリカ原住民の歴史をもっと知ることが出来ました。

 私の祖父に関してですが、父方の方は若くして死亡、戦争に行けなかったし、母方の祖父は40歳はとうに過ぎていたので、こちらも従軍することはありませんでした。伯父も学徒動員で戦地に赴く予定でしたが終戦となり、大変申し訳ありませんが、私の近い親戚で戦地に行った者はいないのです。それにしても、貴方のご祖父様のように40歳近くになっても召集されたとは、戦時には理不尽なことか起こるのですね。
 水木しげるの「総員玉砕せよ」も、士官学校出たての若造将校が拙劣な指揮を取り、武器もろくにないにせよ、全滅してしまうストーリーでしたね。この将校、楠木正成に心酔、「大楠公」気取りなのですが、アメリカ相手に通じないのは軍事にど素人の私さえ分る。20世紀にこのような考えの将校がいたことには言葉もなかったです。昭和一桁生まれの私の父も、桜井駅の別れの唱歌を口ずさんでいました。

 山本夏彦のエッセイは見たことがありますが、保守的な印象を受けたのを憶えています。もっとも若い頃の私は結構左寄りでしたから。
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